また、メールです。
「中国の上巳節は、おめえが けえておるように 乙女たちが水辺に あつまってのう おしゃべりをするだけじゃねえど。 わけえ男たちにとってはのう この日は ものすごう ええきけえなんじゃ。わかっとろうが 水辺にあつまっとる そのおなごどもの なけえ 自分の気に入った ええおなごがおったら と めをひからしょうたんじゃ。 せえじゃけえ、そりょうしっとる おなごどももなあ、きれいにきかざってのう あつまとったんじゃ 。だから おなごたちどいつもこいつも ”淑且真”なんじゃ」
と。
このメールを頂いて思ったのですが、このような若い男女を結びつける機会を、ごく自然発生的にして、かつ 大人たちの意図的な作為もあったのでしょうか、西洋のバレンタイインの例もそうですが、世界中 どこでも、なんだかんだと小理屈を付けて 若い者同士の結びつきを深めるような機会を作っていたのです。
日本にも、万葉集の時代には、誠に、そんなことが本当にあったのだろうかと思えるような、摩訶不思議な男女を自然に結びつけるようなお祭があったのだそうです。また、「麗人行」より大横道に入って行きますそれは、例の高橋虫麻呂の「筑波嶺に登りて嬥歌会をする日に作る歌」に在ります。
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率<アドモ>ひて 未通女壮<オトメオトコ>の 行く集ひ かがふ嬥歌<カガヒ>に 人妻に・・・
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