“恐。莫殺我”
を <カシコシ。アオナ コロシタマヒソ>と読ましております。「な~そ」です。「決して~するな」という禁止を表す言葉です。
ということは、建御名方神は、今にも殺されるという恐怖のどん底に立たされて、その恐ろしさを今更のように、はたと感じて、とっさに出た言葉だと思います。何のことはない、ただの弱虫を象徴する言葉です。駄々っ子という意味の「きかんぼう」という吉備の方言がありますが、世間を知らない、まだ、ほんの幼子「きかんぼう」の言動を堂々と書き表しております。
“恐<カシコシ>”
と。そのまず初めに、とっさに出た言葉として「ちょっとお待ちを」ではなく、「恐」と言わしめた言葉を書いておるのです。恐怖のどん底に陥り、その対策に苦慮して、とっさに出た言葉という事を表しているのです。
「今、自分はどうしていいか分からないくらい、あなたの前にいるのが恐ろしくて堪りません。手も足も出ません。無条件降伏します。降参します。ギブアップです」
この言葉が、まず、口を衝いて出るのです。先程の
“忍忍如此者言<シヌビシヌビカクモノイウ>”
の言葉の元気さは何処に行ったのでしょうかね???
世間知らずの幼い神の言動を、最も簡単に、しかも、適切な言葉として「恐」という言葉を選んで言い表しているのです。あのオホクニのお子様にです、こんなことをも無遠慮に、今、流行りの「忖度」も何もありません、堂々と書いているのです。そんな古事記に、今更のように面白さを感じながら読んでいます。
なお、これについては宣長も“恐。莫殺我”は一連の言葉ではなく、“恐”は独立している言葉だと説明があります。 、
を <カシコシ。アオナ コロシタマヒソ>と読ましております。「な~そ」です。「決して~するな」という禁止を表す言葉です。
ということは、建御名方神は、今にも殺されるという恐怖のどん底に立たされて、その恐ろしさを今更のように、はたと感じて、とっさに出た言葉だと思います。何のことはない、ただの弱虫を象徴する言葉です。駄々っ子という意味の「きかんぼう」という吉備の方言がありますが、世間を知らない、まだ、ほんの幼子「きかんぼう」の言動を堂々と書き表しております。
“恐<カシコシ>”
と。そのまず初めに、とっさに出た言葉として「ちょっとお待ちを」ではなく、「恐」と言わしめた言葉を書いておるのです。恐怖のどん底に陥り、その対策に苦慮して、とっさに出た言葉という事を表しているのです。
「今、自分はどうしていいか分からないくらい、あなたの前にいるのが恐ろしくて堪りません。手も足も出ません。無条件降伏します。降参します。ギブアップです」
この言葉が、まず、口を衝いて出るのです。先程の
“忍忍如此者言<シヌビシヌビカクモノイウ>”
の言葉の元気さは何処に行ったのでしょうかね???
世間知らずの幼い神の言動を、最も簡単に、しかも、適切な言葉として「恐」という言葉を選んで言い表しているのです。あのオホクニのお子様にです、こんなことをも無遠慮に、今、流行りの「忖度」も何もありません、堂々と書いているのです。そんな古事記に、今更のように面白さを感じながら読んでいます。
なお、これについては宣長も“恐。莫殺我”は一連の言葉ではなく、“恐”は独立している言葉だと説明があります。 、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます