小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

パンダの交尾

2013年11月10日 02時29分47秒 | エッセイ
パンダの交尾



少し古いお話で恐縮です。


 去る3月12日、東京動物園協会から、次のような情報が提供されました。

 上野動物園(東京都台東区)は12日、ジャイアントパンダのリーリー(雄)とシン シン(雌)に強い発情 の兆候が見られたため一時的に同居させたところ、交尾行動が  2回確認されたと発表した。2頭とも発情期 に特有の行動が見られるようになったた  め、7日から展示を中止していた。
 同園によると、11日午後5時ごろ、柵越しにお見合いさせたところ、頻繁に鳴き交 わすなど強い発情の兆 候があったため、同居させた。数分間交尾行動が確認されたと  いう。12日朝にも同様に交尾行動が見られ た。【東京動物園協会提供】 


 この情報は、あるテレビ局(地上波)から、交尾現場の動画つきで夜7時に放映されました。動画をご覧になりたい方は、以下のURLへ。
http://www.youtube.com/watch?v=hIioblHec1whttp:// 

 ご覧いただけましたか。

 申し訳ありません。後日この動画をご覧いただけるかどうかを確認したところ、どうも発信側の事情により、削除されたようです。文字化けしてしまいます。
 いずれにせよ、こういう映像を、夜の7時に全国のお茶の間に平気で送り届ける東京動物園協会、および放映したテレビ局の粗雑な感覚を私は疑います。なんて無神経な人たちなんでしょう。
「上野動物園のパンダに赤ちゃんが生まれるかもしれない! すてき!」と視聴者が感じることを当て込んでの放映でしょうが、みなさん、よくお考えください。ここにはいくつもの問題が含まれています。
 まず、夜の7時といえば、普通、一家で夕食を囲んでいる時間帯でしょう。小さな子どもたちと親とが団欒している家庭もさぞ多いことと思います。そこに、たとえ動物とはいえ、セックスの場面を大写しにする。親も子どもも、お互いに面はゆい気持ちいっぱいで、合わせる顔がなくなるのではないでしょうか。私は自分が親の立場であっても子どもの立場であっても、その場に居合わせたら、いたたまれない恥ずかしい気持ちになると思います。
 人間ではなく、動物だからいいじゃないか、子どもたちもみんなパンダに赤ちゃんが生まれることを期待しているのだ、と反論されるかもしれません。
 しかし、パンダは高等哺乳類であり、その交尾の姿はどう見ても人間のそれを連想させます。メスの「シンシン」のヤギのような切ない「よがり声」がとても印象的ですね。
 私は何も、小さな子どもに性の仕組みを知らせてはならないなどと道学者めいた野暮なことを言っているのではありません。
 親子が居合わせる場で、そういう連想を誘うような視覚像を公開することは、性愛が秘め事の世界であるという人類史の長い間にわたる大切な約束事項を反故にしてしまうことにつながります。それは、結局、人間の文化を起伏のない、乾いたつまらないものにしていくだろうと言いたいのです。家族間で、性にまつわる物事に何の羞恥心も抱かないようになったら、人間ははじらいも色気も恋の情緒も妄想も失い、禽獣と変わらなくなりますね。
 あるいはこういう反論があるかもしれません。
 動物がそういうことをするなど、子どもはうんと小さい時から知っているし、ほどなく人間も同じことをすると知るようになるのだから、早く知っておくに越したことはない。
 繰り返しますが、私は、子どもから性情報を遠ざけろと言っているのではありません。子どもは純粋無垢などという神話を私はまったく信じていません。彼らは早い時期からそういうことに興味をもち、しかし、直感的に親との間で情報交換を堂々とやるのは何となくはばかられると感じているはずです。ですから、性の秘密は、友達どうしで情報交換しあったり、ひとりこっそりと調べたりして知っていきます。私たちもそうでしたし、いまの子どもたちもそうでしょう。
 それで何の不都合があるでしょうか。むしろそのようであってこそ、この世界の独特な意味、一般公開される社会関係と順接ではつながっていないプライベートなモードの意味を悟っていくのだと思います。水が水素と酸素とからできていることを知るのと、性の世界に目覚めるのとでは、同じ知識・情報を得るのでも、その情緒的な意味合いがまったく異なります。そうした質の違いを尊重することが、人間的なことだと思うのですが、いかがですか。
 それにしても、こういうことが平気で公開される背景には、現代社会特有のいくつかの理由があるようです。
 第一に、科学的客観主義の信仰です。なんでも客観的で正確な知識・情報を提供するのがいいことだと思い違いしている人が多いのですね。しかし私は原発問題でもふれましたし、これからも折に触れ述べていこうと思いますが、完全に客観的で公正な知識・情報などというものはもともとあり得ないのです。みな「事実」なるものを、それぞれのバイアスをかけて受け止めるのであって、そこには主観(それぞれの主体にとってのものの見方)が必ず関与します。
 第二に、猛烈な情報の洪水状態です。近年のこのすさまじい流れは、仙人になるのでもないかぎり、だれも拒否することができません。いつの間にか私たちの頭は、統制が取れないままに混乱し、何をどのように知ればいいのか、どういう秩序にしたがって情報を受信・発信すればいいのかがわからなくなってしまっています。じっくり自分の頭で考えるための時間が許されなくなっているのですね。私たちはみな、情報病患者です。「パンダ交尾」情報を不適切な時間帯に、膨大な不特定多数の人たちに向けて公開してしまう粗雑さも、ここからきていると言えましょう。
 第三に、このこととかかわるのですが、情報社会の飛躍的な発展によって、人は何でもかんでもできるだけ早い時期にある予測を立て、その実現に期待や不安を抱くように習慣づけられてきました。天気予報しかり、経済情勢しかり、地震予測しかり、イベントや旅行の予約しかり、就活開始時期しかり。
 これは必ずしも悪いことばかりだとは言いません。本当に確度の高い情報であることが保証されるなら、役に立つことが大いにあるでしょう。しかし、なんでみんなそんなに急ぐのでしょうね。人よりも先駆けて、という競争意識をみんながもたされるので、結果として、経済学でいう「合成の誤謬」に陥り、余計な混乱を招いているような気がしてなりません。
 パンダについて言えば、交尾したからといって妊娠するかどうかはわかりません。じっさい、パンダの場合は確率が低いようです。妊娠が確認できた時点で、それを文字情報で発信すれば十分ではありませんか。
 第四に、「自由」イデオロギーの支配です。人間にとって自由は大切な価値ですが、それは無限定なものではなく、必ずさまざまな制約を通してこそ具体的に実現でき実感できるのです。知識・情報に関して言えば、何でもかんでも、だれでもどんな場にあっても、「自由」に知る権利があるなどというものではありません。
 第五に、「ともかく生命の誕生はすばらしい」という思想の蔓延です。本当に「ともかく生命の誕生はすばらしい」でしょうか? こんな単純でナイーヴな思想が隅々まで行きわたること自体、どこかおかしくはありませんか?
 この世に生を受けることはとてもつらく、悩み苦しみがつきものです。人間関係に大きくつまずいて、早い時期から死を考える人たちもたくさんいます。生きとし生けるものは永遠に煩悩から解脱できないという宗教思想もありますね。「一番良いのは、生まれてすぐに死ぬことだ」と言った偉人もいます。
 また生命至上主義は、たいへん抽象的な思想で、現実には私たちは、自分や自分にかかわりの深い人たちの生命を大切にしますが、縁の遠い人たちの生命はじつはどうでもよいと思っているところがあります。この種の実感を無理に隠蔽してはいけません。それというのも、自分や自分にとって大切な人たちの命を守るためなら、他人を殺さなくてはならないことだってあるからです。
 また、かかわりの深い人でも、超高齢者で認知症が進みほとんど何もわからなくなってしまった親を介護しなくてはならない子どもの立場からすれば、「早く死んでくれないか」と感じることもしばしばでしょう。こういう問題も、生命至上主義では解決がつきませんね。
 生命至上主義に対しては、常に懐疑的な姿勢を崩さず、いかに原理主義に走らないようにバランスを取るかがとても重要だと思います。
 第六に、ひところフェミニズムが鳴り物入りで先導した「ジェンダー・フリー」思想の影響が考えられます。これは一種の露出症的な思想で、「性を自由におおらかに」「正しい性知識を」「男女の違いは性差別の根源」などといったスローガンを掲げながら、小学校の教室でパパとママの人形を使って性交場面を演出したり、男女の更衣室を一緒にしたりする試みまで現われました。先に述べたように、豊かな文化や適正な社会秩序は、複雑なモードの違いによって保たれています。人間生活の光と陰、心の微妙な襞、おおやけの世界とひそかな世界の使い分け、ジェンダーフリーは、常識人ならだれでもわきまえているこうした現実を無視した、幼稚極まる思想ですね。
 パンダの交尾シーンを夕食時のお茶の間に平気で流す人たちの粗雑な感覚には、以上のような背景があると私は考えます。どうか二度とこんなことはしないでもらいたいものです。

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