御褌を投げ捨てた後、イザナギが、“次於投棄”は、「御冠<ミカガフリ>」です。この冠ですが、宣長は古事記伝に
「皇国に上ツ代は冠は無りしと云う説あり」
と書いて、髻<ミズラ>に草木などを付けていたのですから、わざわざ、冠など付けてその飾り物を覆い隠してしまうようなことをする必要はないと書いてあります。しかし、古墳時代には「冠」は、既に、図のように在ったことが証明されていますので、宣長のこの説はどうも否定されそうです。その埴輪に見られる「冠」をどうぞ・・・・
立派に冠がありますよね。時代が進むとそれまで分からなかったことがどんどんと明白になりますね。なお、日本の考古学も明治10年に来日したエドワード・モースによって大森貝塚の発掘から出発したのですから、宣長がその事に付いて知らなかったのは当り前の事だと思いますが。
なお、「日本風俗史」では、「御冠」は「上古から人々の間で、頭部を保護し、頭髪の乱れを防ぎ、兼ねて装飾とする俗があった。」と書いてあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます