天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

背負子(しょいこ)礼賛及び乳児ホルダー(だっこ紐)をめぐるクロニクル

2019-01-11 19:46:52 | 時事・風俗・情況

乳児を抱えた母親が、乳児を胸の前に抱いている光景を見始めたのはいつのころかと思い浮かべます。
世情に疎い私にとっても、1990年(平成2年)のあたりではなかったかとおもい浮かべます。うちの子の乳児期子育て(1985年から1990年あたりまで)時期に、抱っこ紐(いわゆる胸に抱くタイプの乳児ホルダー、以下「乳児ホルダー」と称します。)が、私には一般的であったとはどうしても思えないのです。
 うちの娘が、こどもを持ち、支援を求めたとき、私は、背負子(しょいこ)(背中に負ぶるタイプの抱っこ紐、以下「背負子」と称する。)を買ってくれと強く主張しました。しかし、娘は頑として応じず、ついに、私が自腹をきって買いましたが、結局、ほとんど、使うことがありませんでした。
 同志(?) である、うちの妻に、「なぜ、背負子を使うように言わないのだ」、と言っても「時代が違う」というばかりで、相手にしません。そのくせ、彼らが育つにつれ、妻は「重くてもう抱けない」と、毎回こぼしながらのことですが。
しかしながら、育児ホルダーはどうも足腰に負担が大きいようで、彼女は、緊急時は、乳児ホルダーなしに、そのまま背中に背負います。思えば、うちの子のときは、兵児帯(へこおび(こども及び男が締める帯、しごき帯))にくるんで負ぶって、あちこちあてどなく歩いた記憶があります。
自分の記憶を思い起こせば、負ぶうこちらはこどもとの一体感を感じ、負ぶわれるこどもも安心感があるようで、よく寝付いた覚えがあります。その効力については後述します。
このたび、なぜ、背負子の変わりに、なぜ乳児ホルダーが膾炙(流行ったかについて)考察します。
1 常に胸に抱きかかえることにより、母子の一体感と安心感が常時確保できる。
2 公共交通機関の中や、路上を歩くときなど、社会生活において、胸に抱えた背後の幼児に対し、見せたくないものの回避や 危険の排除など、対世間的な配慮が担保できる。
3 乳児が安心・安定するためには、授乳あるいは授乳の格好がとても有益である。
4 最初の他者として、母親がこどもを胸に抱き、外部から守る姿勢は、母性として最も安定し、安らぐ格好である。

拙い考察ですが、実際のところ、この育児ホルダーは、すでに一世代を超えて使われているようであり、なぜ、あれほど好まれているかが、当方にはよく理解できないところがあります。
その使用は、「便利で合理的」ということになるのでしょうが、以下、上記に私の疑義を申し述べます。
1 常に母親と向き合うことは、長いスパンでの、こどもの発達と、生育において、十分に配慮すべきである。しかし、相手しか見えない「見る」、「見られる」という関係は、ともすれば内閉的になりがちであり、こどもの抱え込みが強い母親には時に有害である。もっと、厳しい状態におかれれば、母親が、こどもを「食い殺し」はしないのか。
2 安らかな母子の姿は、その起源の象形文字(「保」)(「神さまがくれた漢字たち」、山本史也著、白川静監修、イーストプレス社)に表されるとおり、社会的な視点で、観るものにとって、とても好ましいものである。家族内にのみならず、社会的な受容と受容されることの喜びは、共生存在としての双方にきわめて有益である。
たとえ、孤独な老人であろうと誰であろうと、当該存在を、自己の現在に繰り込み、温和で平和な社会生活の存続を想像することは可能である。保育園の設置や、児童監護施設の設置に反対するような、腐った老人は淘汰されはしないか(人にも拠るか?)。
私は、核家族の定着を嫌悪はしないが、常に母親を向かせる育児ホルダーは、社会性に向かうベクトルのその姿勢の放棄に見えて仕方がない。
3 異論はない。しかし、育児とは盲目的にそのこどもをかわいがることではなく、その子の自立と健全な発達を視野に入れなければ、お互いにとって不幸である。
吉本隆明が言っていたが、幼胎児期の母親の構い(構われ)方と、それを原基にしたその子の思春期の異性との関係付けは、人間の健全な性的発達においてきわめて大事(病むかどうかを含め)であるということであり、私も体験的にそう思う。
4 それこそ「愛の直接性」(ヘーゲル)というか、こどもを持つことにより、親も進化・そしてその人格が陶冶されるのである。
私たちは、結婚を契機に、それは多かれ少なかれ、世間一般でやっていることですが、自分のこどもに対し、自己の最上のもの(自己犠牲、思いやりなど)を差し出し、相互に思いやることで強い家族の関係を作り上げ、同時に社会的にも成熟する、結果として、世代承継のサイクルに参加する。
そこまで思い至らないと、「自分のこどもだけかわいい」地点に安住してしまう。場合によってはそれが、ミーイズム(自己中心主義)というか、腐った理念に転化する。うかうかすれば、それが社会的なあやまった理念に転化してしまうかもしれない。

 現実的な問題とすれば、例えば、政府が給付する児童手当は、あなたの子供がかわいいから、国家が贈与するのではないのですね。
教育と同様に、健全で、安心・安全な社会の継承に寄与する有為な人材に投資するためであり、反社会的な人間や、不健全で、偏向した、朝日新聞に代表される、どうしようもない反社会的不満分子、愚かなバカサヨク予備軍の育成に寄与するために支払うべきものではないのです。

ただひとつ付言すべきは、先に扱った(「火葬場の少年」をめぐり、今年も考える。その3、2017.8.15)、東京大空襲の際、横川国民学校で、降り注ぐ焼夷弾により、被災、戦没死した、乳幼児は、炭化した母親の胸の中で、同じく死んでいたという記録もあり、それが母子にとって、真実最期である身を守る尊い姿勢であることは確かなことである。

 本題にもどり、引き続き、わが生活史に拠って、背負子の優越性を陳べます。
1 背負子は、わが国のみならず、古く人類が、直立した時点から、両手が使え、社会的活動に参画できるようになったときから、有益で、画期的な発明(道具)であった。
この発明が、いわば母子の長い歴史に大きく寄与したことは明白で疑いがないところである。
のみならず、収穫物の運搬は言わずもがなも、「楢山節考」では、老母を背負った、行きて帰らぬ道行きもあったろう。

それを言えば、猿も、抱っこもおんぶもするのである。背負子はないが。
お定まりの脱線であるが、かつて、下北半島の北限のニホンザルというNHKのドキュメンタリーを見ていたときに、母親に死に別れた、子供のメスザルが、事故で片手を失いながらも、大人ザルに混じって必死に生き延びていく姿を観た。
他の親子ザルからは敵視されつつも、その痛々しい奮闘と、生きていく努力と、何よりも生への強い意欲とそのけなげな姿に、思わず泣いてしまったが、わが「黒歴史」のひとつである(そばに人もいなくて良かった。)。製作者も気になったようで、追加取材に拠れば、きびしい冬を越した翌年にはその姿が群れの中になかったということである。合掌。

2 背に負われた、乳幼児も、親と同じ高さと目線で、その親の適切な庇護のもとで、周囲の自然や地域社会をともに見て保育・教育された。それは、あるときは陰惨な光景であったかも知れないが、厳しくも、親が直面した社会生活の側面に一緒に参加してきた。
それは、よい悪いは別にして、こどもが社会的な存在として自立するのに多大な貢献をしてきた。それは、人が共生存在としての人として成長するうえで、必須のものである。
3 子育ては大変な事業である。それは、楽しいのみならず、苦痛で苦役でもあることも同様に確かである。
奉公に出たこども達のつらい日常を歌った、「赤とんぼ」、「五木の子守唄」、「竹田の子守唄」、「島原地方の子守唄」など枚挙に暇のないところである。
しかし、ルサンチマン(弱者のおん念)すら感じさせるそれらの歌の中で、子どもたちの厳しい生活がなんといきいきと謳われていることか、幼児は、負ぶう年長者を、母とも、姉・兄とも慕い、思い、一生懸命追いかけた。また、兄・姉におぶられた経験は、相互の信頼感の醸成にいかに役立ったか。実際のところ、負い、負われというのは、それは、ため息が出るような、濃厚な関係であった。
 振り返れば、昭和30年(1955年)生まれのいなか者の私としても、友人が、「今日は親の都合の子守で遊べない」、という経験はいくらもあった。
4 職場で、同僚の職員に背負子のことを聞いた際に、彼女は、自分の妹に、「なぜ背負子をしないのか(家事労働をしないのか)」と問い詰めたといっており、背負子の使用について、女性同士でも辛らつなやり取りがあることも知った。
 確かに育児だけが、母親(妻)の仕事であったわけはないし、複数児を養育するとき、むずがる下の子を背負い、また上の子をあしらい、その他のなすべき家事をするというのは、ごく一般的なことであろう(「男女協同参画」などという愚かな運動を私は認めない。それぞれ不可避であるはずの個々の家庭の差異(男女の折り合いのつけ方)を肯定するだけである。)。
 うちの妻(時々は同志である。)に言わせれば、「私はそのうえ仕事(当時、居宅で自営)も、あんたの支援もなしに平然とやってきた」、と言明する。
それなら、自分の娘に、「背負子を使ってみろ」と助言しろよ、というと、「嫌われるから、絶対言わない」と、腰砕けである。
 
5 うちの両親は色々残念なところも多い人であったが、昔日、冬の折り、おぶられて、丹前(たんぜん、綿の入った防寒用のどてら)を着た母に、近所のあちこちをつれて歩いてもらった記憶があり、なんとも満ち足りていた思い出がある。私はそれを忘れない。

 世の若き男性諸君よ、妻に命ぜられ、乳児ホルダーで、わが子を、薄い胸に押し付け、右往左往するより、むしろ、背負子で、わが子を負ぶり、そこかしこを歩いてみるとよい、ときに話しかけ、教えかけ、満ち足りた背中の子は、同時にあなたの心をも満たすであろう。
 殊に、男には、わが子の自立心を育て、視野を広げるという大きな役割りがある。私は、いまさらといわれようとも、憎まれても、なんと言われようとそれを撤回するつもりはない。今後とも、家族を含め、いろいろな局面で戦っていくことに否やはない。

赤とんぼ(三木露風作詞)(抜粋)

夕焼け、小焼けの あかとんぼ
負われて見たのは いつの日か。

十五で 姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた。

 やはり、これが人気のある童謡であることが、よく理解できます。
 負い、負ぶわれたという、いわば社会的関係を超え、いつかあったような光景が目に浮かび、お互いの気持ちの交流と、自らの幼児期への愛惜とこだわり、周囲に対する配慮がよく理解できます。このように私は育った(育てていただいた。)、と、納得できる情景が浮かぶわけです。

 もし誰かが、上記について「普遍的に語れ」というのであれば、私は、以下のように記したい。
 「教育の根本精神は、自立心を培うことと、視野を広めて外部世界に対する想像力を養うことの二つである。一方が他方を互いに支えあう関係にある。(小浜逸郎著「日本の七大思想家」(幻冬舎新書)中、「福沢諭吉論」)。
 
 わが子(孫)が、健全に、視野広く育つことを望まない親は居ないだろう。

 わが末孫よ、願わくば、つまらない、パヨク(バカサヨク)や、自国嫌いの、偏狭な反日戦士に成り下がるなよ、と願うばかりである。

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