「<又>が4つありゃあ、そりゃあ<叕>という字になるんじゃ。ツヅルと読むんじゃ。何でもお前の思うようにツヅリャアえんじゃ」と云う訳ではないのですが、宋書にかかれている「倭の五王」について少々書いてみます。「宋」と云うのはあの栄西が禅宗を日本に持ち帰ったあの「宋」ではありません、南北朝時代のの「宋」です。(420年ごろ)
その頃の日本は「倭」国と呼ばれていました。宋書の「倭国伝」に出ています。その200年ほど前の[魏志倭人伝」にある女王「卑弥呼」の記述とは違って、実録性の高い記述が見られます。
ちなみに[魏志倭人伝」の書き出しには、
“倭人在帯方東南大海之中依山鳥為国邑旧百国漢時有朝見者今使訳所通三十国”
それが宋書には
”倭國在高驪東南大海中世修貢職高祖永初二年倭讚萬里修貢遠誠宜甄可賜除授”
ここにある「宋の永初二年」というのは421年です。国王高祖武帝は云います。
『倭国の王「讃」が万里はるばると貢物を持ってきた。そのような遠いところから貢物を持ってくると言うことは顕彰に値すろことだ。よって、称号を与えなさい』
と。これが宋書「倭国伝」の書き出しです。
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