退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

秋田の言葉

2015-07-12 07:03:14 | 秋田
さらげ

今年83才になる母に韓国語を教えました

弟の嫁が母にはがきを書き、その最後に一言「サラゲ」と書いたのがきっかけ。
韓国語を知らない母は「サラゲ」

ちなみに秋田の言葉で「サラゲ」というときは
「おめみでんたものは、くたばってサラゲ」とか、「死んでサラゲ」
というようにくたばれ、死ねを強調するように使います。つまり何をやっても救いようのない人に「あなたのような人は死んでしまいなさい。」と捨て言葉のように言います。

また、「クソサラゲ。」というような使い方をして「どうでもいい」という感じを表します。

そういう状況があって「サラゲ」といわれた母は、嫁に死んでしまえといわれたような、、

たまたま電話した私に、「マリちゃん(弟の嫁)がら、はがぎっこきたども、こさ、サラゲ、ってかであらたども、なにサラゲ、っていわったべが、、」(万理ちゃんからはがきが来たけれども、「サラゲ」と書いてあるけれども、なにサラゲって言うのかしら、、」印象としては悪いことを言われたような感じでした。

韓ドラ好きの嫁はハングルの勉強はしていないのですが、ドラマによく出てくる簡単なフレーズはわかるので、彼女なりに母に「大好き」といいたかったのでしょう。それを母に説明しました。

私は大いに受けました。嫁のおかげで笑えました

それで今度嫁さんから電話があった時に、

「チョア、チョア」といってやるように言いました。

何かに驚いた時、秋田では「ワイ」といいます。「ワイ」言う代わりに「オモ」と

一生懸命メモしていたけど、言えたのでしょうか
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幸福な世界 7

2015-07-12 06:57:42 | 韓で遊ぶ


手術の後の約束
医科大学の頃、私は医学の勉強に全く関心のない学生でした。
医学の勉強は全く私の適性に合わないと考えたからでした。私は医大生でありながら、主に文学や芸術に関連する本を楽しんで読んでいました。ですが、医大生なので臨床実習は避けることはできませんでした。私の人生で最も辛い時期がまさにその時でした。
「あ、本当に実習が嫌だ。一体なぜこんな勉強を無理やりにしなければならないのだ。」
早くに精神科を選択した私は、不必要だと思う実習は大まかに済ませました。実習期間も、友達の後ろをちょろちょろとついて周り、外科の教授の目に止まらないようにあちこち逃げ回るのに忙しかったのでした。重要な外科の講義ものろのろと大まかに聞いて済ませました。その日も私は講義の時間中、小説を読んでいました。ですが、授業が終わりの頃になって教授が意外な話をしました。
「普段、楽しく読んでいる医学の雑誌でとても印象深い文章を読みました。手術のある日には絶対に約束を入れるなという内容でした。」
教授はその文章を読んだ後、今までただの一回も手術のある日に約束を入れたことがないと言いました。
「医者になる気持ちが少しでもあるのなら、今日私が話したことを覚えておいてください。」
生命を扱う医者には、どんな小さな失敗も決して許すことはできないという医者の使命感と精神を強調する言葉でした。自分の生活は後に回して患者にだけ集中する教授の信念も垣間見ることができました。教授の言葉は、たくさんいる学生の中でも、特に私に向って話した忠告のように聞こえました。名医は、技術だけでなく、本当に患者を思う気持ちを持つことが根底にあってこそできるものだということを、その日今さらながら悟りました。
今、私は外科ではありません。今、精神科の医者として生きていますが、患者と向かい合うたびに教授の言葉を思い出します。人の痛みを治療するために私が任されたことに自分の全部をかけて集中する心、今日の私があるのは大切な教えのおかげです。
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