小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

倫理の起源1

2013年11月10日 02時25分09秒 | 哲学

倫理の起源1



本稿の目的は、「道徳」と私たちが呼んでいるものが、どんな人間活動の原理によって根拠づけられるのかを探り当てるところにある。

 私たちは、ふつう、「道徳」あるいは「善」という理念のようなものがどこかに存在して、それに依拠してみずから生活の秩序を組み立てていると考え、また日々そのように振る舞っている。
 しかし、では、その「道徳」あるいは「善」とは、どんな姿をとっており、それがいかなる理由によって根拠づけられるのかと問うてみると、たちまち当惑してしまう。なぜある意志や行動が道徳的な意味での「善」に叶っていると普遍的に言えるのか、またそれらが個別の経験的な感得を超えたところで、どのような原理にもとづいているがゆえに「道徳」的であると決定づけられるのか――これに答えることは容易ではない。
 というのも、私たちの大多数は、日々の経験では、たしかに、何か「よかれ」と思って人とあい接し、またあることをするのに、それが「よい」ことかどうかと問いかけながら行動しているのだが、さてそれがなぜ「よい」ことなのかと自問してみると、その理由がよくわからなくなってくるからである。
 たとえばこのわからなさは、自分では「絶対よいことだ」と納得しながら行為したのに、その行為の目標である相手からは、そう受け取られなかったというような経験に出会うときにやってくる。自分の「内なる道徳法則」が相対化されてしまうのだ。
 よく問題にされ、また日常生活でも頻繁に出合う例に、電車やバスで、老人その他に席を譲るべきかどうかというのがある。もちろん、譲るべきだという原則に異論をさしはさむ余地はないが、どこからが「老人」であるかの判断に迷うときがある。大平腱の『やさしさの精神病理』(岩波新書)という本に、最近の老人は元気な人が多いので、譲ったらかえって相手のプライドを傷つけるのではないかと考えて、譲らないほうを選んでしまう若者の例が出てくる。彼らにしてみれば、そのほうがかえって相手を思いやっているのだから、「やさしい」心のあらわれだということになるのである。大した問題ではないかのように見えるが、若者にはその時々でけっこうな心理的プレッシャーを与えているようである。
 またたとえば、最近では国際交流が飛躍的に進みつつあるため、だれもが他国の生活慣習にじかに触れることが可能となっている。そして、自国では当たり前とおもえた道徳規範が、他国ではそのままでは通用しないこと、逆に、自国ではなんでもないこととして許されていることが、他国では厳しい禁止事項になっているといった経験に出会うことも多い。
 もっとも現在では、少なくとも近代先進国家どうしでは、自由と平等という基本的な理念を共有することが当たり前となっているので、その理念の枠組みの内部で行動する限り、かつてのようにカルチャーショックを経験することはむしろ少なくなっているともいえる。だが依然として、世界はいくつかの非常に異なる文化圏に分かたれているため、その境界を不用意に越境してしまったときには、思わぬ宗教的・道徳的な文化の壁にぶつかるという事態もまま見られる。
 よく知られている例では、自殺に対する考え方が、キリスト教文化圏と日本ではかなり違うという例が挙げられる。キリスト教文化圏では、自殺は、「神が与えたもうたこの命を自ら決すること」として、神に対するかなり重い罪とみなされる。だが日本ではむしろ、自ら命を絶つほどに悩み苦しんでいた証拠として、痛ましいという感情を呼び起こしこそすれ、「罪」と感じられることはまずありえない。
 さらに、私たちは、特定の儀礼行為というものの絶対的な正しさ(権威)から解放された社会に生きているので、ある人からの厚意を受けた場合などに、どのように、どれくらいのお返しをしたら「よい」か迷うといったことをしばしば経験する。
 このたぐいのことにまつわる一種の心労は、金銭、品物の贈答から年賀状のやりとり、その場の言葉遣いにいたるまで、じつに繊細多岐にわたっていて、しかもだれも信念をもって「こういう場合にはこうするのが正しい」と答えられない。そこでとりあえず、「まあ、こんなところが世間常識ではないか」という経験則に従って行為に踏み切るわけであるが、それでも、不安が完全に払拭されるということはあり得ない。
 この、儀礼行為にかかわる不安の存在は、「礼」とか「徳」とか呼ばれるものが、もともと自然法則のように必然的に与えられたものではないことを暗示している。
 いま私は、自分たちの住んでいる社会(近代市民社会)のあり方を引き合いに出したが、じつは慣習やしきたりの絶対的な権威が生きていたように見える伝統的な社会でも、この不安がなかったわけではないように思われる。身分の低い者が高い者に接するときには、常に失礼に当たらないかどうかに大きな気配りをしなければならなかった。命がかかわっていたからである。
 そもそもどの伝統社会でも、人びとが、「礼」や「徳」の適切なあり方について、微に入り細をうがった関心を払ってきたという事実が、逆説的に、これにかかわる不安がいかに大きかったかを物語っているといえよう。つまり、どんな社会でも、何が「よい」ことであるかという絶対的な通則があったわけではなく、「道徳的であること」は相対的性格を免れなかった。
「徳」という言葉に関しては、私たちは、それに属するさまざまな項目を挙げることができる。たとえば、親切、正直、誠実、やさしさ、柔和、友好的、平和的、あるいは、勇敢、剛胆、勤勉、熱心、意志堅固、意欲的、建設的、決断力がある、ときには戦闘的、あるいはまた、寛容、謙抑、慎重、慎ましさ、冷静、思慮深さ、欲深くない……。
 しかし、まず一見して明らかなように、これらは言葉としてだけ見れば、互いに矛盾している面をもっている。また、ではどういう具体的な行為や表現が、それぞれの徳目に叶うものなのか、何をもって私たちは親切な行為、勇敢な行為などと呼んでいるのか、という点について考えてみると、それは状況次第で変化するもので、確たる尺度をもっていないように見える。
 たとえば、金に困っている友人を見たとき、心の底からその友人のためを思って、当座の金を貸すことを申し出たとする。これはふつう親切な行為と呼ばれるが、その行為は相手の誇りを傷つけるかもしれない。その行為を見た別の友人が、「君、ああいうときには黙って見ているのが親切ってもんだよ」と言うかもしれない。
 それにもかかわらず、私たちは、日々の生活の場面で、この場合にはこうする(あるいはしない)のが「よい」と判断しながら行為している。はたしてその判断がすぐに出てくるかどうかは別として、また、その判断が正しいかまちがっているかは別にして、少なくとも、私たちは、ある特定の行為が「よさ」に叶うものかどうかについて、いつも配慮しながら生きているといっていい。そういう配慮のない人は、世間知らずとか、自己中心的とか、バカとか、悪いやつだとかいうように、軽蔑されたり非難されたりするのである。
 徳にかかわるこういう軽蔑や非難がまがりなりにも可能であり、それが大方の支持を得ることができるということは、それぞれの具体的な局面で、私たちが、何かしら「よい」についての直観的な尺度をもっていることを意味する。
 プラトンは、この「私たちが、何かしら『よい』についての直観的な尺度をもっている」という経験的な感知をよりどころにして、「善のイデア」という概念を立てた。彼は、この言語化作用によって、いわば経験的な感知をひとまとめに総合して、「イデア」としてとらえるという抽象化を行ったわけである。
 プラトンの「イデア」思想がどういう危険をはらんでいたかについては、のちに詳しく論じる。ここでは、とりあえず、人間というものは物事を(言語を使って)考えるときには必ずそうした抽象化を行うものだという意味で、彼の採った方法は、少なくとも言語的思考の法則にはよく適合したものだったとだけ言っておきたい。

 さて、道徳的に「よい」こととは、何であるのか、しかもなぜそれが「よい」とされるのかについて、人びとはある直観を抱いているにもかかわらず、それをそれとしてなかなか明確に示すことができない事情について語った。ものごとは、しばしば、それとは反対の現象に着目することによって、その輪郭を浮き彫りにする。そこでしばらく、道徳的に「悪い」とされることに対して、なぜそれらが「悪い」と感じられるのか、その共通了解の心理的な構造について論じてみよう。
 私たちは、個体としての発達途上で、個々の行為に即して、養育者から、何度も何度も「それをやってはいけません」といわれて育ってきた。この反復の過程によって、社会規範が内在化され、「やってよいこと」と「悪いこと」との分別がつくようになる。
 この過程において、禁止を宣告するほう(養育者)は、一般に、自分が生きている社会でこれまで「悪い」とされてきたことを、社会人としての直観にもとづいて半ば無自覚にそのまま伝えているにすぎない。
 では、禁止を宣告される主体(幼児)の側には、何が起こっているだろうか。
 重要なことは、彼は、それが「悪い」ことであるという何らかの合理的な「理解」にもとづいて、禁止を受け入れているのではないということだ。
 たとえば、遊びに来た隣の子どもの振る舞いが、自分にとっておもしろくないということで、いきなりぽかぽか殴りつけたとする。これを止めない親はまずあり得ない。
 では、親の禁止や制止は、幼児にとってどう受けとめられるか。彼は、親の禁止の言葉や腕力による介入と制裁に服従するとき、合理的な納得によってそうするのではない。
「よく言って聞かせる」ことで「言うことを聞くようになった」ような場合でも、彼が親の言葉を理路として十全に理解した上で従うようになるとは思えない。おそらく、彼の前に繰り広げられる言語は、聞き慣れない語彙や言い回しであふれているにちがいない。年齢や賢さの程度によっては、ほとんど何もわからない場合も多いだろう。
 むしろ彼は、親の決然たる制止の態度や険しい表情、言葉の調子などにただならぬものを見て、自分の生存を脅かされる危機感を抱くのである。言い換えると、彼は親の態度や表情や口調がもつ彼にとっての「意味」を情緒的・本能的に悟って、仕方なく服従するのである。
 ところでその「意味の悟り」とは、いまだ「道徳」に対する理解ではなくして、「愛の喪失」に対する直感的な危機意識である。自分にとってなくてはならぬ存在としての養育者が、なぜかはわからないが、あのように怒って自分を制止しようとする。これはともかく従わなくてはまずい、という感覚が彼を支配するのである。
 こういう体験は、人間の内面形成にとって、非常に重要な意味をもっている。彼は、それまで自分の欲求を満たすために、また不快から身を避けるために、ただ泣いたりだだをこねたりしていればよかった。それは彼自身の欲求の表出が、そのままで養育者に受け入れられたからである。養育者の無償の愛の感情が、彼にそれを許していたのである。
 そういう環境におかれた彼にとって、彼をどこまでも愛してくれるはずの存在が、ときには、自分を否定するほどの情緒的な圧力をかけてくることがある。これは彼にしてみればまさに青天の霹靂にちがいない。しかし、ともかく従わないわけにはいかない。おもちゃも大好きなプリンも取り上げられてしまうのだから。
 個人としての人間のなかに、良心や道徳心が根づくいちばんはじめの契機は、このような、理屈抜きの、有無をいわせぬ、「愛の喪失に対する危機感」によってである。つまり、私が言いたいのは、人間の道徳心というものは、自分が「よい」ことをしたと周りからほめられるような契機によってよりもずっと早く、またはるかに頻繁に、むしろ自分の生存の危機を脅かされるような、ネガティヴな心理的契機によって深く根づくということだ。
 自分の生存の鍵を握る圧倒的な存在である養育者の、具体的な禁止や制裁におけるその情緒的な異変の姿を通して、子どもは、この世には「許されないことがある」という事実を不本意ながら受け入れていくのである。その動機は、この養育者の禁止から逸脱することへの生存上の不安であり恐怖である。
 少し長じて、小学生か中学生になると、彼にはもうじゅうぶんに社会性が備わっている。社会性が備わっているということは、彼の自我のうちに、自我の統一にとって不可欠の構造的要因として、他者のまなざしが住み込んでいることと同じである。フロイトがこの「他者のまなざし」に「超自我」という名前を与えたように、それは彼の行為を一々監視し、彼自身の反省的な意識において、「それはまかりならぬ」という宣告を与える権威的な力として作用する。
 この権威的な力の作用は、もともとは、具体的な養育者からの愛を失わないための代償として彼が引き受けたものだが、他者との関係を内在化したところに成り立つ自我の構造が確立したこの時点においては、それは、他者一般、世間一般のまなざしとしてすでに観念化されている。
 誰しも、小学生から中学生くらいにかけて、大人が「悪い」としていることをそれと知りながらやってしまった経験が大なり小なりあるだろう。たとえば、友だちを傷つけたこと、いじめに加担したこと、嘘をついたこと、約束を破ったこと、大人の言いつけを守らなかったこと、万引きをしたこと、など。
 これらの行為においては、ふつう良心の呵責がともなう。どんな極悪人でも、完全な心神喪失に陥ってでもいないかぎり、彼にはその行為が、世間では許されないこととされているのを知っていて、あえて確信犯的にそれをなすのである。彼にはすでに「超自我」という理性の持ち合わせがあるが、その理性の声を無視してある行為の実行に踏み出すのである。
 やや長じてからのこの、「だれかに対して悪いことをしてしまった」という後ろめたさの感覚には、もはや具体的な養育者個人に対する愛の喪失感が直接的に感知されるということはない。つまり、ここでは、具体的な養育者からの離反にともなう恐れや不安とは違って、より一般化された「世間」とか「社会」とか「共同世界」といった〈観念〉に対する孤立感が支配的となる。
 この良心の呵責は、彼自身の心の構造が、養育者との愛の絆にまったく依存している状態から離脱して、より一般的な「他者」との関係として成立している事情にそのまま対応している。この段階では、「何かしら悪いことをした」という意識は、エロス的関係の喪失の危機として経験されるよりも、自分が「社会存在一般」として承認されることからの脱落感として経験されている。つまり、はじめは具体的なエロス的関係からの脱落の危機であったものが、社会的存在一般としての自我の危機に転化あるいは昇華しているのである。
 このように、悪いことをしてしまったという「罪」の意識、すなわち道徳意識は、当人がどれだけ一般的な社会存在としての自分を自己了解しているかというその程度に比例している。同じことを逆に言えば、道徳意識が普遍的に成り立つのは、各人が「他者」という概念を、あれこれの具体的なエロス的存在との関係においてとらえるのではなく、それをまさしく「他者性」として、ある一般的な水準にまで内在化しているという前提によってのみ可能なことである。
 いいかえると、彼が何かをしようとするのをみずから抑制するのは、「お母さんが怒るから」なのではなく、世間あるいは社会一般がそれを許さないからという観念的な納得のもとにそうするのである。この納得の論理が彼の内部で成り立つかぎり、彼の自我は、エロス的な自我から社会的な自我へと転化あるいは昇華しているのである。そこでは、道徳への馴致は、直接的な愛の喪失の危機を動機とするよりも、「社会的共同性一般からの孤立の危機」を動機としていると言えよう。
 しかし、そうはいっても、この転化あるいは昇華は、はじめの「愛の喪失」にかかわる危機感情とまったく縁を絶ってしまったのではない。疚しさの向けられる対象が、養育者などの個別具体的な存在から、他者一般、社会的共同性一般に移行しているにしても、その疚しいという感情そのものの根底にあるのは、やはり、もはやだれにも愛されなくなるかもしれないという、不安と恐れである。
 たとえば、罪を自白しようとしない容疑者を陥落させるために、母親に会わせたりその悲しんでいる声を聞かせるというのは、昔からよくある泣き落とし戦術である。また少女売春をしている女子中高生が、親にだけは知られたくないと考えるのも、彼女たちが、自分の抱える疚しさのよってきたる根源がどこにあるかをうすうす知っている証拠である。




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