Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

ポルトガル編 ジェロニモス修道院とバスコ・ダ・ガマの眠る教会。

2015-08-20 08:18:03 | 2015イベリア半島西と東の旅

実はポルトガルに行くにあたって天正の少年使節団の足跡をたどりたいと考えていたのであった。

1582年2月20日(天正10年)長崎を出港しマカオ希望岬を経てリスボン、シントラマドリッド
トスカーナピサフィレンツェローマミラノ、ベネチアリスボン長崎と旅した
伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノのまだ13歳から14歳の少年が激しい船酔いに襲われながらも
8年半の旅の後、日本に戻りその間に日本の政情は変わってあのバテレン追放令 で悪名高い豊臣秀吉の世になっていて、
彼らに待ち受けていたのは非業な運命だったのだよね~ 

長崎で聖人の列に加わった彼らの像を見たのが、そう思わせる発端だったのかもしれない。
目をキラキラさせてヨーロッパのカトリック諸国で歓待され戻ってきた彼らに待ち受けていたものは殉死とはね~

彼らの周ったイタリアはほぼ行った。ピサではチェーザレに会っていたかもしれないね~
今回はきしくも彼らの足跡の残っているシントラ、リスボンに行くのだ!と旅立つ前には考えていた。

「旅立つ前には考えていた」という事は実際にシントラ、リスボンではすっかりそのような事が頭から抜けていたのです~
シントラでは想像より遥かに素敵な街でうっとりし、リスボンではさっぱり分からぬ地理で苦労していたので

まあ、そんなこんなで天正の少年使節団が立ち寄ったジェロニモス修道院と併設されているサンタ・マリア教会に行きました。

カイス・ド・ソードレから17番のトラムで行きました(リスボアカード使用)電車でも行けるんだけど、
とりあえずトラムの方が旅っぽいかな~と。

大きいね~ジェロニモス修道院。

写真の左側が修道院で右が教会。入り口は一緒で中で修道院の入り口と教会の入り口に分かれています。
修道院の方は凄い行列で、あっけなくリタイアしすぐ入れる教会へ。
修道院の中に入っても広大な修道院で何時間も時間とられちゃうしね~
それに、サンタ・マリア教会には泣く子も黙るあのバスコ・ダ・ガマが眠っているのだ~これさえ見れれば良いもんね~

このサンタ・マリア教会は王家の霊廟となっているの。

ポルトガルは大航海時代に手にした莫大な財力によって教会などを建てたから豪華よ~お金かかってるのがわかります!
サグラダ・ファミリアのようにザツじゃないもん。 

天井はね、サグラダ・ファミリアと同じでヤシの木に見立てた支柱で支えられている。

入り口を入ってすぐ右にはポルトガルの大詩人ルイス・デ・カモンイスが眠っています。

あのロカ岬の石碑に彫られている「ここより地果て、海始まる」の詩人ですね。
彼がなぜここで眠っているか?それはそのお向かい・・・入ってすぐ左の方に関係があるのですね~
カモンイスはバスコ・ダ・ガマの偉業を一大叙事詩として謳い上げたのでした。

その左のバスコ・ダ・ガマの石棺 。

あのガマ様です~どんなに世界史を勉強してなくても、小学生でも知っているであろう世界史を変えた
あのガマ様です~なんかさ~教科書の中の世界的有名人にお墓でも見られるってテンションあがるわ

ガマ様がいたから天正の少年使節団も極東の日本からヨーロッパまで行けたわけだし、
美味しいカレーを極東の日本人が国民食のように食べられるのもガマ様のお蔭だものね
これはロカ岬に到達した時に次ぐ、この旅での感動でした

私はローマでフランシスコ・ザビエルの左手だか右手だかを見そびれているので、それも見たら感動するだろうな・・・
あとなんだろーーー感動しそうなのは???あれだなゴルゴダの丘だな・・・世界史を変えた人物ってやっぱり凄いもんね!

ガマ様の石棺を見たので、ほぼテンションは下がった。でもなかなかこれるとこでもないので見学するか・・・

当然、モノホンのイエスではございません・・・

カトリック教会にありがちなマリア像を鑑賞し、そして珍しくヨセフも!!!

暗くてはっきりとは写せなかったんだけど、珍しくない?マリアとヨセフの婚姻の像。
イエスもいますけどね・・・出来ちゃった婚で後から式を挙げたパターンでしょうな~ 

主祭壇部分です。

この主祭壇の中央、向かって左側にマヌエル1世と王妃マリア、右側に息子のジョアン3世が眠って
おられます