
言いにくい忠告ほど急所を避けろ
言葉だけでは説得が不可能な状況もいくらでもありうる。例えば意地っ張りで融通が利かない相手に会ったり、自分の立場が不利な状況では、どんなに真摯な言葉も役に立たなくなる。
「ふん、今、私に言い訳をしようというのか、何だ。」
「あなたの立場ではいくらでもそのように言うことができるでしょう。ですが私には通じません。」
このように頑とした態度で出て来た人を説得しようとしたら、何よりも忍耐と機転が必要だ。
劇作家バーナードショーは説得の名手だということで通っている。
彼が自分が台本を書いた演劇を観に劇場に行った時だ。演劇が公演されている途中で、観客の一人が口笛を吹き続けていた。彼はこっそりとその人の横の席に行ってこのように聞いた。
「劇がつまらないようですね。」
「ええ、本当につまらない劇です。」
この言葉を聞いてショーはすぐにこのように言った。
「私も同感です。ですが私たち二人でこの多くの観客を相手にすることはできないではありませんか。」
口笛を吹いていた人はうなずいてすぐに静かになった。
ショーがこのように迂回的な説得をしたことは、相手に直接的に忠告することは、蜂の巣に手を出すのと同じだと判断したからだ。このように円満に説得が通じない相手には、直接的な攻撃を避けて周囲の他の環境を引っ張り出すことが効果的だ。
意見の対立がひどいほど論戦は意味がなくなる。人は誰でも自分が持っている考えが受け入れられないと、より意地を張っていく所がある。特に1対1の対話で互いに自己主張をする場合ならば、衝突を避けることができない。
一旦、対立が激化しはじめたら、互いが釘とかなづちになって打ち合って刺さっていくような結果を招く。だが、釘はかなづちで叩かれれば叩かれるほど深く刺さるだけだ。
「君はいったいなぜそうなんだ。」
忠告をするからと、いきなりこのようにでてくると、友達もよく受け入れることができない。
「どうして博打のようなことをやって周囲の人に心配をかけるんだ。」
「だから、俺が博打をするのに君が何か補ってくれるものでもあるのか。」
「何を言っているんだ。人を馬鹿にして。」
「先に馬鹿にしたのは誰だ。」
このようにしては、到底対話が不可能だ。どんなに親しい友達でも、自尊心を傷つける忠告は、このように敵対的な論戦に飛び火する危険がある。
忠告の方法には、フェチョリ(子供のふくらはぎを打つ細い木の枝)のような非難の言葉があると思えば、焚き火のような説得の言葉もある。フェチョリのような言葉は攻撃的で直線的な表現で人の心に傷を負わせるので、誰でも遠ざける傾向があるが、焚き火のような言葉は遠くにいる人も近づけさせる包容力を発揮する。
忠告をしようとするならば、フェチョリのように直線的な非難よりは、焚き火のような暖かい説得がずっと効果的だ。
相手があなたの直接的な忠告に逆らって来たら、説得に成功するのがむずかしい。先に相手の気分を適当に和らげて、次に第三者の場合を例に挙げて相手に同調させるようにしなければならない。
前に述べた話を他の方式でやってみよう。
「君、私たちの高校の同窓の○○○を知っているか。」
「もちろんだ。」
「あいつ、気苦労がかなりひどかったらしい。」
「何で。」
「ちょっと面白くて博打に手を出したらしいが、、、。」
「なんだ、家に何かあったのか。」
「何だか、奥さんが家を出たらしい。」
「、、、、、」
このぐらいになれば、しばし友達も言う言葉を失って自分の考えに浸るはずだ。あなたは適当な間を入れて本論に入っていけばいい。
「君にこんな話をするのが少しおこがましいんのだが、、、俺の立場ではとても心配になっての話だ。」
「、、、、わかっている。」
もはや、友達はあなたが火をつけておいた暖かい焚き火の近くに来ようとしているのだ。
もし第三者の行動に関して相手と自分の共感帯が形成されたならば、より説得に有利な目標を占領することができるようになる。相手があなたの意見に共感を表したということは、説得を受け入れる気持ちになっているという意思でもある。
話術の理論によれば、このような場合を「説得の背後」を攻略する方法と言う。
説得の背後を攻略する法
1. まず相手の気分を適当に和らげてやる。
2. 第三者の場合を例にあげて相手を同調させる。
3. 共に考えて、相手に意見を言わせる。
4. 暗示の言葉で相手の自発的な意思を誘導する。
5. 絶対に相手を戒めるとか、尋問するように言ってはならない。