臼杵市の摩崖仏です。
引き続き、湯布院町宿泊について言及します。
このたびは、ひさしぶりに、山歩きをしようと思い、九州で、まだ登っていない由布岳を登山する予定をしていました。
そのつもりで、隣接の湯布院市に、一泊する予定にしていました。そこは、日本旅館でしたが、連休料金になる、と言っており、まあ、繁忙観光地でもあるので、仕方がないか、と思っていました。
実は、事前に、由布岳の登山について、当該旅館に問い合わせをしていましたが、どうも返事がはかばかしくなく、なぜなのかと、疑問に思っていました。
別府から、由布院に抜ける県道11号線を走っていたとき、たまたま、由布岳の登山道(中央)を見つけ、妻との協議の結果、そのまま登ることにして、早速登り始めました。
由布岳の標高は、1583メートルであり、当該登山道の始まりが600メートルくらいの標高で、見る限りでは、そんなに厳しい山とは思えず、早速きれいな草地を歩き出しました。
美しい新緑の木々の中を、松林から、つつじなどのかん木林に置き換わるまで、若葉の中を、気持ちよく進みましたが、二人とも、昔日の体力、気力はなく、八合目(だと思える。)で、断念してしまいました。
特に、降り道に、極端に弱い私は、這う這う、下山したようなところです。
それから、旅館目指して出発しましたが、市内をとおりすぎ、いつの間にか山側の枝道に入り、ナビを見ても隘路のような道が続き、離合も困難な私道のような道が延々と続きます。「おい、おい」と思いつつも、中心部からかなり離れた、山の中腹のようなところで、お目当ての旅館を発見しました。
当該旅館は、急傾地に建っており、その施設が、棚状に、何段階にも分かれています。
一番上の段のフロントで受付をしたとき、担当の女性職員が対応し、流暢な日本語でしたが、「えっ」と思いましたが、明らかに日本人ではありません。いわゆる、背の高い中国系の美人です。上下のお仕着せを着て、申し訳のように、粉茶の冷茶(粉が溶けずに残っています。)が出て、館内の説明です。
私たちは、別棟に宿泊予定であったので、彼女が、手下を連れ、部屋まで案内します。手下が荷物を持つ、というので、「それはいい」というと、「いずれにせよ、(彼女は)付いてくるのに(なぜ持たせないのか?)」、というので、「へー、なるほど、(あなたの祖国は厳しい階級社会だな)」と、当方も納得です。
妻に言わせれば、手下を、あごで使ってるよ、という感触です。うちの家庭も同様じゃないか、というのは私の感想ですが、それを外部にわかるようにすべきじゃないな、ということも確かです。
当該離れは広いのですが、それは海の家のようなつくりで、いたずらに広いわけです。どうも7、8人くらいは雑魚寝(ざこね)できるね、という具合です。
食事は、食堂へというわけで、急峻な石段を登らなくてはいけません。
のぼり坂に強い私ですが、登山の後でさすがにこたえました。
テレビっ子の私は、部屋に入るなりに、早速テレビを点けてみます(令和天皇即位の礼の日であった。)が、BS放送は入りません。困ったことです。私は最近地上波をしばらく見ていないのです。
温泉かけ流しの風呂が、昔の西部劇に出るようなユニットバス(足がついたあれです。)であります。
一応、本館大浴場へ行くといった、妻が、「中浴場でもなかった、家族風呂だ」と、失望して帰ってきました。
石段をのぼり、食堂に行きましたが、やはりスタッフは、日本語が堪能な中国人です。
メニューは、当然グローバリゼーションに配慮した、ハングル・中国・日本語です。英語バージョンがないのが嗤えるところです。
まず、ドリンクの注文があり、目の前に置かれた盛り台に、説明とともに、コース料理が並べられていきます。料理に対する受け答えは、一応はしてくれます。
日本料理なんでしょう、おそらく、ただ、数種類の調味料入れがおいてあり(ありがたいことです。足りない部分は足せということでしょう。)、「あれ、百均(百円均一の雑貨屋)の容器じゃないの」と、妻が言います。
いろいろ料理が出て、どのように調理したのか、妻に教えを乞いますが、「これは和風の業務用だし」とか、いろいろ、レスポンスがあります。不満です。
きわめつけは、えびの刺身に、香辛料の利いたソースが載っているもので、これは、日本料理じゃないだろ、と思えるものです。全体で、6、7品は出ます。
率直に言って、国籍不明料理であれば、それでいいのかもしれないが、それでも決してうまくはないだろう、という感想です。
後で、「今回、最初にここに泊まって、最期に、別府に泊まったら、よかったわね」、という、双方の結論でした。
人里離れた箇所なので、まちに歩いていくこともできず、部屋つき露天風呂をつかうこととしました。
使用時間は、安全管理上という理由で、朝6時から、夜12時までの使用となっています。それは、営業上の理由ではないのかと、こちらも深読みします。
風呂のすぐ下は護岸であり、切り立った川岸となり、対岸はうっそうとした樹木が茂っています。露天風呂の流し湯は、そのまま当該河川に直接排出されるように見え、放水して「大丈夫なのか」という疑問が浮かびます。温泉水自体の放水は、支障がないものかもしれませんが。
白濁した湯の、泉質は確かに良い様でした。妻も同様の感想です。
しかしながら、先の別府の温泉と比べると、費用ははるかに高く、日本旅館としてのそのサービス、そのおもてなしの質を、費用効果性を考慮すれば、当方とすれば、やはり、腹立たしいわけです。
なぜ、このような、似て非ざる、えせ日本旅館サービスについて、私たちが、いらだつのか、心外に思うのか、考察してみました。
かつて(ずいぶん前ですが)、インドネシアの、著名(?) なリゾートホテルに宿泊した際、当該ホテルは、各客室を、かやぶきのコテージと大理石で拭いた床の建物にしています。それはいかにも現地の建物と、文化、伝統、植民地時代の豪奢さを混在し、当該長い歴史をほうふつさせる造りになっており、ホテルの様々な、基礎建築と同様に、独特の雰囲気をかもし出すこととなっていました。
私たちが、初めて、例の、インフェニティエッジというのか、風景と水面が一体となる、まるでその場所全体が、森林の中に在るかの様な風景を作り出す、備付けプールを体験したのは、そのホテルです(私たちの身分不相応のきわめて高い料金でしたが)。
料理はもちろんのこと、ホテルのスタッフは、どのようにして、現地の特色、歴史、文化、雰囲気を出すのかに、非常に腐心しているかが、こちらに伺える様です。いわゆる、客が望むような植民地ホテルの雰囲気をどのように顕わすか、ということです。
彼らは、その国家の独自の歴史や、伝統、風習をよりよく肯定し、外国人にその雰囲気をどのように伝えるかに努力を傾注していました。
また、同時に、ホテルを少し離れれば、シャモのような鶏が、路地を走っていたり、街を行き合わせれば、まだ風葬があったりする場所であり、人口も多く、ごみごみした街並みが続く、汚く、異文化とすれば、まことに面白く懐かしいようなところ(妻は嫌った。)でした。
どうも、旅行に行くのは、非日常の生活体験を味わう要素が大きく、それが喜びとなって、私たちの感情を慰撫します。人は、それこそ、「差異」に価値を見出すのですね。
よその国に居座り、借り物の文化や歴史で、キッチュな景色を作って、何の意味が、発見があるのかと、いいたいわけです。「バカにするなよ」、「わが国の伝統や文化を舐めるなよ」と、きわめてはらだたしい訳です。また、結果的にこんなサービスでは、他国の文化や、歴史をおとしめる結果にしかなっていない、訳です。
また、彼らは、他国に対する敬意や、文化の尊重が、決定的に欠落している、舐めた、おもてなし(いやがらせかもしれない。)をしている、訳です。
辛らつに言えば、猿芝居は、お前の国で、自国民だけにやってやれよ、ということです。
仮に、中共の、独自の文化、現地人のより良き接遇ともてなしを、提供したら、中共旅行も可能かもしれない、しかし、漢詩人たちが描いたような、その気風や、客人に対するもてなしの文化も、あの農本共産主義の嵐(文化大革命)の渦中で、とうに、失われたのではないか、と邪推します。
ダメ押しではないですが、翌日の出立前に、その日旅行する場所の、パンフレットかなんかないの、と聞いて見ましたが、そんなものはありません、という回答です。その替りに、「○○さん」と呼ばれ、初めて日本人スタッフが、現われました。
彼女は、「そこは、ずいぶん前に一度だけ行ったので、よくわかりません」という回答です。
さすがに、中共系ホテル、日本国の他の同業者や、観光地の尊重とは無縁で、孤立無援で営業しているようです。バカな話ですね。
このブログを書いている途中に、聞き及ぶところによれば、南鮮資本により買い占められた、対馬の観光旅館で、恣意的で攻撃的な観光案内で、地区民が崇敬する神域(和多都見神社・ファイスブック・平山氏のページを参照)のみならず貴重な日本国の文化遺産をおとしめる行為が横行している、との話もあります。
元寇時代の、対馬民衆へのきわめて苛酷な侵略被害(いわゆる鎌倉時代の「他国侵ぴつの国難」)は改めて指摘するべくもなく、当該元の圧政に抗しきれかった、漢民族のだらしなさ(中共民の先祖)を指摘(組織的な攻撃に時には反論しなければ)し、その代替として、覇権国家として、わが国土を買いあさる、経済・軍事的侵略を、露骨にしているではないか、ということです。
これは、決して些細なことではなく、それこそ、わが国の歴史・文化・伝統に対する侵略を、政治的・経済的侵略と同時に行われている他国の侵略行為を、許して良いのか、と強く思います。
私、先に、(玄界灘において)対馬に連なる壱岐島に行きましたが、その際、ホテルで、スタッフと、気の置けない本音トークとなり、国境に近い島の苦衷をわかっているでしょうかと、真顔で問い返されました。
確かにそうでしょう。しかし、同時に、ここが南鮮観光植民地化されたとすれば、いくら歴史と文化があったとしても、壱岐には、日本人は来ないよと、応酬もしました。
このたび、騙されて宿泊した、同宿の他の方々には、お気の毒なことですが、これだけ、文化・伝統への無理解や、不適切なおもてなしが、私たちの気持ち(日本人としての実存意識)にこたえるとは、私たちは思っていませんでした。
考えれば、連休の忙しい中で、日程を繰り合わせ、家族のために旅行され、いい旅館をと、宿泊した方に対して、私は、「自己責任」とは決していえないわけです。
むしろ、グローバリズムなどという腐った理念の下に、他国から侵略と文化破壊を許す、日本の腐った政治家たちの、ねじのゆるんだ頭を、関西弁で言えば、「どついてやりたい」、ところですね。
山口弁で言えば、「しばきあげちゃりたい」(原語は「しばく」という動詞になります。)ということになりますが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます