天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

別府旅行記追記「中共語化(朝鮮語化)は更なる愚民化=奴隷化」である(西日本高速道路運営会社にもの申す。)。 (罵倒編12のその2)

2020-10-31 15:20:17 | 罵倒シリーズ
 このたび、再度、別府に行った。
 例の、「GO TO トラベルキャンペーン」を利用しての話である。

 近頃、人性の黄昏時(本当はよくわからないが)に差し掛かったせいか、妻が、生き急いでいる。
 それは、自分がどこまで元気で動けるか、という危機意識である。
 彼女には、もともと、引退したら、外国旅行をする、という宿願がある。
 自身の学友たちは、おしなべて奥様になり、ほしいままに、海外旅行等行っていて、なぜ懸命に働きつづけた私は割を食うのか、というのがその主張である。
 うちのパートの従業員も同様にしている、という。
 「本当にそうなのか」と、こちらが疑義や理屈を説いても無駄である。
 私は、今まで家族の犠牲になった、この際、つけを返してもらう、という。
 いわば、これはルサンチマンのようなものであろうか。

 また、その姿は、名著「オニババ化する女たち」(三砂ちづる著)の現実形態のようなものなのか、うちの妻も、自己利害の全面追及と、他者に対する寛容さとかや思いやりとかを償却しながら、経年劣化していくばかりである。
 彼女も、同様に、私をののしるだろうが、それは彼女の権利である。
 私たちは、対等であり、それぞれの立場で愛憎の歴史をもっている。

 ところで、私のような境遇にいると、官庁主導の陰謀「男女共同参画運動」は、つくづくと、本当に腹が立つ。
 私の見るところ、世の多くの男どもも、同様な見解であろうと思う。
 あの、パヨク・フェミニズム主導の能天気な主調音がどうにも許せない。
 学生時代、周囲にいた新左翼や政党・労組同伴者と、その愚かな承継者たちに感じたものと同様で、虫ずが走る。

 夫婦間のトラブルが「犯罪」まで行きつく深刻な場合は別である(犯罪としてさばけばいい。警察は家族内の犯罪にも介入してくれるようになった。)。

 今、国家・政府が、無理やり男女問題の解決をすると強硬に主張するのは、女性の低賃金労働者就業への勧奨と、LGBT推進政策とタッグを組んだ、自国民の分断と外国人労働者の過剰流入を合理化していくことにある。
 男女共同参画大臣設置など、政府はどこまでおバカなのか。
 おまけに、一事不再議の原則に照らしても違法である、国民間の意見聴取でも決着した、夫婦別姓の問題を、なぜ今更蒸し返す。
 腐った、大阪市維新勢力の推進する「都構想」と同質の政治手法ではないか。
 私も、大多数大阪市民大衆にとっての良い方向で、決着することを望んでいる(すなわち維新勢力と新自由主義による大阪市の食いつぶし謀略が破綻すること)。

 それこそ、パヨクが思うほど、政府はバカでないのなら、それは、明らかに大多数国民の利害に対する敵対行為である。すなわち確信犯である。

 いずれまた蒸し返すが、学会合意決着の10万円ばらまき以外に、政府・財務省は経済対策として、国民に何をしてくれた?
 デフレ・コロナのダブルパンチに、国内景気復興対策に何の手をも出さない。あきれて論じることもできないほどに。
 その合間で、新自由主義、売国奴竹中平蔵が、内閣ブレーンで活躍する。福祉の制限の公言と、日本国の宝、国内中小企業は日本国にいらない、という。さすがに、自己利益の徹底追及と無慈悲な資本主義を体現するだけあって、あの童顔も、近頃、悪相になってはいないか。
 したがって、敵国中共に走る、国内大手売国奴企業が輩出する。
 国民所得が、すでに南鮮にも劣るというのなら、まず、国家間の経済戦争に私たちはすでに負けているではないか、政府、一部特権者たちは、腐ったグローバリズムにどこまで加担・奉仕するのか。

 もともと、「男女共同参画」というのなら、それは「心や意識の問題」などという上等な問題ではない。
 私にも割り当て研修があり、仕方がないので、まず協賛企業に対して、いわれのない男女の賃金格差の解消を働きかけるべきでないのか、それを抜きにして何も語れないと、私は何度も、啓発研修の市の担当者に提言した。ナシのつぶて、である。そうであろう、本気でないから。

 いい年をして、市民に対し「家事の男女間の共同負担」とか提言して、お前たちは恥ずかしくないのか。基本的に、市民をバカにしている。
 「俺は、お前たちが、(裏で)どんなインチキな夫婦喧嘩をしているかよく知っているぞ」と、喝破した小林秀雄のように、バカな公式、愚劣問答を繰り返す彼らをののしってやりたい。
 国家や政府が、夫婦(男女)間で作り上げる個々の生活・観念世界(対幻想)に口を挟むなど、余計なお世話である。
 そんなアホらしいことは、さすがに古代から為政者もやってこなかった。

 一組の男女間での「愛の直接性」とか、片面的なことは言うまい。当然のことだ、子育てやらなんやらの際に、少々壊れかかった夫婦にもそれは確かにある。
 それより何より、制度の不備と貧困によってそれが阻害される、虐待やネグレクトを私は許さない。
 それは、多くの国民大衆たちも、同様な見解であると思う。
 現在、何より問題なのは、「国民の貧困」の問題なのだと。
 先に、小浜逸郎氏に教わった、京大教授、美学学会会長、吉岡洋氏のブログ、「ひるねのたぬき」(chez-nous.typepad.jp)、を引用する。
 「日本国民の貧困化を継続しさらに助長することになるすべての政策に対して、党派やイデオロギーの違いを越えて大同団結することが(今)最も必要であると考えています。(学問の自由について) 
 「国民の貧困」は、学者であろうが、一般大衆であろうが、あらゆる側面で、進められ、私たちは分断されている。
 この認識と、当面、個々の側面での戦いを私たちは、喫緊の問題として共有し、戦って行かなくてはならない、と私も思う。

 ここからは、「男と女に係る」個人的な感興(各論)に戻る。

 しかし、それ(愛の直接性)が長く続いていくとは限らない。
 そもそも、開闢(かいびゃく)以来、一連の男と女は、相互で不断の闘争をしている。
 それは、男女のどちらが、何らかの方法で、相手へのヘゲモニー(支配への同意)を握るかというところに尽きている。
 更年期に差し掛かり、ラカンの指摘を待つまでもなく、折に触れ、妻は狂騒状態になる、何をしても言っても、何も受け付けない、あれは演技をしているのではないかとひそかに私は疑っている。
 一方、同様にご指摘のとおり、「女になった」はずの私は、昔の攻撃性(?) は収まり、昔より温和になった。
 性を媒介にした関係も、お互い衰えてしまえば、融和への道筋はできる、よくしたものである。
 私たちも、通常であれば、決定的な破綻まで行かない。
 仕方がないので、その前で、お互いに損得と今後の様々なリスクを測る。
 そんなものである。あらゆる関係は、闘争の果てに生じたものであると。
 嘘がつけない男女間できれいな口を利くことはない。殊に、根っからのリアリストである女性とすれば、男女共同参画など、屁みたいなものだろう。
 それが理解できずに、否、それを政治的な運動に引っ張り込もうという女は、心底、下衆(げす)だ。言っておかなければならないなら、男も下衆だ。私の敵だ。

 かの「文化大革命」の際、流行ったという、「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのもみんな私が悪いのよ」と、以前私は、ゆるやかに妻に抗弁したことがありはしないか。

 おそらく、我が家の子や孫を入れてしまえば、彼らは、私より妻の延命を望むであろう。
 それは十分に理解できる。妻の方が、将来、役に立つのだ。
 平均年齢は、一般的に女が長い、自然の摂理はそうできている。
 私は、妻よりは先に、従容(憤然)として、死んでいこう、それはひそかな決意である(本当のところはよくわからないが。)。
 妻は、逆に、私が生き急いでいるという、なかなか鋭い指摘だ、優れた対立者というのは、身内にもいる。


 閑話休題、前振りはここまでにさせてもらう。長くなって申し訳ない。
 逆らったら、はけ口・標的となるので、基本的に逆らわない、どこに行くといわれても、喜んでお供をさせていただく。それが幸せというものだ。
 さすがに南極に行きたい、というのは断ったが。

 ということで、このたびも妻が皆仕切ってくれる。
 ありがたいことである。
 私も好奇心は、まだ尽きないので、旅行に行けば楽しい思いはできる。
 このたびは、大分県日出町の、二階堂美術館の所蔵品で開催されている横山大観展を見に行くこととなった。
 地方で、大家といわれる人の作品を見る機会は少ないので、大変うれしかった。

 東九州自動車道に入って、前回に罵倒した、今川PAに入る。
 徹底した合理化で、コンビニ、インターが併設であるあわただしい場所である。
 まことに息苦しい。
 注意深く聞いていると、中共語、朝鮮語放送がない、先に立ち寄った(9月上旬)時、なぜ、コロナ下で意味もなく、こんな売国放送を繰り返す、と投書したので、私たち利用者の意見も、聴取し、採用するのだとうれしかった。
 したがって、お礼の言葉を投稿しようと、はがきを取り上げた。

 あにはからんや、帰路の、対に設置された今川PAに立ち寄った際である。
 きちんと、中共語、朝鮮語放送が、放送されているではないか。
 要は、下り路線は、音声の故障だったのであろう。
 引き続き、立ち寄り者もいないはずの場所で、売国放送を繰り返す。

 もし、政治的に日本国に住在する中共人があれば、日本国民は、習近平のご威光のもとに、変わらず臣従している、愉快、愉快と思ったであろう(中共で習近平が尊敬されているかどうかは別問題である。)。
 反日国家の南鮮人であれば、あれだけなじっても、バカにしても日本人はバカだ、そんなもんだ、バカはバカだ、バカにしていれば、今までとおりでなんの問題もない、と思うだろう。

 続いて、「めかりPA」に寄っても同様である。閑散とした、パーキングに、放送ばかり響いている。
 このたび、検証しなかったが、関門海峡の対岸にある下りの「下関PA」においても、同様の扱いなのかもしれない。
 下関市は、観光商業地の唐戸魚市場で、中共人を原因とするコロナ被害で大損害を受けたであろうに、と思う。

 民族語、日本語は、日本人の誇りである。
 日本国では日本語を使いこなす(西欧文明を翻訳・理解し自国の安定のもととしたということである。)文化国家であるが、今後とも、殊に、世界平和の脅威である中共、反日国家の南鮮に、侵略され、また侮られて、いずれ植民地国家の座に頽落(たいらく)するのか。
 日本国が経済的に占拠され、今までも、日本国の文化・伝統を軽視、侮蔑する行為は、島しょ部、周辺部など、警備の薄い、日本国の各地で行われてきた。
 それを言えば、私は、東京の名門百貨店でも、同様な光景を見てきた。
 要は、教養のない、覇権国の、元貧民たちは、他国に行っても、素で下品な行為を繰り返すということである。

 いずれにせよ、中共が日本国の敵国として対立すれば、ウイグルと同様に、悪辣な同化政策をとるのは明白である。
 反動革命、文化革命で、伝統・文化を否定し、父祖を否定し、家族すら否定することを強要し、反抗的な指導者・国民を、公開処刑してきた、パヨク国家の人民抑圧は、今も、健在である。
 悲惨な反動革命は、カンボジアでも、南米でもいくらもあった話ではないか。
 それを擁護する、西欧・日本国の病的な狂信パヨク勢力も、益々健在である。

 なぜ、西日本高速道路運営会社は、利敵・反社会的行為を改めないのか、それとも、すでに、その経営は、中共の管理下にあるのか。

 九州には、名著「英語化は愚民化」の著者、施光恒氏もいるはずである。
 九州では、親中共、親南鮮の気風・雰囲気があるといえば、それまでであるが、九州人は、なぜ、こんな仕打ちに怒らない?

 このたび、私が旅先で出会ったのは、皆、至極まともで健全な人ばかりであった。
 彼らは、「GO TO トラベルキャンペーン」をありがたいといい、自社の利潤率の減少を覚悟で、親切な対応をしてくれた。お土産までもらった。

 私が感じたところでは、今回、旅行者は思いのほか多い。どこでも日本語が聞けて良かった、ところである。

 しかし、このたびも、深く、思ったのは、疲弊した観光地・商業地を復活するためには、まず必要なのは、国民経済の健全な復活ということであり、そのため、なぜ、消費税を凍結しないのか、という、率直な疑問である。
 消費行為は雰囲気である、デフレ、コロナとマイナス原因が続くのに、誰が積極的に消費をするというのだ。消費が振るわないのに、誰が、積極的に、商品開発をしたり、製造・販売が活性化するというのか。
 「GO TO トラベルキャンペーン」などでは明らかに不十分である。
 私は、地元の商業者、製造業者のみならず、一般国民大衆を、側面支援したい。
 私たちは、貧困から抜け出す権利がある。「自己努力」とか上等なものではない。
 政府が、怠り続けた、効果ある経済政策を成すべきである。

 「非国民」といわれるがいやで、旅行にもいかない人が、いくらでもいるではないか。
 早急に消費税凍結(廃止)し、どこに居ようと、国民の大多数が、共存共栄し、日本国の安心安全が護持できるようにすべきであろうと思う。

 「西日本高速道路運営会社」よ、そのためにも、意味のない、いや、非常に害のある、売国放送を即座に停止せよ。

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