ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

女殺油地獄

2020-08-27 18:37:29 | 日本の芸能
1週間はあっという間に過ぎる。昨日一日だらだら過ごす。録画しておいた番組が何十本もあり見きれない。感性も鈍るばかりでハートを鷲掴みにされる芸は珍しくそれでも毎週欠かさず見続けるのは年に一本でも素晴らしい演奏なり舞台なりに出会うとふつふつと喜びが込み上げるから。

去年渋谷で上演された杉本文楽「女殺油地獄」を観た。これまでも様々な文楽が放送されているけど興味をそそられることなく最後まで見ためしが無かった、が今回初めて文楽に魅入った。ネット時代ゆえ杉本文楽についてもたくさんの情報を得られるのでほんの個人的に感じた事のみつらつら書きます。

先ず竹本千歳太夫の声量、顔面一杯の筋肉が躍動する表情の迫力にこれは朗々と歌い上げるオペラ歌手そのものじゃないかと思いました。ここでハートが鷲掴みされました。ついで素浄瑠璃で三味線を弾く鶴澤清治、お顔が文楽の人形に似てるのね、太夫と違い殆ど感情をあらわにしないけれどその演奏の切っ先良い迫力、チェンバロ演奏を聴いてるみたいです。序曲は彼自身の作曲とのことで日本伝統芸能も常に時代とともに新陳代謝するんですね。舞台演出は現代アーチストの杉本博司、油桶は江戸時代の本物を拝借し、人形の足が地についてるよう見せるためこれまでは一直線上で演じられた舞台から隠し舞台を取り外し人形が自由自在に動き回れるように演出、以前の舞台と比べると2次元から3次元へ飛躍的に奥深さができ空間の広がりを感じさせます。



ネットで近松門左衛門の言葉に出会いました。

芸というものは虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあるものなり。(芸というものは、実と虚との皮膜の間にあるものなり)

しかりと思いませんか。私たちは毎日虚と実とを行ったり来たりしてると思いませんか。また実が虚であり、虚が実であると思うこともしばしばです。

さて本題の女殺油地獄、シネマ歌舞伎でも上演されてますが生身の人間が演じるのを直視するのは私には耐えられない、文楽という人形ゆえに殺しの場面も最後まで立ち会えると思いました。

これからカンボジアナレストランでお仕事、私は虚から現実に出向かうのか、それとも現実から虚に出向かうのか。老いと共に虚実が混濁してきてるような、、、











































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