天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

カーネーションについて(尾野真千子・渡辺あや再考)

2015-05-28 21:39:40 | 映画・テレビドラマなど

 今は押しも押されぬ大女優となった尾野真知子さんと、尊敬すべき脚本家渡辺あやさんに、慰藉を与えていただいたことに対し、感謝の言葉を捧げます。

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「カーネーション」の再放送について  その1
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 毎朝7時15分から、NHKBS(103)で朝の連続ドラマ、「カーネーション」(当初放送平成23年後期)を再放送しています。主演尾野真千子、脚本渡辺あや、です。主演も、脚本家もとても好きな人なので、椎名林檎の主題歌を聞きつつ、食事の支度をしながら見ています。
 このドラマを見られた人は良く知っていることですが、大阪のコシノ三姉妹の母親の一代記ということとなります。没落しつつある、大阪の呉服屋(三姉妹らしい)の長女に生まれた主人公が、和服一辺倒の時代に、洋裁店を立ち上げる話です。いわゆるしゃんしゃんした(山口弁でしょうか?)尾野真千子は、近所のおばちゃんやおっチャンとも大阪弁でやりあい、時に、父親の小林薫には時に鉄拳制裁 (?) をくらい、とてもいきいきと育っていきます。ドラマの中の大阪の下町の雰囲気は、リアリティがあり、お裁縫から始まり、ミシンを手に入れ、技術・修練次第で、ミシン一つで作ることができる洋服が当時(近代)の女性にどれほど歓迎され、また解放の道具になったか、よーく理解できるようになっています。
 彼女の父は、出入りの呉服屋として神戸の大富豪のお嬢様を射止め(駆け落ちかなんかでしょう)、呉服屋を始めますが、うまくいかず、売掛金を幼い娘に集金させ、自分は威張っています。援助やら借金や何やらで、妻の実家には頭が上がりません。
彼女の母は、お嬢さんですが、おっとりして、夫の理不尽な仕打ちをやり過ごし、姑にも優しく、もちろん娘たちにも優しく、貧しい不安定な生活にも平然と耐えています。いわゆる、育ちのいい人です。ある意味、大阪下町の露骨であけすけな雰囲気の中で、ほっとするオアシスのような役割を果たしています。とてもいい役者さんです。いままでの朝ドラで初めて見る人です。「こんなやさしいお母さん(妻)が欲しい」、という感じですね。反発をくらうかもしれませんが、「嫁はええ家からもらわな、あかん」という世間智を地でいく人でしょうか。
小林薫は、同居の実母にはもろく、妻子には強く、利己的で、気分屋だけど人の良い父親の役を好演しており、ドラマを引き締めています。このたび、洋裁店をやりたい尾野真千子に店を開けわたし(同居の実母は残して行きます)、妻と他の子を連れ、きれいに出て行きます。また、娘思いでもあるのです。

 脱線しますが、小林薫は、昔、NHKのすし屋を舞台にしたドラマで、江戸っ子で、キップのいい、すし屋の親方の役をやっていました。それは、「イキのいいやつ」という寺内小春(小林亜星のドラマ「寺内貫太郎一家」を覚えていますか?その脚本家です。怒ったり、殴ったりすることでしか自分を表現できない男の話でした。)脚本のドラマでしたが、とても人気があり続編まで作られました。住み込み弟子を、おめーらは人間になる前の「ゴリラだ」と呼び、仕事を殴って仕込むというタイプで、毎日大騒ぎ、隣の仕立て屋の親方を当時まだ元気だった若山富三郎がやっており、弟子を諭したり、慰めたりしながら、皆で一人前の職人(人間)に育てていく、雰囲気のあるドラマでした。いわゆる、戦前からの職人の修行のやり方、弟子に対する厳しい修行を通じ、商売と、周囲に対する思いやりと礼儀を仕込むという、何より、一人前の人間を育てるという大きな主題(当時弟子ひとりとると一軒店を出すほどお金と手間の要り様があるそうです。)を扱い、戦後派の我々にも十分に理屈がわかる、「義理と人情」のドラマでした。
「近ごろの日本人は薄汚くなった」、「昔のいい時代の日本人を描きたい」、という意味のコメントを、当時、寺内小春はしています。ドラマの中で、すし屋の親方が弟子に、「お前は、金がそんなに大事か?」と真顔で聞き返す、シーンがあり、私の気持ちとしても、「確かにそうだったな」と納得した覚えがあります。当時の普通の日本人の気質(エートス)が、人前で、「金が全て」などと広言するのを許さなかったということでしょうか。
いかにも日本人らしい顔つきの小林薫が、まったくはまり役でした。

 本題に戻って、尾野真千子の演技は、きれいも、汚いも、素でいけるようで(上手なのでしょうね)、女学生がいつの間にか自然に女職人、タフな経営者になっていきましたが、とてもリアリティがあります。これからどうなるんだろうかと、期待が持てます(知っているけど)。決して、美男、美女ばかりが出るドラマではないけれど。
 大正生まれの主人公の時代を考えれば、吊るしの洋服も何もなかった時代に、殊に、女性が洋服をあつらえることが、如何に晴れがましく、幸せだったかが、とてもよく理解できます。ドラマを見るうちに、そのうれしい感情を共有したいような気もしてきます。洋服は文化である、とは今ではごく普通の考えかもしれませんが、ドラマの中で、洋服を作る前に、洋裁の先生が「この服で正装して、心斎橋(目抜き通り)を歩きましょう。堂々と、まっすぐ前を見てね。誇りを持つんです。」と先生に言われ、ハイヒールで闊歩するシーンがあり、いい時代だったなーと思えるシーンもあります。
 東京制作のドラマも、大阪制作の朝ドラも、それぞれ、出来、不出来があり、さすがに全部はとても見ていませんが、大阪発は記憶の強い順から、「カーネーション」、「てるてる坊主の照子さん」、「ふたりっこ」などが挙げてしまいます。いずれも、大阪の雰囲気がたっぷりで、個性の強いドラマです。(余計なことですが、「ほんまもん」というドラマの主演、池脇千鶴は、後で、映画「ジョゼと虎と魚たち」の主演を張りました。)
 今、テレビはようやく、親の決めた結婚の話になり、今後、戦争突入、夫の戦死、敗戦を経て、戦後偏に入っていきます。個性あふれるコシノ三姉妹の演技、尾野真千子にどうしても告白できなかった醜男ほっしゃんの一途な純情ぶり、そしてそれらを一気に食っちまう、尾野真千子の大女優ぶり、とても楽しみです。そして、戦後の、文化服装学院 (?) から始まり、世界に誇る若手デザイナーたちの勃興とその青春期の描写など、今後も、達者な、渡辺あやの脚本でしっかり楽しめそうです。
 朝の余裕のある方、是非、お勧めです。
 ところで、カーネーションは、洋服にしか似合わないしょうか。
 題名の「カーネーション」は、コシノ三姉妹から、母に対する感謝の思いというよりは、困難な時代と貧困の中で、一代で洋品店を立ち上げた母の生涯(名を挙げた自分たちから同等なものに)に対する、オマージュ(賞賛と敬意)というものかも知れません。     

ジョゼと虎と魚たちについて

2015-05-28 20:48:37 | 映画・テレビドラマなど
今日は、映画の話です。古い映画ですがご容赦ください。
あらすじを書きすぎていますが、見てない人にはサービスとして考えていただいて、本当のところ、是非お勧めします。

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「ジョゼと虎と魚たち」について
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 私が、妻夫木聡のファン(ふつう男のファンにはならないですが)になったのは、標記の映画(DVD)を見てからです。
 この映画が封切られたのは、平成15年(2003年)のことです。
 監督は犬童一心、ほら「のぼうの城」の監督です。
 脚本は、渡辺あや、前NHK大阪の2011年下半期に放映された朝ドラ「カーネーション」の脚本を書いた人です。デザイナーのコシノ三姉妹の母をモデルに、あくの強い大阪人を演じた尾野真千子の名演技と、仕事仲間の「ほっしゃん」の醜男ぶりと報われない純情ぶりが大変おかしく感動的でした。いろいろな人に支持されて、当時とても評判になったドラマです。
 渡辺あやは、ほかにも「火の魚」(2009年、NHK広島)が印象的で、盛りを過ぎた偏屈な小説家と死病を隠す編集者のエピソードで、同じく尾野真千子の抑えた演技と、私の選ぶベストアクター原田芳雄の晩年の存在感をよーく覚えてます。(後で映画になりました。)

「ジョゼと虎と魚たち」は、私にとって、ベスト脚本賞を進呈したいような映画です。
雀荘(麻雀屋)でアルバイトする哲夫(妻夫木)は、みすぼらしい老婆が毎朝古い乳母車(箱形のあれです。)を押して散歩する話を聞きます。さすがに大阪の下町でも奇妙な光景で、雀荘の客が「薬の取引や」とか、「大金かくしてるんやでー」とか言います。
ある早朝、かったるそうにバイクを走らせていた哲夫は坂の上から乳母車が、加速がつきながら、滑り落ちてくるのを見ました。ぼーぜんとして視ていると、目の前で、乳母車が止まります。後ろから、髪をふり乱したお婆さんが、「にいちゃん、止めて―、止めて―」と追っかけてきます。乳母車は、厚く毛布が掛けてあり、哲夫がおそるおそるめくってみると、いきなり出刃包丁で切り付けられました。飛びのいた、哲夫に、涙と汗にまみれた
幼げな年頃の女の子が見えました。それが、ジョゼ(自称)(池脇千鶴)との出会いでした。
 お婆さんは喜んで、せっかくだから、朝ご飯を食べていけ、といいます。気のいい男で、
二人への興味もあり、哲夫はのこのこついていきます。
 朝食は予想に反して、美味しそうなものでした。厚焼き卵(おろし添え)や煮物、味噌汁で、汚い狭い家での食事でありながら(当然丸いちゃぶ台ですよね)、哲夫はすっかり満足してしまいました。
 お愛想半ばで、「本当においしかった」というと、ジョゼは調理台の前から飛び降り(彼女は下半身が動かないのです。)、「うちが作ったから当たり前や。(玉子だから)サルモネラがついているかもしれんでー」と可愛げのかけらもなく、ぎょっとすることを言います。
 そして、自分の部屋、おし入れの下半分の部分に入り込んでしまいました。
 話の接ぎ穂が亡くなった哲夫に、お婆さんは、問わず語りにジョゼの身の上を語りだします。「何で、足が動かんかもわからん」、「身寄りもないし、世間のもてあましものやから、隠れて生きとかんといかん」、「ジョゼがどうしても頼むから、(人のいない早朝とか深夜とか)乳母車に乗って散歩に歩いとる」、「悪いやつがちょっかいを出すから、今日みたいな
ことになる」、といいます。これも癖のある婆さんで、婉曲に「もう来んといてくれ」といいます。
 哲夫は、アメラグを故障でやめ、セフレも、ガールフレンドもいる普通の大学生です。実家から野菜を送ってきたので、興味と、食欲にもひかれ、再びジョゼの家に行ってみました。「何しに来たんや」、とか言いながらも、ジョゼは家にあげてくれ、ご飯も作ってくれます。そして、だんだんに、彼女の生活のことを、手の付けられないような言い方ですが、話してくれます。彼女が、意外な読書家であること、読む本はごみの集積場からお婆さんが拾ってくること、したがって、三流週刊誌から、学校の教科書、何でも読むこと、なぜ、ジョゼかというと、フランソワーズ・サガン(皆さん憶えてます。)の「ブラームスはお好き」という恋愛小説に出てくる人物からとったこと、上巻しか読めず、どうしても下巻が読みたいこと、を目を輝かせて語ります。「いつか、誰か捨てへんやろか」と。
 「何で隠れてまで散歩に行くんだ」と、哲夫が聞くと、「外を見なあかん。猫とか・・・」とジョゼは答えます。「悪いやつがのぞいたら、思い切り、切ったるンや」とも。
 押し入れに閉じこもり、スタンドで本を読みふけるジョゼの無垢なありようと、賢さ、その悲しい日常に、哲夫はだんだん惹かれていきます。
 おせっかいな哲夫は、安売りチエーンの古本屋でとうとう「ブラームスはお好き」の下巻を見つけます。とても喜んだジョゼは、秘密を明かすような口調で、「うちの息子に会わしたるわ」といいます。
 哲夫は、乳母車を改造した手押し車で、ジョゼを連れ、場末の修理工場を訪ねました。
相手はバリバリのヤンキーでした。
「なに言うとんのや、ぼけー。わいに家族なんかおるかいや」ということになり、「息子や」と言い張るジョゼをしり目にほうほうのていで引き揚げていきました。
手押し車四輪車で走るとき、「いけー、いけー」とジョゼは本当に幸せでした。
ある日、量販の金物屋においてスパナで殴られ倒れた男を見た哲夫は、とっさに、逃げようとしました。「待て」といったのは、ジョゼの息子です。
 自販機の前のスペースで、「息子」は、問わず語りに、ジョゼとのいきさつを語ります。
 昔、二人は養護施設にいましたが、息子は、すでに粗暴で、「おかあちゃん」、「おかあちゃん」と泣く、ほかの子を、「(甘えるな)ぼけー、ぼけー」と積木か何かで殴りつけていました。ジョゼはそれを傍らでずっとみていました。施設の生活にこらえかねた息子は、ある日、ジョゼを背負って家出しました。行き所がなくなった二人は、夕暮の児童公園に行ったのですが、その時、ジョゼがぽつんと、「うち、あんたのお母さんになったるわ」というのです。
息子は、「そんなもの要るかいや、ぼけー、ぼけー」と遊具を蹴り廻すのです。
「それからやろ、あいつが、勝手を、ワイを、息子や、息子やと言い出したんは」それが、ジョゼの唯一の友達、「息子」だったのです。

 そのうち、外あるきがばれ、「何で外に連れだしたんや、うちの子は壊れもんです。世間様に見せるつもりはありません。二度と来んといてな。」、とお婆さんに、哲夫は締め出されてしまいました。
 ガールフレンド(上野樹里)に相談すると、「公的な支援が受けられるかもしれん」、と役所(区役所)に掛け合ってくれ、住宅改造が受けられるようになりました。当日、連れ立ってきた、二人をみて、ジョゼの顔色が変わります。ジョゼは自分の居場所に閉じこもってしまいます。その時、やって来た、改造会社の担当が、「感心な兄ちゃんやな、うちに会社訪問せーへんか」と誘ってくれました。
 その後、哲夫が行っても、ジョゼは出てこなくなりました。何度も何度も戸をたたいても駄目です。(家の内側で泣いていました。)
 見かねたお婆さんが、「これ以上、二度とかかわらんといてくれ」と再度の駄目押しでした。
 しばらくたって、哲夫は、会社訪問先の改造会社の担当に、「お婆さん、死にはったみたいやで」と教えられました。
 すぐにジョゼを訪ねた哲夫は、「来るなといったけど、何で来んかったんや」と理不尽に責められ、泣かれます。
 哲夫は、ジョゼと一緒に暮らすようになりました。
 ジョゼが、「虎が見たい!」といいます。天王寺動物園の虎の前にいって、生まれてはじめて、虎を見ます。「ものすご、怖い。」、「うち好きな人が出来たら、一遍だけ、虎を見たかったんや」という、ジョゼ(池脇千鶴)の顔がとっても良い。これだけで、この映画を見る価値があります。
 冬の寒い日、ジョゼと哲夫は哲夫の実家を目指して旅に出ます。例の息子のヤンキー車を借りて。他の車に煽られながら、海が見たい、魚が見たいというジョゼの希望で回り道をするのですが、水族館はお休みです。モーテルに泊まって、走馬灯に、魚の影が走ります。「海みたいやなー」とジョゼは言います。「もうこれでええで」とも。(まるで、二人はもう長くは続かないなー、とでもいうように)一挙にジョゼが成熟します。
 結局、哲夫は、ジョゼを実家に連れていけませんでした。

 哲夫は、ジョゼの家を出ていくことになりました。歩くうちにわんわん泣きながら、途中から、卑怯にも昔のガールフレンドにつかまりながら。
 あのシーンで、妻夫木君が好きになりました。
 弱い、卑怯な男です。弱い者や、かわいそうな人に優しいと思い、自分でもそう言っていたのに、自分で自分を裏切り、ジョゼを捨てるのですから。
 しかし、ここには正しく感動があります。赤裸々で切実な人間の苦悩と悲しみがあります。
 その後、ジョゼはもう手押しの車には乗りません。電動のカートに乗って走り去るのがラストシーンです。
 
 妻夫木君と同様に、池脇のすさまじく美しい演技と、「息子」のヤンキーぶりは見ものです。こてこての大阪弁は嫌いだったけれども。(後、池脇と息子の二人は、週刊誌の見出しで、付き合ってるとか読んだけど、映画の親和力のせいでそうなったのかなとも思ってしまいます。「息子」は何と青森県人らしいですが、とても素晴らしい、本物の、きたない大阪弁をしゃべるそうです。)

 さる人に、この映画を勧めて、感想を聞くと嫌がられました。
 たぶん結末がヤなんだと思います。
 しかし、私とすれば、この映画は私のベスト脚本というしかありません。
 それ以来、今でも、妻夫木君を見ると、時によって、つまらない映画に出ていたとしても、とても懐かしい気がするのです。

この映画が、公開当初、全く無名の映画だったけれども、その後ロングランを続けたこ
とはよく理解できます。当時、皆が皆、「ブッキー」(というそうです。)のファンでもなかったであろうに。
あいそのない「くるり」の音楽も、同じく、とてもいいです。

 渡辺あやさんは、島根県在住の脚本家だそうです。
 夫と二人の子の親で、家業を継いだ夫に従い、脚本家をしながら、自分は田舎で雑貨店を経営(店番)していると聞きました。彼女のHPで、彼女はこの映画のロケにずっと同伴(きわめてまれなことらしい)し、池脇さんはプロ意識のとても強い人だ、とか、犬童組はほんとに居やすいとか書いてました。
 
 こんな映画を見ると、私の大嫌いな、緑もなく、騒々しく、汚い大阪もいいところかもね、と思ってしまいそうです。
年末に見るDVD映画であれば是非お勧めします。「妻夫木コーナー」にたぶんあると思います。(渡辺あやと尾野真千子については、また何か書きたいなと思います。)