足を洗ってあげる父

数年前、交通事故で夫は身体障害者になりました。
右側の手足が麻痺して健康な体と平凡な暮らしをすべて失いました。
「えっ、主人の右半身が麻痺したって。」
当時、私のおなかの中には私たちの一人目の子供が育っていました。なぜ、よりによって私たち夫婦がこんな目にあわなければならないのかしら、、、私たちは無常な天を恨みながら苦しく1日1日を送っていました。
「すまない、本当にすまない、ううう、、、」
夫は終わることなく自分を責めました。その時は、私たちの不幸が永遠に続くように思われました。いつしか夫の障害は私たちの日常になりました。夫も体と心を安定させ、以前のように一生懸命生きています。夫が病床から起き上がって元気を出して生きていくことだけでもありがたいのに、いつの頃からか子供たちの足を洗ってやり始めました。麻痺した右側の体を壁によりかけて、左手で足を洗う姿はとても大変そうに見えましたが、何か深い意味があると思って、わざと知らない振りをしました。ですが2ヶ月過ぎて、我慢できずにその理由を聞きました。
「あなた、なぜ毎日夕方に子供たちの足を洗ってあげるの。」
「俺は他のお父さんたちのように子供たちと走り回って遊んであげることができないじゃないか。だから元気に走り回れと子供たちの足でもきれいに洗ってやりたいのさ。」
夫の答えを聞いて胸の片隅が熱くなりました。脇を支えられるか壁をつたわないと動けない体で、子供たちの足だけは自分の手で洗ってやりたいという夫。それだけでも大きな祝福だと思う人。
夫は一緒にいることだけでも力になる私たちの家の家長です。時に、私に辛くないかと聞いてくる人もいます。その度、私はこう答えます。
苦しくて大変だと。だけどその辛さの中に人生に感謝する心を学んだと、大事な家族に対する愛をもらったと。