福ちゃんの散歩道

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幻となった「東京茨城空港」❗️海外向け愛称として「Ibaraki International Airport」を正式決定。乗り物ニュース

2020-06-10 00:10:00 | 飛行機の話題(乗り物ニュース)
幻となった「東京茨城空港」だけじゃない! 
名称とギャップある空港3選 事情も様々

2020.06.06 乗りものニュース編集部

茨城空港の外国人向け愛称を「東京茨城空港」とする案が、
決定直前から一転、反対多数で採用見送りとなりました。
実はほかにも距離や立地、実態の面において、
空港の名称と実際の運用が異なるものがあり、理由もさまざまでした。

かつて「新東京国際空港」だった成田空港

茨城空港(百里飛行場)が、主に外国人観光客にむけ、新たな名前を名乗ります。
国内向けには「茨城空港」を継続するものの、
海外向け愛称として「Ibaraki International Airport」を
使うことが2020年6月5日(金)、正式決定されました。

 本来であれば茨城空港の海外向け愛称は、
県の有識者会議で6候補から選ばれた「『Tokyo』 Ibaraki International Airport」、
つまり「東京茨城空港」を使う予定で、
正式決定直前の段階であることが2020年5月30日(土)、一部メディアで報じられていました。
ところが東京駅から首都高、常磐道を経由しても100km近い距離のある同空港が
「東京」の名をつけることなどから議論を起こし、多くの反対意見をうけ一転、
最終的には「東京」の文字を抜いた形で決まっています。

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東京茨城空港」の呼び名こそなくなりましたが、
実は日本にはほかにも距離や立地、実態の面において、
空港の名称と実際の運用が異なる空港は複数存在しており、それぞれに理由があります。
かつて新東京国際空港と呼ばれていた成田国際空港

たとえば、千葉県にある成田国際空港は、
1978(昭和53)年から2004(平成16)年までの26年間、
正式名称として「新東京国際空港」と名乗っていました。

成田空港の建設当時、旅客機の需要が高まっていたことで、
首都圏にあった羽田空港ひとつでは対応しきれなくなると試算されており、
その羽田空港は海側への拡張も当時の技術だと難しく、
その結果、都心から離れた千葉県成田市、
および芝山町に新空港を建設し首都圏の航空需要へ対応することになります。

そういった経緯からか、
成田空港は運用開始直後より「新東京国際空港」として開設、国際線をメインに運航し、
羽田空港は2010(平成22)年までの32年間、国内線メインの空港となりました。

現在の成田国際空港に名称が変わったのは、空港の民営化がきっかけです。
特殊法人として国の管轄下にあった新東京国際空港公団が2004年、民営化され
「成田国際空港株式会社」へ改組、これにともない名称も現在のものに変わりました。

考えれば不思議な「大阪国際空港」 広島空港はなぜ山中に?

場所のほか、実際の運用とのギャップがある空港の代表例としては、
「大阪国際空港」の正式名称もある、伊丹空港がそのひとつでしょう。
大阪国際空港の立地は、大阪府豊中市、池田市、そして兵庫県伊丹市にまたがっています。
このなかで兵庫県の地名にちなんだ「伊丹空港」と広く呼ばれるのは、
昭和14年(1939年)に「伊丹飛行場」として現在の空港のベースができ、
その名残りのためといわれています。

また名称に「国際」がついているものの、
2020年現在、同空港で国際線定期便は運航されておらず、もっぱら国内線用空港です。
実は同空港は1994(平成6)年まで、国際線も運航されていましたが、
同エリアに関西空港が開港したことにともない、国際線はそちらに移管されています。
豊中市によると、空港名もこのとき名称変更が検討されたものの、
周辺都市の要望などにより、改正前のままの「大阪国際空港」に据え置かれ、
現在に至っているとのことです。
伊丹空港。空港ビルの上部には「大阪国際空港」の文字が見られる

日本の空港は県名を冠していたとしても、用地取得や周辺の環境問題などにより、
市街地から離れた位置にあることも多く、なかでも初めて降り立った旅行者にとってギャップが大きいと、
とりわけ頻繁に話題に上がるのが、広島空港でしょう。

ここは広島市の中心部から50km程度離れた山間部、三原市本郷町にあり、
空港に直接乗り入れている鉄道や地下鉄などはなく、
たとえば広島駅まではバスで1時間程度移動する必要があります。

広島空港はかつて、1961(昭和36)年から1993(平成5)年まで広島市内にありました。
旧広島空港はもともと旧日本陸軍の飛行場で、
戦後はグライダーの練習場として使用されていたものを整備、拡張し供用開始されます。
とはいえ、その滑走路は長さ1800mで並行誘導路もないなど、
比較的大きな地方都市の空港設備としては十分ではありませんでした。
それ以上の拡張は立地的に困難をともなう一方で、
航空需要は増え続け、
短い滑走路にジェット旅客機のボーイング767型機が日常的に離着陸するといった状況も見られました。
そこで現在の広島空港が建設されることになり、多くの定期便はそちらに移ることになります。
旧広島空港は、広島西飛行場と名称を変え、
比較的小さいターボプロップ機などを使った短距離便の運航をしばらく行ったのち、
2012(平成24)年にこちらも撤退、2020年現在はヘリポートになっています。

思い出の地 広島 この記事で思い出す
昭和42年から昭和48年の間 広島勤務
23から29歳まで
酒・麻雀・ゴルフ・・・・・最高の街でした
薬研堀のスナック ボーナス払い でパー
休日はマスターと魚釣り
海も山も夜も魅力満載

関西へ転勤移動に
上記の
広島空港から伊丹空港までYS-11
東亜航空株主優待券で新幹線より安いので
上司より指示(同僚2人と初の飛行機でした)
6年間の思い出が走馬灯の如く思い出させる



OBの集いの時 街をぶらりショット





仕事も遊びも目一杯の充実した最高の街 広島でした。


追記
成田も思い出がある
反対運動が過激な時代
成田空港管制塔占拠事件(53/3)の
翌年
成田へ転勤(昭和54年10月)
現役時代は
カメラも飛行機も興味がなかった
今から思えば本当に残念です
当時
ノースウエスト航空などが飛んでいた
成田空港に業務で頻繁に出入りしていたので
空港入港通行証でOK
警備は厳しいがフリー
頭の上をジャンボ機が飛んでいく
轟音が
30数年前の思い出ですね
成田ビューホテルの近くの高台で
ジャンボ機見ていたことも
あったな

コロナが終息して安心して移動ができる様になれば
1度尋ねてみたい