方広寺の歴史は豊臣秀吉が奈良東大寺にならって大仏を祀る為に建立したお寺です。
最初の大仏殿は文禄4年(1595)に完成し、東大寺大仏殿の約3倍もの規模を誇りました。
大仏も高さ約19m(6階建てビルに相当)し、天下人秀吉の権力を象徴するものでした。
しかし、翌年の大地震で木造大仏は倒壊してしまいます。
秀頼が再建するも落雷で焼失します。
お寺の東側にある公園(京都国立博物館の北側)には大仏殿の石塁が残っています。
豊臣家滅亡のきっかけとなった巨大な梵鐘(重要文化財)です。
梵鐘に彫られた銘文「国家安康 君臣豊楽」が見えます。
高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tあり、大きさでは東大寺、知恩院の梵鐘と並び「日本三大名鐘」のひとつです。
本堂内には、かっての1/10の規模で造られたご本尊盧舎那仏坐像が安置されています。
寺宝として、大仏殿の欄間にあった左甚五郎作の龍の彫刻や大仏殿屋根の四隅に吊るされていた風鐸や明治・大正期の日本人画家・吉川霊華(きっかわ・れいか)の「神龍図」があります。
大仏殿を取り囲む石垣には21ヶ国の大名に命じて運ばせた多くの巨石が使われています。
北西の角にある縦に筋の入った巨石は「前田の涙石」と呼ばれ、あまりの労役の大変さに前田家が涙したと伝わる巨石です。
秀吉が祖父母の供養の為に毎年行った千僧供養の時に千人分の僧侶の食事を準備した庫裏が残る妙法院です。
その大庫裏は改修工事に入るようで足場を組む工事が行われていました。