小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(17)

2014年06月12日 17時57分32秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(17)


 前回、ジャック・ルーシエを紹介して、ヨーロッパのジャズについてもう一回語ると予告してから、だいぶ間があいてしまいました。
 いろいろと忙しかったこともありますが、じつはそれは言い訳にすぎません。本当の理由は、自分の知っている範囲内で、モダンジャズについて語りたい重要なことはだいたい語ってしまったかなという気持ちになっていたからです。一種の脱力感ですね。
 それで、このシリーズを丁寧に追いかけてくれている友人に、あと2回で一応終わりにするつもりだと話したところ、「それは残念。もっと続けてくれないか」と言われました。そう言ってくれるのはとてもありがたいことなので、エンドレスでやっていこうと思い直しました。
 とはいえ、当初の心積もりを曲げて急旋回することもできませんから、あと2回で一段落つけ、それからもう一度態勢を建て直して取り組もうと考えています。どういう装いにするか、いま思案中です。

 このシリーズの一応の落ち着きどころをヨーロッパのジャズにしようと決めたのには、わけがあります。
 まず、年を取ってきて、自然とそういうサウンドを求めるようになったという点です。たまたまレコード店で「澤野工房」というヨーロッパ・ジャズ専門の製作・販売会社を見つけ、そこから出ているアルバムを聴いたのがきっかけでした。
 この会社のアルバムは、独自のプロデュースを手掛けていて、CDのジャケットもオシャレな紙製、とても趣味がよく、流れ出る音とマッチしています。これは私の勝手な感想ですが、このレーベルは、日本人の「和」の感覚とヨーロッパ人の伝統とが見事に融合したところに生まれたものだろうと思います。
 エルヴェ・セランというフランスのピアニストの『ハッピー・ミーティング』から一曲、「アイ・シュッド・ケア」を紹介しようと思ったのですが、残念ながらつかまりません。高音部はウィントン・ケリーばりの溌剌とした展開、ハーモニー部分の処理はビル・エヴァンスによく似ています。これらの巨人たちのよい部分を素直に身体に沁みこませてきたのでしょう。
 一般にヨーロッパ人のジャズ演奏は、爆発的なエネルギーを感じさせない代わりに、とにかく音がきれいです。特にベースの音色が素晴らしい。さすがにクラシック音楽の故郷ですね。
 黒人ベーシストの巨人、レイ・ブラウンポール・チェンバースはそれぞれ屹立していますが、音はそれほどきれいではありません。特にポールは、アルコ(指ではじくのではなく弓で弾く)での演奏を得意としていましたが、その音はかなりダーティです(ちなみに私は彼のアルコ演奏はあまり好きではありません)。スコット・ラファロは白人ですが、表現への情熱がもろに出ていて、音そのものは「心地よい」とは言いかねます。
 これに対して、前に紹介したジョージ・ムラーツミロスラフ・ヴィトスは、とてもきれいな音を出します。彼らはアメリカが主たる活躍舞台でしたが、いずれもチェコ人です。ここには歴然とした違いが認められます。
 こうして私は、中年以降、心の休まるきれいな音をジャズに対しても求めるようになったらしい。人生に疲れてきた証拠かもしれません。

 それではここで、クラシックの名曲をジャズでアレンジしてかなりポピュラーになったヨーロピアン・ジャズ・トリオの演奏を二曲聴いていただきましょう。ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、オランダのグループですが、かつて繁栄した海洋国家・オランダの、世界に開かれた感性の伝統を耳にする思いです。クラシック特有の繊細さと格調の高さを活かしつつ、しかも紛れもなくジャズのスイングするスピリットを自家薬籠中のものにしています。じつにいいセンスですね。
 一曲目は『マドンナの宝石』から、ポピュラーなところでショパンの「幻想即興曲嬰ハ短調」。この曲では、中間部の主題だけを取り出して、そこから自由に即興演奏を繰り広げています。パーソネルは、マーク・ヴァン・ローン(p)、フランス・ホーヴァン(b)、ロイ・ダッカス(ds)。なおピアノはトリオ結成期から途中でマークへと代わりましたが、マークに代わってからのほうがこのグループの持ち味が鮮明に出ているようです。

European Jazz Trio : Fantasie Impromptu


 二曲目。『天空のソナタ』から、同じくショパンの「前奏曲第15番」。有名な「雨だれ」です。この屈指の名曲をジャズでどう処理するか、とても興味深いですね。必ず共感してもらえると思いますが、期待にたがわぬ名演奏になっています。軽快なリズムセクションに乗って、あのシンプルで美しいメインテーマとそのヴァリエーションが繰り返し出ては消え、出ては消えしますが、うっとうしいこの季節にこれを聴いていると、雨に洗われた清々しい紫陽花を窓辺から眺めているようで、何ともさわやかで幸せな気分になります。「雨もまたよし」です。

European Jazz Trio-Chopin-Raindrop


ついでですから、原曲をマウリツィオ・ポリーニの演奏でお聴きください。こちらはやはり本格的。少し重たげですが、全曲を通して打ち続けられる左手のリズムが時の恒常的な流れを象徴しているようです。そうして中間部で、低音によるやや沈鬱な情熱がロマンティックに表現された後、再びテーマへ。終結部、一瞬時の流れが途絶える衝撃が走りますが、また元に戻って静かにフェイドアウトしてゆきます。その何とも言えない余韻。
 思わず本道から外れましたが、いやあ、ショパンってほんとにすごいですね。

M.Pollini - Chopin - Prelude Op. 28 No. 15 in D Flat. Sostenuto (Raindrop)


 もう一グループ、ベースがリーダーを務めるフランスのジャン・フィリップ・ヴィレ・トリオを紹介しましょう。このトリオは、おそらくリーダーの意向でしょうが、ひとりひとりがあまり出しゃばらずに、あくまで全体のアンサンブルに重きを置いているようです。その意味では、かつてのジャズメンのようにソロプレイヤーの個性を強く押し出すというよりは、やはりクラシックの室内合奏曲のような趣があります。しかし曲目はクラシック曲の変奏ではなく、ヴィレをはじめとしたメンバーのオリジナル曲がほとんどです。
 このトリオは、さほど著名ではないようですが、こういうサウンドを創造できるというのはやはりヨーロッパ人ならではのところがあり、ジャズの流れが行き着いた地点のひとつとして、貴重な存在と言えるでしょう。
 では『エタン・ドネ』から「デリーヴ」。パーソネルは、ヴィレのほかに、エドワール・フェルレ(p)、アントワーヌ・バンヴィル(ds)。ヴィレのアルコ演奏によるきれいなソロが楽しめます。

Jean-Philippe Viret Trio - D�・rives


 以上聴いていただいたように、ヨーロッパのジャズは、ジャック・ルーシエを別格として、比較的おとなしいオーソドクシーに還帰していく志向を示しています。そこには、残念ながら、あの輝かしいニューヨーク・ジャズメンたちの激しいエネルギーと気迫が感じられません。少し意地悪な見方をすると、これは、もはや盛りと成熟を過ぎて衰退しつつある現在のヨーロッパ文明全体を象徴していると言えるかもしれません。
 私自身の耳は、自分がとっくに盛りと成熟を過ぎているので、こういう「沈みゆく美しさ」もまたいいものだなあ、と感じているのですが。


*次回は、これまで書いてきたことのまとめとして、花火のように短くも激しかったモダンジャズの最盛期を総括し、一応の区切りとしたいと思います。


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1 コメント

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お願い (牧之瀬雄亮)
2014-08-25 22:28:30
小浜先生失礼致します。私ASREADという言論サイトを運営して居ります牧之瀬雄亮と申します。先日表現者塾でのご厚誼は移調させて頂きました。実は御寄稿をお願い致したく考えておりますが、ご連絡先が分からず、こちらに書き込ませて頂きました。お手数お掛けして恐縮ですが、makinoseアットasread.info (アットを@
にお手数ですが置き換えて下さい)までご連絡頂戴出来ませんでしょうか。ご一考頂けますと幸いです。
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