小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

裁判長が控訴を勧める!?(SSKシリーズその7)

2014年08月25日 23時53分04秒 | エッセイ
裁判長が控訴を勧める!? (SSKシリーズその7)



 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。


【2011年2月発表】
 再び旧聞に属することで恐縮だが、記憶から離れないのでやはり書かずにはすまない。
 私が裁判員制度に真っ向から反対であることは一度この欄にも書いたことがある。なぜ反対なのかは拙著『「死刑」か「無期」かをあなたが決める 「裁判員制度」を拒否せよ!』(大和書房)に詳しく書いたので、ご関心のある方はどうぞ。
 ところで、2010年11月16日、生きている被害者を電動のこぎりで切断し二人を殺害した容疑で逮捕された被告の裁判で、死刑判決が下った。裁判員裁判で死刑が下ったのはこれがはじめてである。この裁判では、裁判長が判決理由を読み上げたあと、口頭で「重大な結論で、裁判所としては控訴を申し立てることを勧めたい」という異例の説諭を行なった。新聞でこれを読んだとき、私は眼を疑った。
 この裁判長は、自分たちで決めた判決を、この説諭によって実質上、価値なきものとして否定しているのである。法の裁きは厳粛で公正でなければならない。ことにこの事件のように、残虐極まりない犯行は情状酌量の余地なく、死刑以外の判決は考えられない。むろん裁判長以下6名の裁判官、裁判員はそう判断して判決を下したのだろう。しかしそのあとでわざわざ控訴を勧めるとは、司法制度の厳粛性、公正性をいちじるしく毀損するものと言える。
 なぜこの裁判長は、自らの職業的誇りを投げ捨ててまで、こんな説諭を行なったのか。
 理由は一目瞭然である。この裁判が裁判員裁判だからだ。シロウトが参加する裁判員制度では、重大犯罪のみが対象とされるが、はじめから死刑が確実視されるような事案では、裁判員は、自分も人の命を奪う決断を下す責任の重さを引き受けなくてはならない。くだんの裁判員たちは、裁判長が判決を下すときに一様にうつむいていたというが、それだけ心理的負荷が大きかったのだろう。その裁判員たちの苦しい気持ちを思いやった結果が控訴勧誘の説諭となったわけだ。
 いうまでもなく、これが裁判員裁判でなければ、こんなばかげた自己否定的説諭はまったく必要ない。控訴審には裁判員制度は適用されない。だから、もし控訴審でも同じ死刑判決が出れば(当然出ると思うが)、裁判員たちは、この被告人を最終的に裁いたのは、上級審であって、自分たち裁判員の決断ではないという自己慰安の機会に恵まれることになる。裁判長はそれを見越してくだんの説諭を行なったのである。被告人のためを思ったわけでは全然ないのだ。
 それぞれの仕事で忙しいシロウトを召喚し、何日も拘束し、自分と何の関係もない人の運命を決めさせる裁判員制度。法廷の尊厳を自ら突き崩すこんな説諭を施さなければ成り立たない裁判員制度。争点をわかりやすくするために密室で法曹三者が公判前整理手続に膨大な日数を費やさなくてはならない裁判員制度。ある信頼の置ける情報によれば、いま刑事訴訟の現場は火事場同然だという。しかし自分たちがOKした制度だから、法曹三者はだれも表立って反旗を翻せない。早急にこの制度を廃止すべきである。


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