オオクニが要求した神殿ですが、昨日説明したように、その柱だけでなく、屋根の上に載っている 所謂「千木」についても注文を出しております。それを古事記には須世理毘売と共に建てた家には
"冰椽<ヒギ>”
が。そして、建御雷神に要求した神殿は
"冰木<ヒギ>”
を備えるよう要求しております。この「椽」と「木」の違いはと云いますと、「椽」は(たるき)です。何も加工していない丸太を意味します。登呂遺跡に再現されている高床式住居
に見られるような丸太のままの木です。これが"冰椽”です。
では“冰木”の「木」ですが、これは“椽”ではなく、木材を四角の板に加工して、何処までも屋根の装飾として飾り付けたものなのです。その初歩的な物として、伊勢神宮の御屋根に見られます。
このような“冰木”も何時頃からかは詳らかではないのですが、我が吉備津神社の様な随分とあでやかできらびやかな「千木」に変化します。
日本建築の研究者ならそこら辺りの変化の様子が詳しいと思いますが????
"冰椽<ヒギ>”
が。そして、建御雷神に要求した神殿は
"冰木<ヒギ>”
を備えるよう要求しております。この「椽」と「木」の違いはと云いますと、「椽」は(たるき)です。何も加工していない丸太を意味します。登呂遺跡に再現されている高床式住居
に見られるような丸太のままの木です。これが"冰椽”です。
では“冰木”の「木」ですが、これは“椽”ではなく、木材を四角の板に加工して、何処までも屋根の装飾として飾り付けたものなのです。その初歩的な物として、伊勢神宮の御屋根に見られます。
このような“冰木”も何時頃からかは詳らかではないのですが、我が吉備津神社の様な随分とあでやかできらびやかな「千木」に変化します。
日本建築の研究者ならそこら辺りの変化の様子が詳しいと思いますが????
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