実は液晶モニタに不具合があり、我がD200は2度入院して完治した。Nikkorの85mm F1.4は歴代とも極めて高性能。そしてそれを受け止めるボディの性能も要求する。大抵は逆で、デジタルセンサーの特性に旧いレンズはついてこれないものだが、この85mm F1.4は、デジタルのそれを十分に凌駕している。もちろん色収差など言い出したらいくらでもあるのだろうが、このまろやかさはそんなものは飛んでしまう。画像をパソコンのモニタで拡大するのもいいが、やはり全体の写真としての雰囲気が大切である。
1970年代終わりからのカメラ小僧にとって、『ニコン』は垂涎の的であった。当時はまだF2全盛、とても買える代物ではなかった。2006年のいま、デジタル一眼の分野はキヤノン全盛期を初めて迎えた。しかしニコンの名には、まだまだ独特の思い入れと威圧感?がある。
私が購入できたニコンの新品の銀塩カメラは、後にも先にもFM3Aだけのようである。まだまだデジタルへ踏み切れなかったころ、わざわざMFのニッコールを買い漁り、銀塩・マニュアルの時代にしがみつこうとしていた。
今の私はこのブログを見ればわかるように、事実上デジタルどっぷりである。交換レンズもおのずと、デジタル一眼にマッチしたものを模索している状態である。
MF銀塩カメラの頃ただ1本のみ別格として愛用していたのが、Ai Nikkor 85mm F1.4であった。中高生のころなどに『85mm F1.4』などと聞けば、それこそ夢のまた夢のスペックであり、もちろん高価でもあったが、いつかそんなレンズで撮影してみたい、という希望を持ったものだ。
FM3AにMFの85mm F1.4だけ1本つけて、多少クセはあるもののそれだけでスナップに出かけることがあったが、プリントされて帰ってきた写真をみて、驚嘆したことを鮮明に覚えている。
デジタルの時代になり、APSサイズなので本来の85mm画角よりも望遠寄りになってしまうが、D200と(レンズもAFになってしまったが)85mm F1.4の組み合わせは、素晴らしい画像をもたらしてくれる。暗いシーンでのアベイラブルライトでの撮影に絞り開放で臨んでも、ピントの合ったところは極めてシャープネスであり、またボケ味はとろけるようである。適度な望遠効果と被写界深度の薄さは、50mm F1.4とはまた、別次元である。MFで使用してもヘイコイドのトルクもまずまず使いやすい。
今回はこのレンズだけ持ち出して、いつも行く神戸の夕景~夜景の撮影を行った。
私が購入できたニコンの新品の銀塩カメラは、後にも先にもFM3Aだけのようである。まだまだデジタルへ踏み切れなかったころ、わざわざMFのニッコールを買い漁り、銀塩・マニュアルの時代にしがみつこうとしていた。
今の私はこのブログを見ればわかるように、事実上デジタルどっぷりである。交換レンズもおのずと、デジタル一眼にマッチしたものを模索している状態である。
MF銀塩カメラの頃ただ1本のみ別格として愛用していたのが、Ai Nikkor 85mm F1.4であった。中高生のころなどに『85mm F1.4』などと聞けば、それこそ夢のまた夢のスペックであり、もちろん高価でもあったが、いつかそんなレンズで撮影してみたい、という希望を持ったものだ。
FM3AにMFの85mm F1.4だけ1本つけて、多少クセはあるもののそれだけでスナップに出かけることがあったが、プリントされて帰ってきた写真をみて、驚嘆したことを鮮明に覚えている。
デジタルの時代になり、APSサイズなので本来の85mm画角よりも望遠寄りになってしまうが、D200と(レンズもAFになってしまったが)85mm F1.4の組み合わせは、素晴らしい画像をもたらしてくれる。暗いシーンでのアベイラブルライトでの撮影に絞り開放で臨んでも、ピントの合ったところは極めてシャープネスであり、またボケ味はとろけるようである。適度な望遠効果と被写界深度の薄さは、50mm F1.4とはまた、別次元である。MFで使用してもヘイコイドのトルクもまずまず使いやすい。
今回はこのレンズだけ持ち出して、いつも行く神戸の夕景~夜景の撮影を行った。