私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

再び、吉備国の美女

2016-03-15 10:17:26 | 日記

  ようやく中国の4大美女も終わり(2ヶ月半)もの間)、やっと「吉備の美女」に到達できました。楊貴妃のような「傾国の美女」ではなかったのです???が。ある時と言っても天皇が即位してから7年もの時は流れております。まだまだ、日本の国は、天皇による中央集権の政治ではありませんでした。吉備等、日本各地の豪族たちとの連立政権でした。どうにかして、それら地方の力を弱体化させようと四苦八苦していたのが雄略天皇です。
 
 そんな時のお話です。ある日、朝廷内で、家臣たちが無駄話に花を咲かせておりました。「一体、彼等はどんな何話をするのかな?」と思われた天皇は、物陰から、そっと、家臣たちの話を立ち聞きされておりました。
 、その時の話の中心は、当時の大和政権で、政治の中枢にいた吉備の上道臣「田狭」の妻に付いてです。彼が自分の妻の自慢話を、天皇が、まさか、物陰からこっそり聞いていようとは知らずには得意げに大声ではしておりました。
 
      “茂矣 綽矣 諸好備矣 曄矣 温矣 種種相足矣 ”

      <コマヤカデ サワヤカニシテ モロガヲソナワレリ  ウララカニ ニコヤマニシテ クサグサノカタチタレリ>
と、「日本書紀」には書かれておりますです。ここで注意したいのは、「矣」という詠嘆の助字(発音はなし)を、夫々の言葉につけて6回も繰り返して使って、その話の内容が細かく読者に分かりやすくするための工夫がなされているのには驚かされます。8世紀の書物にです。中国から漢字は入って来てそれほど時間が立っていないのにも拘らず、既に、漢字を十分に知りつくしているのです。
 
 なお、これからお話することは、昨年の10月の末ごろ、一度、ここで取り上げていますので、既に、ご存じとは思いますが、再度、書いてみます。「くどいぞ」と思われましょうが、どうぞ御読みいただければと思います。


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