雄略天皇の七年のことです。宮中でのことです。と言いますから、当時は、天皇の政治体制は絶対的な中央集権ではなく、吉備など夫々の地方の豪族たちと天皇の連立政権だったのです。その為に吉備の上道臣「田狭」も朝廷に出て行って大和政権の一翼を担っていたのです。
そんな政治の話が一段落したのでしょうか、休憩の時になります。集まった人々が夫々に自分の長所などを自由に話し合う非公式な雑談の時です。天皇もその場にはいません。豪族たちの放談です。その中で、田狭はさも得意そうに、自分の妻の事に付いて人々に、それも大きな声で話します。
「今、天下の一番の美人は(麗人<カオヨキヒト>と書いてあります)私の妻だ」
と。そして、その理由についても大いに自慢しております。「茂矣<コマヤカニ>綽矣<サワヤカニシテ>」と自慢しております。この田狭の自慢話が、その後、とんでもない方向に進んでいくということも知らないで、そこにいる豪族たちに大声で話して聞かせます。
さて此の続きはまた明日にでも。
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