杜甫は、彼の「麗人行」で、楊貴妃のはとこ楊国忠の生活ぶりを次のように詩っております。
”三月三日天氣新”
昔からの、当然、唐の時代にもですが、女性のお祭として、日本では「お雛祭り」に当たる、「上巳節」がありました。この日、女性たちが水辺に集まって足を水に浸け沐浴して無病息災を願ったという。その風景を、先ず歌って、「麗人行」の書き出しにしております。続けて、
“長安水邊多麗人” <長安の水邊 麗人多し> と。
長安の近くを流れている「曲江」の辺は、沢山の乙女たちが集まって、それはそれは大変賑わったのだそうです。
“態濃意遠淑且真” <態濃(こま)やかに意遠くして 淑且つ真>
曲江に集まった乙女たちは一人一人はみんなその「態<タイ>」、「姿形」は艶めかしく、「意<イ>」、「こころ」は奥深く、まことにやさしげです。淑<シュク>、しとやかでつつましく上品です。「真」、完全できよらかな美しい姿をしていたのです。そして、その乙女たちの体つきは
“肌理細膩骨肉均” <肌理細膩にして骨肉均(ひと)し
「肌理(きり)は細膩(さいじ)にして骨肉(こつにく)は勻(ひと)し」と読み下しております。
です。その肌は、細膩<サイジ>、何処までもキメ細やかすべすべしており、その骨肉(こつにく)、体つきは、勻(ひと)し、均整がとれているのです。
なお、「膩<ジ>」とは、皮膚が滑らかにすべすべしている様を云う言葉です。
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