乙女のワルツ (阿久悠作
詞、三木たかし作曲) について「つらいだけの初恋 乙女のワルツ」とのサブタイトルがありました。
H26.5.11
好きといえばいいのに いつもいえぬままに
月が上がる小道を 泣いて帰った
白く咲いてる野の花を つんで願いをかける
どうぞ 愛があなたに届くようにと
好きな人はいつしか 他の人をつれて
遠い街に旅立つ 何も知らずに
駅のホームのはずれから そっと別れをいって
それで 愛が悲しく 消えてしまった
小雨降る日はせつなくて ひとり涙を流し
つらいだけの初恋 乙女のワルツ
「ワルツ」と言われると、「三拍子!」と、反射的に口走る私は、典型的なオヤジでしょうか?
折あらば、いつも、空で、指を三角に振ってしまいます。ほとんど条件反射です。
ワルツといえば、古いところでいえば「星影のワルツ」、ジャズの器楽曲ですが「ワルツ・フォー・デビー」いずれもこれでもかという名曲ですが、親しみやすく、甘く、また悲しい曲です。
極め付きは、先日、隣の小学校の校長先生からタダ券をもらったチャリティピアノコンサートの連弾で、「美しき青きドナウ」を聞きましたが、微細なさざ波の音から始まるこのワルツを生音で聞いて「あー、そうだったんだ」と、心から嬉しかった気がしました。
中島みゆき大先生の、「あばよ」、「この空を飛べたら」、「地上の星」、近いところでは「麦の歌」とか、中島みゆきさんには三拍子がとても多いですよね。殊に、加藤登紀子が歌った「この空を飛べたら」は最初にラジオで聞いたとき(1977年)、うちのめされたような気がしました。早速、貸しレコード屋で借りて、カセットテープにおとして、必死で覚えた記憶があります(今は両方とも、時代遅れになっつまいましたね。)。
当時テレビで視ていたのですが、中島みゆきの愛好者の老ピアニスト夫婦が、彼女の新しい曲が出るたびに、二人で弾いてみて、「なんて美しい日本語なんでしょう」と語るエピソードがありましたが、その気持ちは、私にはよくわかります。
ワルツは、なぜ、心に響くのか、素養がなく深追いができませんので、今回は、表題曲についてのみ論じます。
私、実は、カラオケが本当に好きですが、最近は、カラオケでうたうべく手書きのリストを作り、今日のテーマとして、私のアンソロジー(名詩選、選集)を幼児期から現在に至るまで順番に、周囲のひんしゅくを買いつつ熱唱します。
「カラオケの選曲は、その人の生活史を語る」が私の持論なのですが、皆に受けたときは、私の束の間の人性が肯定されたようでありうれしく、しかし、その選曲が皆に支持されるかどうか、というのは、とても恣意的で、偶発的なのですが、実際のところ、残念ながら、この歌はあまり皆に受けませんでした。
この曲は、1975年(私、大学の二回生でした。)に、伊藤咲子という歌手に歌われました。
知っている方は知っていると思いますが、彼女は「スター誕生」というアイドル発掘番組のオーディションで幸運な(?)芸能界デビューし、作詞、作曲とも、「スタ誕」の審査員をしていたコンビだったと思います。(山口百恵、桜田淳子、森昌子、ピンクレディなど、うざいほど数多くのロールモデルがいます。)
デビュー当時見ていても、素直でかわいらしい子であり、のびやかに歌う上記の歌は、彼女の年齢でしか歌えないようないい歌でした。その後、彼女は、同期のアイドル歌手と浮名を流しましたが、職場恋愛の禁止(?)というアイドルの不文律に、うまく立ち回ることができず、不遇な時代が長かったと思います。その後、愛を貫いた彼女は、バラエティ番組でいじめられていた(毅然としていた。)ような記憶があります(ヤな話ですね。)。
阿久悠の作詞はとてもいい出来で、当時の15歳の彼女が、「いつも会うのに、好きと云
えずに、苦しくて泣いてしまう、野の花をつみながら、願い(愛の呪い)をかける、自分を意識してくれない相手はいつか去ってしまう、出発の汽車(電車ではない、断じて汽車だ)の時間を聞き出してホームの陰で見送った。それから時間が立ち、小雨が降るとか悲しげな天気の日は、当時の自分を思い出し、涙を流す、あまり時間の経たない今はつらい思いだけがやってくる。以上、冷静に、身もふたもない解説をしますが、これらの歌詞の意味はとてもよく理解できます。若い女の子のいじらしさ、悲しさが、私たちの胸に直截に響く、これは、誰にも普遍的である(?)ような、いい詩と、切ないメロディです。
当時の世相というか、彼女の明るい歌声、若さゆえの悲しみというか、私の心にも訴えるものがあり、思い出して、私のカラオケ・アンソロジーに入れさせていただきました。
カラオケ練習のため、ユー・チューブで、デビュー当時の彼女の歌を聞いていましたが、2003年再デビューした「乙女のワルツ2」で、熟女となった彼女の歌を聞きました。これは、被災後の、宮城県の石巻町での独唱ですが、崩れた風呂屋のタイル画の前で、汗みずくになった彼女が、「この年になってようやくこの歌が歌えるようになりました」と、彼女の中で加齢により(?)深化された、彼女の「乙女のワルツ」を歌います。
「与えられた歌」を「自分で選んだ歌」として、ボランティアで歌う彼女は感動的です。
私は喜んで歌いますが、皆さま方、殊に女性の方、のびやかに、いじらしく、また、明るく、悲しく、いとしく、せつないワルツを歌ってみようじゃありませんか。
今思えば、つらくもない初恋などつまらない、また、挫折のない青春などつまらない、と。