弁当を洗う男
ガチャガチャ、、、
弁当を洗う音で騒がしいところがあります。
弁当を作って貧しい人に届ける「分け合いの家」です。空の弁当箱を洗っているたくさんのボランティアの中に、一人だけ目に付く男の人がいます。黒い顔にひどくやせた体、一目で病状が悪いように見えます。実は彼は胃がんの末期患者です。
他の人の助けを受けなければならないような彼が、分け合いの家で洗い物をしている理由は、自分の受けた関心と愛に恩返しするためです。
彼の妻が何年か前に脳腫瘍で亡くなった後、彼は3人の子供を一人で育ててきました。がんばって生きてきている中、体の調子が悪く病院に行って見たら、意外にも胃がんの末期を言う宣告を受けたのでした。彼は3人の子供が目に浮かび、一人泣きました。
「ううう、、どうしてこんなことに、、、。」
そうやって押し寄せる苦難はそれで終わりではありませんでした。医者があきらめるほどに悪くなった彼は、仕事をすることができませんでした。貯めていたお金が少しずつなくなり、子供たちの食事まで心配になるほど深刻になりました。成長期の子供たちは父親の懐は知る由も無く、おなかがすいたとダダをこねました。
「お父さん、おなかすいた。」
「全く、お父さんが余計、つらくなるじゃないか。」
これ以上仕事をする力も、子供たちに食べさせるお金もない貧しい家長になってしまった彼は、自分を死ぬほどに嫌だと思いました。子供たちに隠れてこっそり死んでしまおうかと妻に話かけました。
「なあお前、子供たちをどうしたらいいだろうか。」
そんなある日、彼の家に暖かい弁当が配達され始めました。困っている人たちに無料で分け与えてくれる愛の弁当。それは彼と子供たちにとって新しい希望でした。空腹に疲れた子供たちに、その弁当は世の中のどんな食べ物よりもおいしかったのでした。
「わあ、もうひとつもらってはダメですか。」
「いっぱいあるから、もっと食べていいのよ。」
一寸先も見えないぐらい真っ暗な子供たちの心に、一筋の光になってくれた人たち。彼はその愛に少しでも恩返ししたかったのでした。だから、分け合いの家を訪ねて手伝わせてくれと懇切に頼みました。
「私の残った人生を他の人のために生きたいのです。」
一人の力では立っているのさえ大変な末期がん患者。それでも彼は苦痛に耐えながら毎週一回洗い物をしに分け合いの家に来ます。分け合えば分け合うほどに大きくなる愛の力を知っているからです。