小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

抽象化する「あなた」(SSKシリーズその3)

2014年07月03日 19時17分44秒 | エッセイ
抽象化する「あなた」(SSKシリーズその3)



埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます

【2012年2月発表】
       
 私は世事に疎く、ほとんど年ごとの流行の歌などになじんでこなかったので、これから書くことがどこまで妥当かまるで自信がないが、どうもそんな気がするのである。間違っていたらどなたか訂正してほしい。

 徳永英明のヴォーカリスト・シリーズは、過去40年くらい前からのいろいろな歌手のヒットソングのカヴァーである。このシリーズを聞いていてふと気づいたことがある。
 それは、90年くらいを境にして、それ以前に歌われていた歌詞とそれ以後に歌われるようになった歌詞とを比べると、前者では明確な恋の歌が圧倒的多数を占めるのに、後者では少しそれが減ってきて、代わりに生きる力や希望の大切さなどを訴えるメッセージソング的な歌詞が増えているのではないかということである。このことは、歌詞の中に頻繁に現われる「あなた」というせりふが、どういう意味の「あなた」なのかということを探ってみると一番はっきりする。紙数の都合でいくつも挙げることができないので、それぞれ一例だけ引くことにする。

【90年以前】
 何故 知りあった日から半年過ぎても
 あなたって 手も握らない
 I will follow you あなたについてゆきたい
 I will follow you ちょっぴり気が弱いけど
 素敵な人だから
 ―1982年 松田聖子「赤いスイートピー」―

【90年以後】
 生きてる意味も その喜びも
 あなたが教えてくれたことで
 大丈夫かもって 言える気がするよ
 今すぐ逢いたい その笑顔に
 ―2009年 JuJu「やさしさで溢れるように」―

もし私の指摘が当たっているとすると、この事態は歌謡界の頽廃というはなはだ面白くない事態である。というのは歌謡界とは大人の世界であり、大人は恋をする存在ではあっても生きる元気などをもらわなくてはならない存在ではないからだ。だから推論に推論を重ねる危険を覚悟の上で、ここからいろいろなことが言えることになる。

①90年代以降、日本人の精神は幼稚化している。
②90年代以降、日本人は元気をなくしている。
③90年代以降、日本人は恋に興味を失っている。
④90年代以降、日本人はメンタルを病んでいる。

 なぜこういうことになるのか。
 読者はお気づきと思うが、90年という年がバブルの頂点で、翌年それは見事にはじけ、それ以降長い長い不況が続いて今日に至っている。おまけに昨年は大震災と原発事故というダブルパンチまで食らって、さらに経済的な国際競争にも負け続けるという惨状である。日本はもうダメだとアメリカのさる高官が露骨に言っているとか。
 不謹慎な言い方になるが、昨年の文字「絆」もやたら頻発されてなんだか空々しい。それは人と人との具体的な関係(たとえば恋愛関係)を指し示していず、ちょうど2009年の「あなた」が誰でもいい「あなた」一般であるように、とことん抽象化されているからだ。この種の歌は卒業式にでも使えばよく、大人は歌わなくてよい。


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2 コメント

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いやな感じですね。 (ランピアン)
2014-09-23 22:34:54
これは由々しき問題ですね。僭越ながら私自身も全く同感ですし、同様に感じている知識人もいるのでしょうが、小浜先生のように直截に指摘すると、若者の味方を自任する進歩主義者からまたぞろ「懐古趣味だ」と非難を浴びるので、面倒くさいから書かない、というのが実情ではないかと思います。

しかし、かつてA・ブルームを攻撃されていたように、もともとそうした復古趣味に批判的である小浜先生でさえこう書かざるを得ないわけですから、事態はかなり深刻だとも言えるのではないでしょうか。

私自身、「新人類」と呼ばれた世代で、大学を出たのは1989年ですが、その頃から「人生応援ソング」のようなものが増えてきたように思いますし、個々の歌の歌詞も、それ以来むしろ抽象度を増しつつ今日に至っているのではないかと思います。

また90年代後半からは、アニメや漫画の分野に「セカイ系」と呼ばれる、個人の恋愛などの「小さな物語」が宇宙戦争や世界侵略という「大きな物語」とそのまま直結するという、やや異様な作品群が登場してきましたが、これも何か関係があるのかもしれません。

最近でも、「SEKAI NO OWARI」という、いかにもという名称のバンドが人気を呼んでいるようですが、思春期そのままのナイーブさをそのまま押し出した彼らの歌詞には、さすがに若者からも批判が(そういうのを「中二病」というそうですね)上がっているようですから、若い世代もある程度はおかしいと感じているんでしょう。

杞憂であればよいのですが、歌謡曲の歌詞から具体的な恋愛が消え、一方では日本人(だけではないんでしょうが)の非婚率が上昇し続けていると聞くと、若者たちの人生観の中で恋愛の優先順位が低下しきているのではないかと心配になってきます。

先頃、『アナと雪の女王』というアニメ映画が大ヒットしましたが、これに関連してある女性コラムニスト(某マルクス学者の令嬢だそうですが)が、「男と女が結ばれてハッピーエンドという物語なんて、もう誰も信じてない」と書いているのを読んで、何かとてもいやな気分になりました。男女が結ばれるハッピーエンドの、いったいどこが悪いのかと思いますが、これが昨今の風潮なんでしょう。

人生の目標を「自己実現」という言葉(私はどうも好きになれない言葉ですが)で表現するのが当世の流行ですが、その結果自意識が肥大しすぎ、自分以外の人間に興味がなくなってきている、ということでなければいいのですが・・・。
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ランピアンさんへ (kohamaitsuo)
2014-09-26 13:37:48
いつもながら、たいへん示唆に富むコメントをありがとうございます。

先日も、大学の同僚で、学生の就職指導がうまいので人気の高いある教員から、いまの学生はもてたいと思っていないという話を聞いたばかりでした。本当かどうかはともかく、最近の非婚率の高さから見ても、若者の間に、異性に対する関心が低下しているのは事実でしょうね。経済的困難も絡んでいるため、あきらめている人も多いのだと思います。

しかしこれは、先進文明国の宿命かもしれません。そう考えると、政府の少子化対策は、比較的富裕な階層ですでに結婚できた人たちばかりを優遇する形になっていて、まったく的外れというほかありません。

私自身は、若者が恋をしなくなったら、それこそ「SEKAI NO OWARI」だと思っていますが(笑)。

「SEKAI NO OWARI」は今回教えていただき、YOU TUBEで何曲か聴き(見)ましたが、これは要するにディズニーランドですね。

そういえば、キロロの「未来へ」がバカ受けしたのが98年、これなど人生応援歌の典型ですね。悪い歌ではないですが、当時何となく苦々しく感じていたのを憶えています。

「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビアニメ版が95年ですから、この頃から「個人の弱い心、傷つきやすい心」を正当化、特権化する傾向(つまり自意識の肥大傾向ですね)は顕著になってきたように思います。宇宙戦争や世界侵略に飛ぶ前に、サブカルでも人生という実存的な闘いの場にどう向き合っていくのかというテーマの作品があってしかるべきですね。

くだんの女性コラムニストは、フェミニスト的感性の典型で、自分の幸福への関心を棚上げにして、すれっからしを気取っているのだと思います。こういう大人と、「中2病」的感覚とが結託しないことを祈るばかりです。

それではまたよろしく。
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