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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ほんとの空

2003年05月25日 | open

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に毎日出

ゐる青い空が智恵子のほんと
の空だといふ。
あどけない空の話である。

自分の中に作った壁に押し
つぶされて、自分の中に作っ
た自己疎外の閉塞の中で
智恵子の精神は「世間」から
離れていった。高村光太郎の
この『あどけない話』の一節
に、僕は空や望郷の念を論じ
るつもりは無い。またそれを
論じるものでもない、と思う。
僕にとっての空は、薄よどんで
今にも落ちてきそうな明日を
感じさせない東京の空が、空
だからだ。
智恵子は空を見て空を見て
いない。空の向こうを見て
いる。
智恵子の見たい「ほんとの空」
は空のことではない。
なぜ、多くの人は、智恵子の
見たい空のことを空と直裁に
感じ取ることしかできないのか。
なぜ、空の向こうを見ることを
しようとしないのか。

15年ほど前、新宿の地下鉄の
駅構内で、ひとりの高校生
くらいに見える若い女性が
首にプラカードを提げて立っ
ていた。
(私の詩集 買ってください)
地下鉄構内は、折からの夕方
のラッシュ時で、首輪を首から
提げた勤め人たちの渦が彼女を
押しのけるようにして通り過
ぎて行く。
(私の詩集 買ってください)

ある紳士然とした勤め人が、
彼女に近寄り、分別くさい
表情で言った。
「こんなところで突っ立って
いたら、人様の迷惑になるで
しょう?
もっと端っこの邪魔になら
ないところに行きなさい」
女性はその童顔に困惑の色を
浮かべながら
「あ・・・はい。すみませ
ん・・・」
と小さく答えて移動しようと
した。
(私の詩集 買ってください)
僕は歩み寄って、詩集をくだ
さい、と言った。
勤め人は、何か訳のわから
ない捨て台詞を残して去っ
て行った。

当時では既に見かけなくなっ
た珍しいガリ版刷りで作ら
れたその詩集には、その女性
の簡単な自己紹介が書かれて
いた。
彼女は20歳で、72歳の詩人の
夫と暮らしているという。
こうして、詩集を作って、駅
で売って、日々のたつきを
得ているという。
(私の詩集 買ってください)

僕には、人ごみの波の中に
立つ彼女に、ほんとの空が
少し見えた気がした。


梅雨が足早にやってくる

2003年05月15日 | open

今年の五月は五月晴れが少な
いような気がする。
空は五月の空が一番好きだ。
きょうも雨が降っている。
伊勢正三さんは『雨の物語』
のことを『22才の別れ』の対
歌だと言っていた。
『雨の物語』の中で降る雨は、
何月の雨なのだろう。
そういえば、つらい思い出は、
思い起こすと、雨の日と重な
る。
雨の日は嫌いではないのだが。

梅雨が足早にそこまでやって
来ている。
そこそこの雨は、彼女に会う
ため渓流に行く場合は僕にと
っては歓迎だ。
アマゴは雨の子でもあるから
だ。
しかし、たまには釣りを忘れ
て、雨の日を待たずに雨が降
らないことを念じて彼女に会
いに行き、ただそこはかとな
く流れを眺めるのもいいだろう。

ここ数日、時間の密度がとて
も凝縮されている。
遠く、とても遠く思えること
が、ほんの数時間前だったり
する。
春先に雪代が川の流れに溶け
出すように、今のこの濃い時
の流れが薄れてゆき、やがて
消えていく時が来るのだろう
か。
川の流れのその水は、宙より
降りて、樹々の葉からしたた
り落ち、森を抜け、渓流から
竹林をなで、葦のある里川か
ら本流へとつながる。
そして、清き泉より湛えられ
たその水の流れは、長い遠回
りをしながら、浜にそそぎ、
洋へと結ぶ。
海と空は一つに溶け合う。
そして、渓流の石の下には神
の言葉が刻まれている。

静寂なることを学べ

今度渓流に行く時は、ケーナ
ひとつを持っていこう。
その時、私は渓流詩人になれ
るだろうか。