昭和20年8月14日 大阪砲兵工廠への爆撃のおり、天守閣の被弾は免れたが北東角と南西角に2発被弾。北東角の石垣のズレはよくわかる
●北東角のずれた石垣
石垣も黒く焼け焦げた跡が残っている
南の方に回って
●西面
●西南角
一部修復しています
●石垣には痕跡が
この石垣がズレる程の爆弾とは、凄い破壊力ですね〜
幸い天守閣の被弾は免れたの幸いです。幾ら鉄骨構造とは言へ直撃されれば破壊されていただろう。
これも、昭和の歴史の一コマですね〜
秘密がいっぱいの大阪城ですね〜〜
余談です
●豊臣秀吉の築いた天守閣は1615年:大坂夏の陣で消失
●江戸幕府の命令での1626年2代目完成の天守閣は、1665年落雷で消失
それから、260年間天守閣は無かった
●明治政府は、城内の敷地を陸軍用地に転用した。
●昭和6年 大阪城復元 市民の寄付による。当時150万円:現在に換算して6〜700億円に相当
やはり、当時の大阪市長 関一 偉かったな。
外見は、5階、中は8階建 鉄筋コンクリートの天守閣・・・大林組が請け負う。
●大阪城東側に、大阪砲兵工廠 アジア最大規模の軍需工場。空襲の標的にされた。
●第4師団 司令部の新庁舎 建設。天守閣の完成に合わせ分散施設を集約。天守閣には通信部隊が入っていた。
●北東角のずれた石垣
石垣も黒く焼け焦げた跡が残っている
南の方に回って
●西面
●西南角
一部修復しています
●石垣には痕跡が
この石垣がズレる程の爆弾とは、凄い破壊力ですね〜
幸い天守閣の被弾は免れたの幸いです。幾ら鉄骨構造とは言へ直撃されれば破壊されていただろう。
これも、昭和の歴史の一コマですね〜
秘密がいっぱいの大阪城ですね〜〜
余談です
●豊臣秀吉の築いた天守閣は1615年:大坂夏の陣で消失
●江戸幕府の命令での1626年2代目完成の天守閣は、1665年落雷で消失
それから、260年間天守閣は無かった
●明治政府は、城内の敷地を陸軍用地に転用した。
●昭和6年 大阪城復元 市民の寄付による。当時150万円:現在に換算して6〜700億円に相当
やはり、当時の大阪市長 関一 偉かったな。
外見は、5階、中は8階建 鉄筋コンクリートの天守閣・・・大林組が請け負う。
●大阪城東側に、大阪砲兵工廠 アジア最大規模の軍需工場。空襲の標的にされた。
●第4師団 司令部の新庁舎 建設。天守閣の完成に合わせ分散施設を集約。天守閣には通信部隊が入っていた。