“河鴈為岐佐理持”
天若日子の親や兄弟たちは、「喪屋<モヤ>と作って」その後です。当然、その後に本葬が営まれるおですが、それが、これです。
<カハガリヲ キサリモチ シテ>
と読みます。この意味も何の事だかさっぱり分かりません。そこで、又、宣長氏から。“河鴈”は川に住む雁のことで、次に在る“岐佐理<キサリ>持<モチ>”は、葬儀の時に死者の食を戴き運ぶ(片行)人の事だと。
此処で、又これも余残事ですが、「我が町吉備津」のお祭に「七十五膳据」の行事がありますが、其の中心はお供えは「御盛相(おもっそう)」と称される飯です。
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(作り上げられた御盛相とその準備にいそしむ氏子の人達)
この写真のような御盛相を七十五膳作り、神殿まで運ぶ行事が「七十五膳据」のお祭です。これが古事記の“岐佐理持<キサリモチ>”を現代に伝える絵巻物なのです。
そんな説明は誰もしませんが、私は、これは上古の葬儀の形式の名残りを現代に伝える物ではないかと、密かに考えております。昨日ですが、「日本遺産」が新たに13件追加されましたが、その中の一つに「桃太郎伝説」が入っておりますが、其の中心である「吉備津神社」の行事の中に、このようなお祭があることを、此の機に、もっともっと人々に知らせることが大切だと思っておりますが????
天若日子の親や兄弟たちは、「喪屋<モヤ>と作って」その後です。当然、その後に本葬が営まれるおですが、それが、これです。
<カハガリヲ キサリモチ シテ>
と読みます。この意味も何の事だかさっぱり分かりません。そこで、又、宣長氏から。“河鴈”は川に住む雁のことで、次に在る“岐佐理<キサリ>持<モチ>”は、葬儀の時に死者の食を戴き運ぶ(片行)人の事だと。
此処で、又これも余残事ですが、「我が町吉備津」のお祭に「七十五膳据」の行事がありますが、其の中心はお供えは「御盛相(おもっそう)」と称される飯です。
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(作り上げられた御盛相とその準備にいそしむ氏子の人達)
この写真のような御盛相を七十五膳作り、神殿まで運ぶ行事が「七十五膳据」のお祭です。これが古事記の“岐佐理持<キサリモチ>”を現代に伝える絵巻物なのです。
そんな説明は誰もしませんが、私は、これは上古の葬儀の形式の名残りを現代に伝える物ではないかと、密かに考えております。昨日ですが、「日本遺産」が新たに13件追加されましたが、その中の一つに「桃太郎伝説」が入っておりますが、其の中心である「吉備津神社」の行事の中に、このようなお祭があることを、此の機に、もっともっと人々に知らせることが大切だと思っておりますが????
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