この4月から、NHKEテレの番組編成が変わりました。
あらかじめ、番組編成の変更は予告されていたことですが、このたび非常に奇異な感じと疑問を持ちました。以下、私の所感を申し上げます。
先に申し上げたとおり、私は、毎日、朝の条件が許すかぎり、NHKEテレ「にほんごであそぼ」から、「0655」、「シャキーン」に至るまで、一連の番組を愛視聴しておりますが、このたび、「にほんごであそぼ」から、「06:55」の間に、10分枠で、標記の「英語であそぼ」が割り込まれました。
とても唐突で、なぜ、「朝からこんな番組」と思いましたが、私は、定例のニュース番組に突如「韓流ドラマ」が乱入したようで、少なからぬ違和感を感じました。
本日は、「英語であそぼ」について言及します。
「なぜ」と考えるのは、「人性」においてきわめて本質的である人間的行為と思いますが、再度「なぜ」、朝のEテレのラインにこの番組が入ったのか、まず「庶民」として考察します。
日本の、初等教育に、「英語が必須科目となった」ので、「なぜ、Eテレは英語教育を積極的にしないのか」という父兄からの圧力があったのでしょうか、また、今の政府機関が、NHKに番組編成を直接指示するとは聞いておりませんので、仮に政府機関において、「グローバリズムに配慮したEテレの番組作成」というようなガイドラインがあったとして、Eテレ番組制作責任者が過剰に迎合して、「日本語であそぼ」の後は、米欧に配慮・媚びる、「英語であそぼ」を同一時間枠で放映することとしたのでしょうか。などと、要らざる想像をめぐらせます。
本日(4月3日)の当該番組は、「魚」という英語を、「原音に忠実に発音」してもらう取り組みでした。
なぜ、日本語も定かでない幼児に、英語の正確な発音をさせなければならないのか?
私は、商業英語教育の水準を知らないが、こういうのを、砂に水をまく、というむなしい努力ではないのか?
理解に苦しむところですね。
「英語であそぼ」という番組は、何も今回が新規の番組でなく、Eテレで、この時間帯以外で放映しているのは何度か見たことがある、ところです。それなりに工夫がされ、英語版の幼児番組より、はるかに質の高い番組ではあります。中学生くらいが見ても役に立つものかもしれない。
そうであれば、この番組について、その意義をついて強いて無理やり根拠を作り上げるならば、大人に比べ、聴力に優れた幼児期は発音重視の英語教育があれば効率がよいかもしれない、しかし、日本語の修練さえ不十分な時期にそれが必要なのか、と疑問に感じるところです。
一般的に申し上げて、現場(?) に行って、幼児に対し、「魚」(さかな)の実態と五感に触れる体験と、日本語としての「ことば」を教えることがはるかに重要であると思う。
つまらない英語単語教育は、「社内公用語は英語でやり取り(英語くらいはしゃべれよ。)」という、かのカリスマ経営者の会社に入社するには役に立つかも知れない(バカらしい。)。
うちの英会話クラスの前任のケニア人教師は、先に、千葉の全教科英語教育の私立学校法人に行ってしまいましたが、富裕層を対象にする都会の実験教育ではあるいは必要なのかも知れない(金があっても俗なやつらだなと私は思うだけですが)が、しかし、貧富、社会的階層(?)を超えて、幼児期から、当面、不必要な語彙を増やしたり、外国語の発音を問題にする英語教育をする必要があるのか、きわめて疑問なところです。皮相ではなく、流行などに流されない、それが、本来の知性というものではないのでしょうか。
「英語化は愚民化」、まさにこんな場合に当てはまる、命名化ですね。
資力と、理念(?) がある階層上位の家庭は、是非、私学でも、あの有名なインターナショナルスクールででも子弟の教育を励めばよい、あるいは外国のエリート養成校に送り込めばよい、しかし、大多数の、資力も、理念もなく、あるいは見識のある家庭にとって、先行きがわからず、こどもも望まないような、早期語学教育に何の意味があるのか、と思わないのだろうか。
ところで、私事ながら、かつて、私、NHKのラジオ「やさしいビジネス英語」に大変お世話になりました。
主催者の杉田敏(さとし)さんのそれこそ、日本人が外国のビジネスの世界に出て行くときに何が必要なのか、適切で興味深いテキストの選択を含め、自身の米国ビジネスマン体験を踏まえ、文化間の差異とその意味、あるいは心情の差異とその問題点など、架空であるところの国籍をまたいだ会社(例のエコロジービジネスを提唱した「Body Shop」という会社がロールモデルらしい。)を通じて、仕事、家庭、価値観などを論じた教材は大変興味深く、聞き込んでいけば杉田氏の人間性すらほうふつさせられるようで、興味深く、今も、なお、週末の再放送で録った語学テープを保存しています。
内容が厳しく、ついていくのが大変なので、「「やさしい」というのを取ってくれ」という、不見識なやからもおりましたが、そのような輩は「馬鹿者」と一喝して、このような質の高い番組を運営してくれた、NHKの番組スタッフに対し、今でも感謝したい思いです。
当時、私が、英会話修行を始めたのは、初めて外国旅行に行き、語学が通じないことで面白みのなかったこと、あるいは文化の差異に関する毛唐どもの頑迷さと夜郎自大な思い上がりに対し、心底いらだったからであります。「やられたらやりかえせ」というのは、わが若き日の教訓であり、たとえ相手側の土俵に立っても、不可避的に戦わなければならないときは戦わなくてはならないわけであり、近代明治人たちは、徒手空拳で、飢狼のような欧米人たちと、「相手方の土俵で」戦ったではないか、と思われるところです。人性では、必要があれば、自己を強いても勉強は自分でするのです。それが、すべての人に必要とは思えない。
それが、今の「グローバリズム」という安い空疎な共同幻想で、あたかも世界を並行につないでゆき、それがいつの間にか共通語になった「英語化」によって、「平等で公正な」世界の実現に繫がっていくような迷妄の宣伝はいい加減にして欲しいですね。
それはそうとして、英語の習得とは、外国で通じる論文を書く、とか、米欧圏でビジネスをするとか、そんな具体的な目標なしの語学勉強など、多くの日本人にとって意味がない、ということです。それどころか、「英語」及び「英語を話す人々」を祀り上げ、おかしな序列を生むし、つまらない風潮に煽動された日本国の前途有為な若者が、外国にわざわざ出て行くこともないでしょう(国連英語試験に合格して国連高級官僚になり高い給与と長期間の有給休暇を受益したい、というやつもいたが)。
この迷妄もいい加減にして欲しい。
私のかつて旅行で行ったアイスランドでも、30万程度の人口しかない国家でも、あるいは英国の連合国家(スコットランド、ウェールズなど)でも、みな民族語を第一言語として、懸命に愛し、維持しています。自国語すら使用が禁じられた時代もあったことでしょうから。
アイスランド人は不必要に英語など決してしゃべらない。彼らは、アイスランド語をしゃべっていた。
来訪時、ガイドが配ったアイスランドの英字新聞を見ていて、「イギリス人がアイスランド人の英語がまずい(英語を話すだけの教養がないという意味なのか。)」とあざけったというニュースがあり、両国間の厳しい歴史は別にしても、なるほど、言語による他国文化侵略というのは日常的にあるのだと思いました。
自国の国語すら尊重できない国民国家が、今後、強国の侵略と軍事・経済・文化的な制圧のもとで、生き延びられようもない。まずバカにされます。
それ、「「皆様の」NHK」は、一部の利害と目的を同一にする特権階層に奉仕するのでなく、大多数の国民と、未来を担う若者たちに、キチンと日本語の修養を積ませ(「日本語であそぼ」で文楽や能あるいは和歌について語るのはきわめて大事なことです。)、中共・米欧などの他国勢力が、世界規模で飢狼のように、他国の遅れや無防備を食いつぶしていくその現実をきちんと報道しなさい。私はまだ、先に鳴り物入りで宣伝した、NHKが独自に取材し、製作したという「パナマ文書」をめぐる」上層階級の不道徳性を告発した番組をみていないぞ。友人にも確認したが、彼らもそんなものは見ていないといっていた。
バイアスのかかった左翼・商業新聞、民放に相乗りし、バカな尻馬に乗って、アメリカ大統領をおとしめるよりは、こころある国民の知るべき権利にきちんと応えなさい。
その前に、わが、出勤前の朝の黄金時間に、つまらない番組を入れるのはやめろ、せっかく、「日本語であそぼ」、「06:55」、「シャキーン」と繫がる貴重な時間であるのに。殊に、「日本語であそぼ」の後は「英語であそぼ」でしょう、というような愚かな番組編成が気に食わない。その知性の欠落を思えば、非常に不愉快である。
世の中には、「英語であそぼ」の愛好者もあれば、韓流(かんりゅう)ドラマの愛好者もあることでしょう。それは仕方のないことです。
しかし、過剰に英語及び英語会話者に執着したり(NHKBSにはつまらぬ劇作家を司会にした英語圏の若者を集めたトーク番組があるではないか。)、出来がよくもない韓流(かんりゅう)ドラマに過剰に肩入れしたり(あんなものを本当に見たいやつがいるのかね。)とか、これは、グローバリズムという21世紀の愚かな共同幻想に取り込まれたNHKの方針なのか、つまらない、軽薄で浅薄な迷妄の産物ではないのか。
それとも、日本国民の多くは、不見識で、教養もなく、実質グローバリズムに迎合しているので、「皆様の」NHKも、(そんなことはわからないが)多数が愚かな大衆であれば、ポピュリズム(大衆迎合)志向がなぜ悪いんだ、と居直るのでしょうか。
「英語化は愚民化」(施光恒著、集英社新書)、見識を欠いた、お人よしで、無考えな日本人が今後どのような道をたどるのか、示唆に富んだきわめて興味深い本です。
是非、お読みください。
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