天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11) その1

2019-05-31 19:34:23 | 罵倒シリーズ

 日本国を衛護する八幡宮のもとじめ、宇佐八幡宮です。
 
 先の大型連休に、九州北東部方面(大分県)に旅行しました。
 「超」大型連休ということで、久しぶりの自分の車での旅行で、少しビビッていましたが、幸い無事に帰ってこられたのは重畳でした。
 そういえば、妻から旅行に誘われるのは、ありがたいことである、と近年、思えるようになり、いろいろ留保はありますが、まあ、幸せなことです。
 このたび、連泊で別府市に二泊し、湯布院に一泊しました。
 昨年末、別府に宿泊し、それは妻の選択した旅館であり、昭和初期建築という、古いながらもとても印象がよかったので、変化を好まない私とすれば、季節を替え、同じ宿をこのたび再度おとずれ利用したかったところです。
前回は、お初の利用だったというのか、庭付きの続き部屋を用意してもらい、このたび、電話予約で、当該部屋をお願いしました。
その際に、宿泊客の部屋の選択は、おかみの裁量であるという回答でありました。このたびも、その部屋が用意されてあり、幸運なことでした。

前回宿泊した際に、外国人(南鮮系)が、部屋指定で宿泊したいと強弁し、この広い部屋に変えろ、とか、風呂場の脱衣場であかすりをやられて困った、という話を聞きましたが、私たちは温和な民族であり、旅館の方針に従いますが、彼らはどこに行っても、あくまで、中華思想であり、アグレッシブであるようです。
かつて、高度成長期(今では夢のようですが)に、「ノウキョー(農協)さんが団体旅行で、暇にまかせて外国旅行(先進国旅行?)へ行っている」と、新聞・雑誌で、揶揄・嫉妬された時代に、彼らは「(良識ある)現地人の顰蹙を買っている」と、嘘偽報道しました。
当時の新聞・雑誌記者とは、すなわち大衆憎悪のサヨクインテリたちであり、大衆(?) 旅行者を成り上がりものとして、その有様を、おもしろおかしく盛んに軽蔑・批判しました。当時の、都市型貧民(都市居住の中間層)のルサンチマンを、くすぐり、煽動したわけです。
その流れは、その後、海外旅行でブランド商品を奪い合う、都市下層女子労働者(OL)を批判し、西欧旅行をし、自分たちの特権に手を伸ばしかけない、彼女たちをあざけったわけです。あくまで、不健康で、嫌な男(?)たちですね。
いずれにせよ、無考えの大衆を煽動した、その不健康な、ルサンチマンが、その後、日本国政府の一部を巻き込んだ、卑怯で、下劣なグローバリズム礼賛勢力に利用され、日本農業の息の根を止めるような、亡国の政策、農協法と、種子法の改正を招いたことだと思えてならない。

ところで、現在のパヨク(バカサヨク)マスコミたちは、なぜ、南鮮、中共の一部特権階層の、日本国の観光地における傍若無人な態度と振る舞いを、報道しないのか。

少なくとも、当時の旅行に行った農業従事者(ノウキョーさん)たちには、人のよさというものがあった、と思う。それこそ、「粗にして野だが、卑ではなかった」のである。
日本語のことわざで、「旅の恥はかきすて(その意味は、旅先では恥を感じなく好きなことをやってしまえ、という決して積極的なものではない。旅先で、ものを知らないことで恥をかいても仕方がない、という消極的な意味である。)」以前に、日本人には、それこそ「郷に入れば郷に従え」という、温和な調和性があった。その、「国民性」を私は誇りたいと思う。

 そんな温和で協調的な国民性を、パヨクは「LGBT」とか、「(他国民の)少数者(被抑圧者)の権利」とか、欧米発のPC(ポリティカルコレクトネス)(形式的平等性しか担保できない、浅薄な、くさった理念)に基づき、日本国国民大衆を脅迫している。
 それこそ、何の意味もなく、私たちに、失望と、既視感と、ばかばかしい徒労感が残るばかりです。芯まで腐った確信犯であるかどうかは別にして、日本国民は、パヨクですら、バカで、お人よしなんですね。それにきちんと乗っかる、中共・南鮮の指導者たちは、抜け目のない、外交巧者である、下劣な輩である、が。

 特にぜいたくをしない私たちにとって、きちんと、部屋つきの仲居さんにきちんと対応してもらうのは、記憶をめくっても初めてであるような経験です。
 湯茶の接待から始まり、風呂の説明から丁寧に行われ、それ以外は問えば応えるという対応です。これも、おもてなしの妙蹄でしょうか。茶器も、茶自体も、名品でありかつ質の良いもの、という妻の判定です。
 このたびは連泊でもあり、祝儀とかどうなのか、と聞いてみれば、「微妙だね、袋はないよ」、という応えでありました。今になって思えば、「出すべきであったなあ」という感想です。
 この旅館は、いわゆる割烹(かっぽう)旅館であり、検索すれば、「日本料理を調理し提供する旅館」ということになるでしょう。確かに、料理の質は高く(妻に、あんたの舌は当てにならぬ、という指摘ですが)、仲居さんが言うには、京料理修行をした板前さんだそうです。
 純和式の上品な料理ではありますが、大ぐらいの私としても、コースで、7品から8品ある料理は十分満足です。何をどうやって調理しているのか、二人で推理して、仲居さんに正解や来歴を聞くのも楽しみです。これは重要なおもてなしですね。
 このたびは、城下かれい(伏流水が別府湾に湧出している箇所に住むかれい)がシーズンに入っており、心地よい歯ごたえと、魚肉の甘みを堪能しました。他にも、まぐろ(おおとろ)も、豊後牛も、まことに美味でした。
味はもちろんのこと、見た目の美しさは、日本料理は世界最高のものであるという指摘は嘘ではないと実感されます。その器についても、伊万里も、九谷も、有田もあり、肉や野菜のコントラストとともに、一見の価値があります。このようにして、庶民は、旅先で、貴重な旅情を楽しむわけですね。これも重要なおもてなしですね。
 仲居さんはとても年季の入った人で、現在は、温泉つきのマンション(?) に住んでおり、今も、仲居の仕事をこなしているといいます。自分の職分をきちんと見定め、おもねることもなく、客に対して過剰な介入もしない、どうも、こちらの対世間・人間関係能力を試されているような心持ちになります。先代の女将の時代から、ここにいるそうで、それこそ、右肩上がりの時代から、バブル崩壊、デフレ時代をどうにか生き抜いてきた、接客業の大ベテランです。
 ところで、この別府にも、外国資本が入ってきているようで、南鮮系から、この9月には、高台にはイギリスのリゾートホテル(インターコンチネンタルホテル)ができるそうです。私の意見として、「それは、囲い込みのような営業で、地元に益することはないんじゃないんですか」と聞いてみると、おつきの人とか、スタッフが、市内に泊まるかもしれないと、客商売らしく、穏当な発言です。

 前に、別府に来たとき、別府駅からの移動に、路線バスを利用した際、外国人(南鮮人)の観光客らしきものが異様に多く、なぜなら立命館太平洋グローバル大学が存置(英語で授業をするというのか。どうもそうらしい。)しており、学生のみならず、その学生の家族が来日・観光しているかも知れないところです。
 国策を反映した、国際人(?) を養成する大学であり、様々な、留学あっせんや、韓国・中国語を学べる環境にもあり、「英語くらい話せるように」、「留学くらいさせてやりたい」、日本人の子弟を教育させたい、今では、父兄の残り少ない共同幻想をくすぐる大学(偏差値は知らないが)です。
 わが日本国は、南鮮や中共と違い、英語ができないと生きていけない国家ではないので、英語に弱い日本人学生は苦労をするでしょう。
 こどもに教育費を懸ける、親たちのその切ない思いは今も私たちの学生時代と変わっていませんが、彼らの資料を見れば、その授業は、教員の板書授業ではなく、学生によるグループセッションや、自主授業を主とすると書いてあるので、「グローバリズムを至上の価値とする」教育がおこなわれ、すなわち「みんな違ってみんないい」という建前の先験的西欧言語・文化至上の国籍不明の授業と、国民国家日本の文化・価値・歴史を放棄した実態であり、欧米国家に、植民地大学として「はなまる」をもらえる、英語主導の植民地教育がされるのでしょう。
 かつて、友人の子弟に聞いたところでは、語学留学先(オーストラリア)でのグループセッションで、彼女は国籍だけで「日本軍国主義者の子弟であると使そう」されたということですから、虚偽の南京事件をもとに吊るしあげを食らうかも知れません。ここに、どんな学生が来ているかはわかりませんが。
 ご都合主義というか、通俗的というか、立命館大学とは、つくづく、曲学阿世の徒、ですね。大学教育事業というのは、その昔からビジネスの一環かもしれないが、いささか、たちが悪いようです。

 仄聞するところによると、別府市の丘陵部に位置する、鳴り物入りで宣伝されているS大規模ホテルは、今では、南鮮資本の傘下に移行し、サービスと、客の顔ぶれが全く変わった(朝鮮・中共系がほとんど)、と言っておりました。わが山口県からでも、貧乏人でも交通弱者でも、団体バスで乗り込める安直ないい宿であったらしく、とても残念なことです。

 閑話休題、かの仲居さんは、言葉の端々から、どうも、今の女将に対しても、自分の立場と、応分の分を主張しており、また、職分は女将にきちんと決められているようで、なかなか職場としては、対等で厳しいところです。職人さんのような風情ですね。
 日本国の旅館業は、分業が徹底しているようで、仲居のあいさつから、女将のあいさつ、入れ替わりやってきて、客の要望に応えます。これだけ人手と手間がかかるなら、個人宿泊は難しいような気もします。しかし、一人での宿泊客とも少し話をしましたので、おなじみの単身客も泊まれるようです。うちの妻が、どんなところか厨房を見てみたい、と言っていましたが、それは次回のお楽しみということでしょう。
 別府の観光地を尋ねたところ、「それは女将に聞かれたほうがいいですよ」と、女将を呼んでくれます。
 女将は、「大分民芸資料館」のパンフを添え、紹介してくれました。「解説も無料でしてもらえるんですよ」、という話です。
 ということで、竹細工、民具の奥深さを十分に堪能させていただきました(写真参照)。
 連休中でありながら、とても空いており、まさしく、穴場です。言われたとおり、そこの職員の説明も親切で、丁寧です。
 女将の話では、竹細工は、当然宴席にも使うことがある。それをみた、客の竹細工師のお歴々が、これはいいものだ、○○さんの作だ、大事にしたほうが良い、といわれたと言っていました。
 
 竹細工は最近高価になって、ということで、その理由が、職人さんが若くて、その細工物を作るのに時間がかかり、価格(対象化された時間総額でしょうか。)が跳ね上がる、昔の職人さんの作と質が違う、とのことです。なかなか、興味深い話です。技能の伝承や、正当な評価は当然の話ですが、後継者の不足や、職人の苦衷と、一人前になるまで、何の保証もなかった、昔の職人の苦労が思いやられます。
 私も、記念に竹細工をいろいろ買いましたが、すす竹製というのか、斑入り模様の竹製の箸が大変具合よく、毎日愛用しています。味わい深い良いものです。
 日本の旅館であるからかも知れないが、お願いしたことは、理不尽なこと以外は、だいたいかなえてくれます。本当に「おもてなし」ですね。良質のものは、受け入れる側の、気持ちを融和し、温和で感謝の気持ちを誘発します。それは思いやりと察しの文化であり、つかの間でも良質な人間関係がつくりあげられるのですね。
 連休中の、特別料金などは関係なしで、前回のとおり、リーズナブルな料金で、気持ちよく出発しました。
 このたびも感じましたが、なかなか、別府で、昔ながらの旅館が繁盛しているとは思えませんでした。
 この、デフレの時代に、いまこそわれわれ日本人が、別府という良質の、古い観光地の歴史と文化を味わい、滞在し、支援をすべきではないか、と思われます。この、良質の温泉と、歴史ある旅館街が、死に絶えることは、日本人としてあまりにさみしい、ところです。
 さすがに、元歓楽地であり、町のあちこちに、なかなか興味深い施設、も存在しています。なかなか懐の深い観光地です。
 なぜ、さびれたか(主にデフレと景気低迷による旅行意欲の減退でしょう。)と、その打開策は提言できませんが、わびさびのわが世代とすれば、興味深い観光地として、別府、古びた旅館ツアーを、」是非に推奨します。
良質の湯の町、別府と、良質の別府の旅館に宿泊しましょうよ。いささか、くたびれた私たちに、ぴったしの観光地です。

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