“因此、以屢遊獵于日根野”
天皇が衣通郎媛のためにお造りになったのが「茅渟宮<チヤユノミヤ>」です。その場所が「日根野』です(泉佐野市日根野)です。だから、それ以後は
“屡<シバシバ>”
媛の居るに日野根に狩りをされに通っております。「屡」ですから、どのくらいの回数かは知れませんが足しげく通ったのは間違いありません。それを書紀には
“九年春二月幸茅渟宮、秋八月幸茅渟、冬十月幸茅渟”
と、たった三回を記しておりますが、“屡”ですから、もっと沢山尋ねているのではと思われますが????
その天皇が茅渟宮を訪ねることについて、その頃になると、皇后は思われるのです。
十年の春、正月に茅渟宮に天皇が幸<ミユ>記された時、皇后は申されます。
”妾、如毫毛、非嫉弟姬。然、恐陛下屢幸於茅渟、是百姓之苦歟。”
と。
「私は、あなたが、妹である衣通郎媛の処に通われることを、もう今では、妬む心は少しも起きません。しかし、そんなに“屡”通われると、あの辺りの百姓が苦しむのではないでしょうか???だから
“仰願<オフギ ネガワクバ>宜除<ムベ ヤメタマヘ>車駕之數也<ミユキノカズヲ>”
願わくば、もう少し茅渟宮に行かれる回数を減らしていただけないでしょうか」
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