KIRAKUjin~ Let's enjoy "Photo" together ~

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☆光と影の魔術師☆

ヨットハーバー夕景 〜new year's eve〜

2018-12-31 23:32:57 | 街頭スナップ


いわゆる 大晦日である

さんざんこのブログをさぼっていて 知人から指摘され
あっ そういえば と久しぶりに自分で観たら なんと一年以上も・・・
撮影そのものをさぼっていたわけではないので まあ いいかということで

とりあえず 今日は2018年の撮りおさめ
遠くへは行けないので できるだけ 定点撮影で

Nikon Z7 + Af-S Nikkor 85mm f.1.8G

ニコンの85mmは AiとAf-SのDタイプの いずれもf.1.4を愛用していた
しかし Nikon Z7がせっかく取り回しに優れているので Afで軽量の85mmがぜひ欲しくなった
Z nikkorの85mmは2019年に発売予定であるので Af-S Nikkor 85mm f.1.8Gを購入し 純正アダプターで使用した

使用レポートはまた改めてするとして 作例はこのようはものである




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フルサイズミラーレス到来 Nikon Z7 礼賛!

2018-12-30 16:37:55 | 街頭スナップ


Nikon Z7 + Af-S Nikkor 85mm f.1.8G

ミラーレス機をメインに使うようになって久しい。
初号機のパナソニックのLumix G1が2018年秋に発売され、京都の紅葉撮影に使用し、ミラーの無い軽妙な撮影感に将来の可能性を感じた。
その後、オリンパスPenやOM-Dシリーズに魅了され、ライカマウントレンズに没頭し幸せ?な10年間を過ごした。

しかし世の評価はミラーレスに対する不当な評価も一部にあり、初心者向きとか、一眼レフこそ至上とする心無い、明らかに知識や理解不足とされる発言も散見されたものだ。
そもそもフィルムの時代から一眼レフのミラーなど、できれば無い方がよいのであった。
撮影時のブラックアウト、動作による振動、とくに広角レンズの設計の不自由さなど。
仕方ない部分ではあるのだが。だから遥か昔から、ハーフミラーなど試行錯誤があったと言える。

デジタル一眼が出現した時から、センサーが撮影前と撮影時の両方の情報を捉えられることに気づき、どこか早く開発してくれないかなと。
ゆえにマイクロフォーサーズの出現は、まさに時代をリードするものと感じた。

フルサイズのミラーレスは、ライカやソニーがカバーしてくれたが、ライカは所有したもののランニングコストの問題および、デジタル部分の弱さがしっくり来なくて。
ソニーはとても良いカメラだし、私の写真人生のルーツたるミノルタの末裔のαではあるのだが・・・誠に申し訳ないが、ソニーにはカメラ以外の機械の故障や対応で運が良くなさすぎて、とてもカメラも使う気になれなかったのである。これはあくまでも個人の問題であり、ソニーを非難するつもりはさらさら無いので、くれぐれも誤解なさらないように。

ニコンとキャノンは日本の一眼レフの両翼を担う存在であり、また積年のライバルでもある。
ミラーレスについては両社とも、メインに据える気は当初無かったのであろう。
キャノンはAPSのEOS Mを。ニコンは1型センサーのニコン1を開発した。
EOS Mは2018年にいよいよKissの名を冠し、販売的には成功を収めたといえる。
方やニコン1は同年、ひっそりとその幕を閉じた。

ここでニコンのミラーレスについて、少し言及しよう。
ニコンは最初の一眼レフたるNikon Fから、Fマウントである。私が書くまでもなく、この伝統のマウントは、ニコンのニコンたるアイデンティティーであり、また足枷でもあった。
ミラーレス機をニコンが最初に開発するにあたり、極めて異例だが、ニコン1シリーズとして小型の新マウントを与えた。
現在のセンサーの性能を考慮すると、マイクロフォーサーズや1型センサーは、私にとっての写真らしい写真を撮れる、必要最小限のセンサーである。
ボケも表現できるし、何よりレンズが小型化できる。
その点フルサイズ、もっと言えばAPSより遥かに有利である。OMシリーズから受け継がれたオリンパスの優位性は偉大なものだ。
ニコン1もこの点、非常に期待的であり、望遠や連写性能は一眼レフを上回るものがあり、鉄道や野鳥の撮影など有利な部分が多々あり、その終焉を惜しむ声が多かった。かくいう私もそのひとりである。

意識はしていなかったが、欲しかったもの。私にとって、きっとそれはニコンのフルサイズミラーレスだったのだろう。
一眼レフから10年近くも離れてしまった私にとって、それは久しぶりに心の底から、自分でも忘れていたニコンへの郷愁と期待と特別な思い(我々の世代はニコンは神なのだ)を呼び覚ました。
Nikon Zはそういう意味で衝撃的だったが、その直後にほぼ同時に、キャノンがEOS Rを発表したのにも驚かされた。キャノンは新製品でいきなりのキャッシュバックである。
しかしキャノンさんよ。F2とF-1の頃から、越えられない壁があるんですよ。40年経ってもね。

今回、ニコンは高画素で画質重視のZ7と、連写速度や高感度重視のZ6という選択肢を我々に与えてくれた。キャノンはバランスに優れた一機種のみである。
私の使用目的からは、高価だがZ7が合目的である。
しまいこんであったFマウントレンズを引っ張りだしてきた。それぞれ思い入れがあり、勝手知ったるレンズ達だ。
Nikon Z7を幸いなことに、発売直後に入手することができた。評価記事を連日のように目にする。
SDカードじゃないとか、ダブルスロットじゃないとか、私はプロじゃないから(笑)何も不利益はない。
まずは既存のFマウントレンズで、ニコン本気の、Zシリーズで撮影できる幸福を、写真の神に感謝しようではないか!

注) 今回の投稿内容はあくまでもニコンに永年魅せられた筆者が、時代の波を読み切れず、ソニーなんぞにフルサイズミラーレス機で後塵を拝しまくったニコンへの恨みつらみと、やっとZ7を入手し、のぼせた頭で綴った戯れ言であるので、過激な表現をどうかご容赦願いたい。

Nikon Z7
Af-S Nikkor 85mm f.1.8G
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2017年の秋は奈良へ・・・

2017-09-17 21:51:41 | デジ一眼+純正レンズ
 昨年の秋は足の骨折で、ほとんど撮影ができなかった。
 そのせいもあろうが、今年の秋はとくに、じっくりと写真に向き合いたいと願っている。
 できれば毎日撮りたいが、なかなか、そうは時間が許さないのだが(笑)。

 もう何年も秋は京都に魅せられて、秋を追いかけてきた。偶然に近い状況でふと、立ち寄った南禅寺の境内。見たこともない紅葉に驚き、私の中で何かが弾けた。秋だけでなく様々な季節、様々な場所を訪ねた。それぞれに素晴らしく思い入れも深く、もちろんこれからもずっと、追い求めて撮影していくだろう。

 京都の華やかさ、荘厳さ、まさに見事な錦秋の秋・・・
 しかし今年はもう少し、仄かな秋を感じたい。緩やかに、気持ちよい風を感じて、追い立てられることなく、のんびりと感じたい。

 久しぶりのブログアップである。そんな気持ちの写真を、まずはアップしたい。
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光悦寺と光悦垣 ~本阿弥光悦~

2016-06-05 23:09:37 | デジ一眼+純正レンズ

 本阿弥光悦の名前を知ったのは、吉川英治氏の「宮本武蔵」を学生時代に読んでから。
 それから幾星霜が過ぎ、京都に魅せられた私は偶然に光悦寺の存在を知り、その名前に惹かれ、ある日訪れた。
 そしてそこは、星の数ほどある京都のお寺の中でも、私の筆頭のお気に入りになり、各季節に数えきれない程、訪れることになるのだ。

 千本通を北に車で走り、千本ゑんま堂からさらに北上、佛教大学を越えた辺りから、さらに坂が急になっていく。
 『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。

 本阿弥光悦は、「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった。
 現代でいうならば、マルチアーティストであり、芸術のプロデューサーでもあったのだろう。徳川家康に与えられたこの地に、芸術村を創ることになる。

 光悦が没したのちに、この地は寺となり、現在の日蓮宗・光悦寺になっていったとのことである。

 京都の有名寺院と言えば、清水寺や金閣寺や龍安寺など。大きな建物・広大な敷地・禅の枯山水など。あちこちで記念写真を撮り、土産物を買い求める。
 いかにも一般的に喜ばれる、「京都らしさ」を楽しめる場所が多い。

 光悦寺は縦に細長い敷地で(それはそれで京都らしいともいえるが)、間口が狭くて入口がわかりにくい。
 しかしまず魅せられるのがその入口から。もみじのトンネルに包まれるように、石畳の細い道を進んでいく。
 大徳寺の高桐院にも同じように直線的な入口からの参道があるが、私は光悦寺の方が、遥かに好みだ。
 私のここでの撮影回数・枚数は、枚挙に暇がない。どれほど魅せられてシャッターを切ったかわからない。

 ここから小さいが良い佇まいの鐘楼を越え、いつも丁寧な応対の入口を通ると、右手に本堂があり光悦翁の座像がある。
 ここから右に池を臨みながら木立の中を歩く、季節により、蛙の鳴き声が楽しめる。
 直線を抜けると正面に、光悦垣が見え始める。

 光悦垣とは光悦翁の考案で、菱目に編んだ垣と、矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻き、玉縁としている。
 一般的なものは垣が平面的で、天端の片端が円弧を描いて終わっていますが、光悦寺のものはスケールが違う。
 垣自体が非常に大きくて長く、入口から見て、天端は目の高さ位から、徐々に低くなっていくのだ。
 さらに根本的に異なるのは、湾曲を描いているということ。
 つまり、湾曲を描きながら、徐々に低くなって行く・・・ このバランスが絶妙なのである。
 どこまでも続くような錯覚を覚える程に、実際より遥かに長く長く感じられるのだ。

 これを設計した光悦翁は、独特の宇宙観すら、持っていたのだと推察する。当時はもちろん、写真とういメディアは無い。
 しかしどこからともなく、この空間を写真で表現してみなさいと、問われているような気がしてならない。
 ゆえに訪れる度に、さまざまな試行錯誤と写真表現を行うわけだが、これが楽しくて仕方ないのだ。

 茶室をいくつも過ぎて、奥まで到着し、せせらぎを聴きながら腰かける。そして鷹峯を間近に臨む。
 決して広くは無いが、私にとっては撮影スポットの宝庫であるし、その場に居るだけで、高揚したり落ち着いたり。
 せっかく訪れても、何もないじゃないかと、すぐに帰ってしまう方も散見する。それはそれで、いいのだと思う。
 でも私にとって光悦寺は、何度訪れようとも決して飽きない、大切な場所なのである。
 


 光悦寺への感謝と思いから、ついつい綴ってしまった。
 ここらで、写真の話をしておかなくては(笑)。
 でも詳しくは、次回にしたいと思う。
 今回の写真は、光悦垣に向かって右脇に、いつも茂って咲く萩のこと。初夏になり、まだ軟らかで可愛い萩が生え始めたのだ。
 その優しい佇まいを、光悦垣とともに撮ってみた。
 機材は前回同様。X-Pro2 + XF 18mm F2である。
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富士フィルム X-Pro2 + XF18mm F2R with ACROS

2016-06-05 19:35:18 | デジ一眼+純正レンズ
「ご無沙汰しています」
 自分のブログに対して、こんな言葉を投げかけるなんて、嘆かわしい限りである。
 かつては自分の写真への、ある時は機材への(こっちがメインか)想いを綴っていたが、いつしか疎遠になってしまっていた。
 でも自分の写真への関わり、そしてその軌跡は、ここに存在するのだから。今一度、綴っていきたいと願っている。
 決して写真と疎遠だったわけではなく、いやむしろ、写真にさらに深くのめりこんでいたのだが。時間が無いばかりでなく、綴る心境に至らに日々が過ぎていった。それが実情かも知れない。

 前置きはさておき、KIRAKUjinブログの久々の復帰のテーマは、大命題?である、「単焦点レンズ考」である。

 1980年代に入るくらいまでは、一眼レフを買うときに選択する標準レンズは大抵、50mmであった。
 その中で開放絞り値で価格に差があり、通常はF1.4が一般的。廉価版としてF1.8、高級版としてF1.2がある。当時はそんな認識だった。
 2016年の現在は、カメラに付属する標準レンズとしてはズームレンズが殆どだろう。しかし昔は、ズームレンズは重い、暗い、描写が良くない。そんな評価のレンズだった。
 実際ニコンやキャノンが、比較的廉価の標準ズームを発売し始めた頃だったが、確かに現在の標準ズームとは比較にならない。ボケは汚く、周辺は画像が乱れ、渦巻く。
 高級ズームとしては、当時まだ珍しかった非球面レンズ(モールドでなく研削)を使用しているものは、まだ描写が良いものもあったが、下手するとカメラより高価であった。

 「ズームなのに単焦点並みの描写・ボケ味」など、当時はよくキャッチフレーズに使われたものだが、先日あるメーカーのズームの宣伝文句を見ると、いまだに同じことが書かれていた。
 もうズームだから云々・・・という時代ではないのだろうが、そんなイメージは、ずっと残り続けるのかもしれない。

 あらためて基本用語を整理しておくと、レンズの焦点距離は、短いものから長いものまであるが、短いものは広角、長いものは望遠に区別される。
 昔は設計技術の関係で、1本のレンズの焦点距離は決まっていて、変更はできなかった。焦点距離の変更には、レンズ交換を要した。
 しかし技術の進歩で、焦点距離可変のレンズが誕生した。それがズームレンズである。レンズ交換しなくても、指先ひとつで焦点を変えられる・・・
 もう単焦点など、必要ないのではないか。そう思えそうだが、実際はそう簡単ではないのだ。

 一般的にズームレンズはレンズ構成が複雑であり、大型になりやすい。そして開放絞り値が、暗くなりがちなのだ。画質は素晴らしいものもあるが、そうでないものもまだ存在する。
 逆に単焦点はレンズ構成が比較的単純で、小型軽量化しやすい。標準領域の35-50mm程度であれば、廉価でも開放絞り地がF.2よりも明るいものが多い。
 ゆえに撮影スタイルがある程度決まっていて自分に向いていると思えば、単焦点は今の時代でも、常用レンズとして使えるのである。

 私の撮影スタイル(あくまでも私個人のレベルに限定)は、カメラは特別な日の存在ではなく、毎日携行する、自分の眼の延長・身体の一部である。
 そして撮影対象は、日本が誇る絶景でもなく、高速で走る鉄道でもない。写真教室など集団行動は苦手で、主に通勤の途中の街中や、時間があれば車で1時間くらいで移動できる場所ばかりだ。
 よって機材は、小型軽量であればあるほど望ましい。小さな通勤鞄に放り込めれば、それが理想なのだ。

 絶景をライフワークにされてる方なら、大型の一眼レフを複数。場合によりフルサイズとAPS。レンズは超広角から標準ズーム、望遠ズームなど。それも赤帯とかついた高級・高性能なものを複数本必要になるだろう。
 そしてブレ防止や、場合によっては場所取りのため、大きくてしっかりとした三脚も必要になるだろう。現地でパソコンですぐに画像を確認する方もいらっしゃる。
 そんな諸々のものを詰め込めばおそらく、はたから見れば、今からエベレスト登頂を目指すのか、といったスタイルにならざるを得ない。
 鉄道写真なら脚立が必要な方もいらっしゃるので、小さくてもワゴンタイプの車が必要になる。
 そうした努力があって、素晴らしい写真が生まれるということも、決して忘れてはいけない。

 ただ私が選んだ写真の道に必要な機材は、カメラ一台(それもミラーレス)、単焦点レンズ1本。予備のSDカードとバッテリ。ただそれだけである。
 交換レンズは基本持たず、外に出てしまえば、レンズ1本で撮影(勝負)することになる。出かける前に、その日の自分の「眼」が決まるのだ。
 単焦点レンズへのコダワリはただならぬものがあるので、それは別の機会にするが、少しだけ列記しておく。

 ・戦前、とくに70年以上前のノンコートレンズ。
 ・第2次大戦前後のレンズ。1960~1970年代ごろのレンズ。1980年代以降のレンズ。
 ・メーカーによる差。ツァイスやライカの描写の違い。ニコンやキャノンなど国内メーカーの差異。とくに1970年代を境に。
 ・レンズの硝材や設計による違い。オールドで鉛使用など特殊素材を使用したもの(放射能レンズは私は倉庫の奥にしまってあるが)。
 ・絞りによる画質やコントラストの変化、周辺光量低下の度合い。そしてもちろんボケ味(収差に基づく)。
 ・などなど

 おそらく列記すればそれだけで、数十を越えて、百番台に入ってしまうのだろうが、いずれ言及してみたい。

 単焦点レンズの選択今回は単純に述べると、本来の35mmフィルムの画角で、28・35・50・75・80-90・135mmくらいまで。
 そのあたりが、私のレンズ選択枝になる。例外としてマクロレンズ。これは単焦点の、これも別分野でじっくり綴りたい、最重要レンズのカテゴリーだ。

 今日の作例のレンズは、現代の国産レンズ。18mm F.2のスペック。APSサイズのミラーレスに装着するので、画角はほぼ27mmで、かつての広角に相当する。
 現代の、建物が大きくて多様化した街のスナップには、最適の標準レンズとも言える。
 このレンズの利点は、最短撮影距離が比較的短いこと。発売して数年のレンズだが、同年代の単焦点に較べると、絞り開放での描写は軟らかくて優しい。
 コントラストも強くなく、むしろ階調は豊かなようである。
 この画角なら街頭スナップ時は、ライカのようなレンジファインダーで、素早く切り取りたい心境になる。
 逆に最短撮影距離周辺での撮影なら、ボケの程度や色調など、液晶ビューファインダーでじっくりと確認したい。

 ミラーレスの超広角レンズは一眼レフのように、撮像面から距離をとる必要がない。
 ゆえにレンズ設計はレトロフォーカスタイプではなく、撮像面(センサー)ギリギリまで、後玉を持ってこれる。この方が設計に無理がない。
 レンズは小型で薄く、かつ歪曲収差が非常に少なくて済む。単焦点でもそうであるから、ズームの18mmなら、推して知るべしである。

 前述したように私の場合、「カメラは特別な日の存在ではなく、毎日携行する。」である。
 18mm F.2のレンズをミラーレスに装着すれば、レンズの厚みも薄いので、非常に携行しやすい。スナップには最適の画角だし、ビルなど建物も歪曲が少ない。
 開放絞り値は明るく、暗所撮影にも向いている。最短撮影距離が短いので、本格的な近接撮影は無理なものの、疑似マクロ的な撮影は可能だ。

 今回の機材は富士フィルムの、X-Pro2 + XF18mm F2R。
 レンズの描写もさることながら、X-Pro2に初搭載のフィルムシミュレーションである、ACROSをどうしても試してみたかったのだ。
 本来カラーのセンサーでモノクロを表現するのは、画素の処理上無駄が多く、苦手分野だと言える。
 それゆえに、ライカはモノクロ専用機である、M-モノクロームを開発したのだが、いかんせん高価である(100万円以上)。
 もともとライカのズミクロンよりは、おとなし目の描写である、エルマーやズマロンの方が私は好きなタイプである。
 とくにエルマーはライカの原初のアナスティグマットと同じ設計であり、3群4枚のシンプルなテッサータイプのレンズ構成を持つ。
 私がデジタルのモノクロに求めるのもこの路線なので、コントラストは決して強くなく、階調表現が豊かで、どこか優しく懐かしい描写が好みだ。
 評判の高いACROSだが、少しコントラストなどは弱めた設定に変更している。
 カメラの画像エンジンでねじ伏せるような現代の一眼レフの描写ではなく、レンズそのものの描写の味わいを、カメラ側がふくよかに受け止めてくれるような、そんな感じを抱かせる写真が好みなのだ。

 久々のブログ復帰なので、ついつい綴ってしまったが、これでもまだ書き足らないくらいだ。
 次回更新は、早めにできればと願っている。

 今日の作例は、京都・鷹峯の光悦寺から。
 ここは何もないと思えば、二度と訪れない場所。しかし私のように魅力を感じてしまえば、数えきれない程、訪れることになる場所。
 洛中から離れた静かな佇まいと、細やかで繊細な季節感、そして淡い光・・・ その機微を捉えるのが、私の写真だ。
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28mmレンズ黎明 ・・・ Leitz Hektor 2.8cm F6.3

2015-03-01 19:20:30 | ライカマウント

 1935年代といえば昭和10年、カメラ・レンズがどのような時代的側面を持っていたのか、想像すると興味が尽きない。
 明るいレンズは高速レンズと呼ばれ、軍事的にも重要な要素を持ち、広角レンズも非常に設計が難しく、これもまた上空からの撮影などの意味もあったと考えれれる。

 摩天楼が立ち並ぶ2010年代、街頭スナップひとつにしても、かつての35~50mmが主体ではなく、28mmいやそれ以上の広角でも、十分成り立つ焦点距離であろう。
 RICOH GRのように銀塩からデジタルまで一貫して28mm単焦点を貫く機種もあり、またズーム主体のいわゆる通常のデジカメも、28mmスタートは珍しくない。最近のスマートフォンも30-35mm換算が多いので、28mmは少し広いが、決してかけ離れた画角ではない。
 すなわち現代においては、28mmは珍しくない画角といえる。

 ただし昭和初期に、このようなレンズは極めて特殊な超広角レンズであり、設計・製造は非常にッ困難を極めたようである。
 さらに広角の21mmに関してはLeitz社も、巨大コンツェルンであるツァイスによるBiogonなど、超高性能広角レンズの前には、ベレークの設計の今回のHektorでは勝負できず、シュナイダー社のSuper Angulonに頼らざるを得ないという、負の歴史がさらに続くことになる。

 話をHektor 2.8cm F6.3に戻そう。Leitz社のマックス・ベレーク設計の黎明期ライカのレンズのひとつ。レンズ1本で当時の日本の庭付き一戸建てに相当するのでは、という話があるくらいで、おそらく所有できたひとは国内では数える程であったろう。
 日本でいうD型ライカなどに装着し、外付けファインダーを使用しても、レンズキャップに近い外観で、目測でも迅速に合焦できることから、速写にも向いていたと考えられるが、この開放F値の暗さからでは、薄暗くなれば手持ちはまず不可能である(後継のSummaron 2.8cmでも 開放はF5.6)。

 28mmに関してはかなりあとの時代の、銘玉 Elmaritの登場を待たねばならない訳だが、M型ライカとの相性は抜群だが、当時のバルナックライカなら、Hektor 2.8cmは装着して置いておくだけでも、風格が漂う。

 ミラーレスの時代の現代。もはやISOはフィルム時代の100倍で、とても夕暮れ以降は手持ちが不可能だったHektor 2.8cmを、夜の雑踏に持ち出すことが可能になった。
 造られた頃はデジタルはおろか、カラーフィルムすら想定されなかった時代のレンズであるが、それがカラーフィルムの時代を越え、デジタル黎明期を越えていく。

 この旧いレンズが本来持つ、素直な描写をそのまま写すこともできるし、デジタルフィルターなどを使って、さらに豊かな描写を表現する素材としても十二分に使える。
 しかも手のひらサイズのミラーレスに装着すれば、当時小型ゆえに驚愕と羨望の的になってであろう、バルナックライカよりさらに、小型軽量を楽しむこともできるのである。

 いつでもどこでも取り出して、その威力を余すことなく、発揮したくなる・・・
 ぜひ鞄に忍ばせて、毎日持ち歩きたくなるレンズだといえよう。


Leitz Hektor 2.8cm F6.3
Panasonic Lumix GM5
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朝の光に誘われて・・・

2015-02-08 03:29:24 | ライカマウント

 早朝の日差しは横から差し込むから、とても不思議な様相を見せてくれます。
 人の営みが始まる前の、粉塵の少ない光の中は、夕焼けとは違う澄んだ印象です。
 そんな時、お気に入りの海に出かけて、お散歩するのは至福の時といえます。

 お供はもちろん、小型のミラーレス。しかも小型のレンズを付けて、できるだけ小型軽量に。
 そういえば、かつての銀塩一眼レフ華やかし頃。1970年代の後半は、質実剛健で大きな一眼レフから、小型の一眼レフに時代が移行していきました。

 あれから数十年が経ち、デジタル一眼レフが台頭しました。
 しかしミラーを無くしてしまおうという、素晴らしい発想から生まれたミラーレスは、カメラを1970-80年代の、銀塩MFカメラの大きさまで縮小してくれました。

 銀塩の頃、ペリクルミラーなど、一眼レフのミラーをどうにかしたいという技術はあったものの、ミラーレス一眼はデジタルの時代を待たねば、達成できませんでした。

 ミラーレスならファインダーがあっても、EVFのことが多いので、色の変化や露出の変化など、ファインダーですべて確認しながら撮ることができる・・・

 いったい誰が言ったのでしょう。ミラーレスは一眼レフより下の、初心者向けだなんて。
 あくまでも目的が違うだけ。自分の撮影スタイルで、選べば良いのです。



 FUJIFILM X-E2
 LEICA ELMAR-M 50mm F2.8
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Nikon Df と云ふカメラ

2014-09-21 22:52:27 | デジ一眼+純正レンズ
 私のデジタル一眼歴の始まりは、思えばNikon D100であった。
当時のニコンの記録を辿れば
D100本体セット 2002年6月22日発売 希望小売価格 300,000円(税別)
となっている。奇しくも現在のNikon Dfと同程度の価格だ。

 あれからもう、12年も経つのか・・・と思えば感無量だが、
当時Nikon D100を所有した衝撃も、相当なものだった。

 デジタル専用レンズなどまた無く、銀塩用のニッコールレンズから私なりに
これぞ、という1本を選び出した。それが、Ai AF Nikkor 35mm F2Dだった。
まだGタイプは1本も発売されておらず、APS用のレンズも無かった。

 しかし、D100とAi AF Nikkor 35mm F2Dは意外にも相性が抜群で、
当時の私にとって、その画角や美しい描写に、すっかりハマってしまった。

 それからニコンはもとより、各社のデジタル一眼を使い、さまざまな
レンズを試し、そしてオリンパスPENデジタルの出現からは、ミラーレス機を
自分のメイン機種とし、デジタル一眼はNikon D700を最後に、購入を止めていた。

 光学ファインダーは確かに美しく使いやすいのだが、EVFの進歩は目覚ましく、
色調の変化など、光学ファインダーでは成し得なかった機能の出現に、
絵作りに不可欠な要素となってしまったので、現在のメインはOM-Dなど、
優れたEVFを有した機種である。もはや私にとっては、デジタル一眼は、
ある意味、忘れ去られた存在であった。

 だが揃えたニッコールレンズ資産を、最も効果的に利用できる
カメラが出現した。他ならぬNikon Dfである。

 このカメラが発表されたとたん、欲しい!と痛切に思った。
ただ事情が重なり、無視せざるを得ない・・・ という状況であった。

 しかし最近、在庫が少なくなってきており、多少価格も下がっている
情報を掴んでしまうと、俄然、使ってみたいという欲が抑えられなくなった。

 Nikon Dfというカメラ・・・ 明らかにノスタルジック路線である。
正面やや斜め上から見れば、明らかにNikon FEのデザインを踏襲している。
Nikon FEとは1978年に発売されたニコンの絞り優先一眼レフ。
キャッチフレーズは、シンプルニコン・・・ ニコンの隠れた名機。

 当時のニコン最高機種は、Nikon F2 Photomic AS。あのNikon F3の
発売直前であったと記憶している。フォトミックファインダーとは、
カメラボディそのものは機械式カメラであり、着脱可能な
ペンタプリズム部分に、TTL露出計を組み込んだものである。
今にして思えばかなりギミックな過渡期の機能だが、Nikon F3が
プロ機種として初めて電子シャッターを採用したことで、一部のプロから
ニコン最高機種に電子シャッターなど何事か、いますぐF2を再発売せよ、
などと記事が出るほどの衝撃、まだそんな時代であった。
まあ遥か後に、ライカはM6からM7で、同様の評価を受けるのだが。

 Nikon FE発売の直前は、カメラボディにNikonと冠するのはプロ機である。
そんな風潮が残っていた。アマチュア向けの廉価版は、Nikomat。
そういったイメージであったと解釈しって間違いではあるまい。

 Nikomat ELが電子シャッターを採用したニコン初の一眼レフであるが、
この電子回路が後に、Nikon FEに基本的に採用されている。
Nikomat ELは、当時連写一眼として名を馳せたCanon AE-1に対抗して、
Nikon ELWとしてワインダー対応となった。Nikomatの終焉である。

 Nikon FEは、ニコンの一眼レフを親しみやすく、ただしニコン独特の
操作性や堅牢さは落とすことなく、そういった立場で作られたカメラである。

 当時のキヤノンはすでにA-1を、ミノルタはXDを、すなわちデュアル方式や
プログラムオートを投入していた。オリンパスはTTLダイレクト測光で
先手を打っていた。それに比較して、Nikon FEは、飛びぬけたスペックでは
無かったのだが、いざ手に持って操作してみると、他社と明らかに異なる
ニコンらしさを纏っていた。

 Nikon FEは、先行していたNiko FMの系統も含めて、ニコンでも親しみ易い
ラインアップを形成して、最終の完成形、Nikon FM3Aまで続くことになる。
機械式シャッターに合わせて電子シャッターも備えたこの機種は、現在も
中古市場で人気機種となっている。

 ジウジアーロの赤ラインのF3、その発売直前に発表されたFEに、
現在のニコンをイメージさせる、グリップの赤ラインは、無い。

 今回取り上げたNikon Dfも、Nikon FEを踏襲したせいか、赤ラインは
存在しないのである。

 大きさも字体も、当時に似せたシャッターダイヤル。軍艦部右には、
ISOダイヤル。当時だったらその上は巻き戻しダイヤルであるが、
それに似せたデザインの露出補正ダイヤル。
シャッターボタンやロック解除も当時を踏襲し、巻き上げレバーの軸が
あった部分には、露出モードダイヤルという念の入れ方だ。

 そのNikon Dfに私が選んだレンズは、Ai AF Nikkor 35mm F2D。
Nikon FEの時代はまだ、ニコンのレンズはやっとAi化された頃で、
AFのニコンが登場するのは、まだ数年待たねばならなかった。
ゆえに、Nikon Dfにも、Ai Nikkorが似合うのかも知れない。
実際、Dfのレンズキットの50mm F1.8 special editionも、その証拠か
Ai Nikkorのデザインに似せているのである。

 Nikon Dfはニコンのフルサイズとしては、最も小型軽量であり、
私としてはどうしても、スナップカメラとして使用してみたい。
AFレンズとして現在は当然Gレンズなのだが、あまりにも新しすぎる。
まだデジタル登場前の、現在としては甘さの残るDタイプだが、
最初に試してみたかった。

 Ai AF Nikkor 35mm F2Dを装着したNikon Dfは、バランス的には、
少しボディーヘビー。レンズが小さいかな、と感じる。
Gタイプのように、レンズ側に駆動機能を有さず、ボディ側で
レンズのAFを制御するDタイプは、AFからMFへの切り替えにも
ひと手間かかる。だが、もともと手間のかかるDfを選んだのだから。
そんなことは、手間には入らない。むしろ、楽しい作法のひとつなのだ。

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花照らす星

2014-04-10 01:09:27 | ライカマウント
花照らす星


花は星に憧れ
星は花を 愛おしく想う

星に照らされた花は
優しく軟らかく 美しく輝く

星は花を照らし
花を護り いつまでも淡く輝く

春の夜の 夢の語らい






Leitz Summaron 35mm F3.5
Leica M type240
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桜撮影への想い

2014-03-30 22:50:46 | デジ一眼+純正レンズ
桜撮影への想い
 最近はこのブログがおろそかになっていたが、以前に戻して、できるだけ綴ってみたいと思っている。
 誰に何を言われるまでもなく、自分の在り方で、過ごしたいのが本音だ。

 私にとっての写真は趣味であり、写真そのもの、そして機材を愉しみ。そして表現、伝達手段であるとも言える。
 集団で撮ったり、評価したりというのはどちらかといえば苦手で、感性の衝動に駆られて、近場で撮る、というのが撮影スタイルだ。

 機材はさまざまなものを所持してきたが、最近は使用する機材が、だんだんと絞られてきたようだ。
 カメラは小型を好み、いわゆるデジタル一眼は使わない。せいぜい、ミラーレスに相当するカメラまでだ。
 三脚も好きではなく、ここ30年以上、まともに使ったことがない。大昔に友人から安価で譲り受けたのみだ。

 スナップや風景写真に近いのだろうが、撮影として行える分野は極めて限られており、自分のスタイルに持ち込まないととても見れたものではない。
 一般的写真趣味人にとって、桜と紅葉といえば、年間通じての大イベントであろう。きっと普段カメラを持たないひとでも、スマホなど花に向けたくなることだろう。
 しかし、何年も時を重ねて撮影しても、なかなか到達できないのが、桜の撮影なのかも知れない。


 長かった、いや永かったこの冬もやっと越え、まだ喧噪に追われる日々の中、期せずして桜の開花を迎えることとなった、2014年春・・・
 夜中まで働いて、早朝に目覚めて、一路、じぶんなりの思い入れのある桜を目指して向かった。

 慣れた場所ではあるので、自分なりのhorizont、すなわち撮影スポットは持っている。
 そんな私なりの場所、そこからの一枚を、アップしてみたい。

 心を躍らせる、本当に待って待って待ち望んだ春・・・ これから、この季節をいっぱい愉しみたいと願って。一枚アップしてみた。



機材
 カメラは、OLYMPUS OM-D(E-M1)
 OM-Dシリーズは、初代のE-M5からだが、非常に高性能なミラーレス一眼だ。目下私のメインカメラのひとつである。

 少年の頃、銀塩のOMシリーズ、とくにOM-2に心酔した世代であり、しかも当時買えなかったわけであるから、OMという響きにヨワイのだ。

 E-M5は防滴防塵で、M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macroとの組み合わせならば、雨も厭わい撮影が可能だ。
 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8は、これはとんでもない高性能レンズで、このキレとまろやかさは、私にとって印象深い撮影の相棒になっている。

 E-M1はOM-Dとしての現時点でのフラッグシップであるとともに、マイクロフォーサーズのみならず、フォーサーズレンズも受け持つ立場に昇格した。
 小型軽量であることはいうまでもないが、そのシェイプやメインスイッチなど、至る所が銀塩OM的で、そのOM度はE-M5を越えてる。
 ニコンがDfで、旧タイプのロゴを復活させ、1970年代終わりの、シンプルニコン(Nikon FE)時代をっ髣髴とさせたり、私のカメラ黎明期の心をくすぐるのだ。

 買わないぞと誓っていたのだが、E-M1を購入してしまった動機の大きな要素になったのが、この機種からのカラークリエーター機能だ。
 これはホワイトバランスをイメージ的に変更できる機能に近いものだが、単純にそうではないようである。
 色彩の変更がビジュアルで非常に分かりやすいのと、ホワイトバランスでの色相だけではなく、何か、エッセンスがあるように思える。
 さらに彩度をコントロールできるので、派手な色づくりだけではなく、地味な表現にも役立つのだ。
 桜の季節、花の季節、アイデア次第で楽しめそうで、使いこなしたくてたまらない、そんな感じなのだ。

レンズ
 雨中だがマクロで桜を撮りたかったので、本来なら防塵防滴のM.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macroが出番なのだが、今日は都合がつかなかった。
 そこで私が所有するもう1本のマクロ、LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 ASPH./MEGA O.I.S. H-ES045を持ち出すことになった。

 LEICAと銘打つことは、高性能の現れと言えるようである。パナソニックライカ=パナライカは、敬称と蔑視が交錯した言葉のようだ。
 ただしユーザーとしては、このレンズは非常に高性能であり、マクロレンズとして申し分なく、そのまろやかさはエルマリートと称しても良いと思う。
 うるさく言い出せばキリがないが、Leitz時代のエルマリートとは、現行のLeica社ですら、もはや違うのだから・・・

 マイクロフォーサーズレンズはオープンな共通規格なので、非常に多彩なレンズを楽しむことができる。
 パナソニックは昔から、ムービーカメラでも世界的に有名であり、数々の映画製作にも関わってきた。
 Lumix開発当初から、カメラメーカーになりたいという情熱を、ユーザーとして感じていた。
 私はオリンパス製のカメラに、パナソニック製のレンズを装着するということは、この時代の機材の選択肢として、自負できるものだと考えている。
 
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