長門市の「元乃隅神社」です。日本海に開け、西欧人など、異様に鳥居を好みますが、海とのコントラストといい、とても美しい景色です。私に言わせれば、南鮮も北鮮も見えず(海中には潜んでいるかもしれない。)、心晴れるような、心持になります。
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人性のいかなる時期においても、折に触れ生じる「自己の感情の動き」というものは、他者には説明しがたいものである。
それは、わたしたちが「関係存在」(人間存在は自分以外の他者、外部世界と関係して生きていく。またそうであるしかない。)であるしかないことにその原因があるのであろうか。長い人性のうちで、時間を経て、各人の相互関係といきさつの中で、よくも悪くも、大きな直接体験を媒介にして、人間の感情はいかようにも醸成されてしまうであろうからである。
今になって、自分自身が老境(?) に入り、幸いにして応分の時間ができ、それにより、わが「死にいたる病い」(おそらく死に至るまでも解決できない病)についていろいろ考えていくいるしかない境遇となりました。
どうも私も典型的な「日本人」であるらしく、「無常観」に責められ、私の存命のうちに、変え得るもの(改善できるもの)について、殊に現在までの人間関係については折り合いを付け、また修正を加えることとして、今になって、いろいろ意識的に勤めてきたところです。
しかしながら、自分で変え難いもの(重ねて今世で解決できないらしきもの)については、それを運命や諦念として、今、自分で受け入れられるかどうかは、なかなか難しいところです。
数年前、私の実母の晩年に付き合って、併せ、老母のリハビリとして、お互いの記憶の想起とすり合わせを試み、かねてより疑問だった過ぎし日のわが家の因縁 (?) を問いただしてみましたが、それはなかなかに興味深いものでした。
こどものとき、「なぜ、そうであったのか」と疑問に思い、そのまま済ませてきたさまざまな出来事、事件について、何がしかの理由が明らかになり、あと智恵で、腑に落ちたことも多いところです。
大変申し訳ないことですが、なぜ、私は実父母に対し、あまり愛着や愛情を抱けないのかということを長いこと考えていました。
私は、特に、厳しい育児怠業や虐待を受けた覚えがないわけですが、老年期になった父親や、母親に対し、特に愛着を生じなかったところです。
なぜそうなのか、ずっと考えていましたが、さるとき両親二人と話していた何かの拍子に、私がたずねた昔日にかかわる質問に対し、両親が目配せか何か暗黙のやり取りをした覚えがありました。
私の育成過程のうちに、長男(兄)との養育体験とは別に、どうも、何らかの負性の事情があったと思われました。猜疑心の強い私とすれば、幼児期に、自分自身によほど許せない仕打ちを受けたのかと邪推するわけです。
さすがに、晩年の実母に、そのことを問いただすこともできず、結局のところ、決してやさしくない二男として、実父母双方を見送りました。
現実には、そんな話は、どこにでもあるやも知れず、ひとそれぞれ、無名の生活者として、それを抱え込み、今世を生き、ひそやかに死んでいくものかも知れません。
人並みに結婚し、こどもを持つにつれ、かわいいと感じる折にふれつつも、私自身はどうも無意識のところで内部に禍根を残していたようで、わが子を「愛の直接性」の発露として「無条件に容認する」というわけにはいきませんでした。
子育ての合間合間で、こどもの言動に強くいらだち、ときどきで、感情的になり強く叱ったことを憶えています。おそらく、育児に係る親として、その欺瞞性を、世の親は、それぞれ認識しているはず、です。
このあたりは、その当事者(こどもに責任はない。)の人間性というか、それが上等か、そうでもないかに分かれてしまうようで、言い訳もできないところです。今になって、家族内での「公正さ」を確保することと、感情の理不尽さとそれを周囲に悟らせない、自分の「父性の欠如」を、個々に苦くかみしめるしか、ないものかも知れません。
というわけで、わが子たちも、父に似て、身内に対しては、ときに非寛容で、アグレッシブな対応をするように育ったわけですが、しかし、いまでも、長男とは、理屈や条理を説けば、話すすべがあります。
相性が悪いのは、長女のほうであり、観ていると、どうも、彼女は、私と話すだけで、腹が立ってくるようであり、その場その場の自己欲望で、思うことを、思うままにぶつけてきます。
それは、私が孫(自分のこども)を、抱き上げかわいがろうとしているときでも、同様です。
なぜなのかと、その言外の意味を考えていけば、どうも彼女は「私は、父親に愛されなかった」と言明・宣言し、どうもこちらとしては、常時告発されているような心持ちです。
最初から、決して、折り合いはよくなかったわけですが、今となれば、ときに、それは常軌を逸しているのではないかと思われる(それはお互い様か?)今日この頃です。
現在の私とすれば、お互いの愛憎の歴史を考慮し、我慢はしますが、ときに応酬せざるを得ないときもあるところです。
それは、現在の頑是ない孫たちが、「今の」私にとって、「無条件に」かわいいことと対照的であるともいえます。
私に比べ、人間関係が得手で、賢いはずのうちの妻でさえ、「娘は男親にとって無条件にかわいいでしょう」と、通俗的な「神話」を信じているようで、妥協しろ、逆らうな、といいます。たとえ信じていなくとも「それが方便でしょ」というわけかも知れません。しかし、彼女にとって、「息子の方がかわいい」、ことは私が指摘するまでもないところ、です。
「アホな子ほどかわいい」とも言いますが、それは、親ができの悪い子の「アホ」を認識したうえで、相互に心の交流があってのことであり、優秀で手のかからないこどもの方が、私には、かわいい、訳です。
かつて、私は、妻の実家を訪れるたびに、妻とその両親との様々なやり取りを見ていましたが、親とは争わない、何か親のために、場面場面で働こうとする妻の姿は、老いた義父母にとって、よりかわいく、頼り甲斐のある娘であろうことは、よくみてとれました。傍観者ながら、相互の良い感情のやり取りがよく見えるようでした。
あるとき、孫まで巻き添えにして、当方を責め始めたので、「そこまで言うのならもうこなくていい」と、娘に言明しました。
そばで見ていた妻に、後で責められましたが、今になって、娘が「私は愛されなかった」と、いまさら、言外に、あらゆる機会に責められても、こちらも対応に困る。実は、私は、「娘より息子の方がかわいい」と、初めて、私の感情を率直に陳べました。
妻はどうもそれが腑に落ちたようで、それ以降、娘とともに、嵩にかかった口撃(口によるもの)を、多少、緩めたようです。
それはどうも、仕切り屋の娘に、頤使(いし。あごで使われる。)されるような自分自身の境涯に疑問を持ったのかも知れません。
理性的に判断すれば、人は自分以外の他者(妻の場合は私たちの長い歴史をかんがみ幾分かは留保します。)に、侮辱的な言動や、心無い仕打ちを受けることに慣れることはできないわけです。
「孫や子は無条件でかわいいかどうか」は、それは神話(うそ)、男親にとって娘が無条件にかわいいかはそれも神話(うそ)ですね。人性において、人間関係というのは、相互の限度をわきまえた範囲で、一方的な、善意の贈与はありえないし、一時期の母子関係など、特殊で、限定的なものです。
娘に出さなかった手紙として以下のように記します。
うちの娘は、抽象的な思考に合わないたちなので、たぶん、理解はできないでしょう。
しかし、将来まで、子育ての長い時間を経て、多少とも、人性における、感情のおりのようなものとして理解できればと望みます。
1 今世では、個々の人性の幸・不幸というものは、まことに不平等なものである。また、それぞれの運・不運もあり、あたかも、不条理で理不尽であるかのように、その運命を強く拘束される。
2 また、愛し愛され、憎み憎まれという人性での強い感情も、疎まれるものにとって、全く理不尽であり、それにより、やりどころのない失望や悲しみを抱くところである。
3 人間の付き合いという関係も、それぞれの好悪を含めた、相互の一定の限度の中で許されているものである。たとえば、それを無理に超えれば、暗黙の社会的な規範として一定の限度を超えたいわば関係欲望は行き違い、恣意的に処断されることとなっている。
4 いわば、あらゆる人間の関係は、現実には、相互規定となってしまうものであり、その中で発露される、一方的な愛情にも、一方的な憎しみにも、人は耐え切れるものではない。いわゆる、今世は相対感情でやっていくしかないのであるが、それを制御するには、辛抱も技術や経験も要る。
5 若いときは、未熟なので、どうしても「絶対」を求めてしまう。求めるばかりに執着して、自らへの、疑義、失望、受容、諦観を意識化しなければ、生涯において不幸である。「幻滅」から始まりまた終わるのが、ほとんどの人性であるので、失望や幻滅とも上手に付きあわなければならない。
6 母親とすれば、こどもに対しては、公平に取り扱い、理不尽な思いを与えたり、将来において憎まれるような契機を与えてはならない(与えないほうが良い。)。
7 人性において、「相手に良かれ」と思って行った言動は、あまり相手に伝わらない。
8 親から子に伝える善き気持ちは、ほとんど一方通行である。後から考えると、自分自身に対する無償の配慮というものは、自分を除けば、この世では、実親から与えられたものより外はない。
9 親業というものは報われぬつらいものである。それは、先祖伝来の厳しい仕事である、と理解したほうが事実としては正しい。
10 社会的な視点を入れると、貧困や、不運によって、家族の不幸を味わうケースはいくらもあることである。奈落や、底辺は底がしれない。自らの境遇の幸不幸に、一憂一喜しても詮のない話である。
かといって、少数者の利益のために、大多数の利害を踏みにじり、その不幸を生み出す、現在の政治的、社会的制度、強制に黙していいものではない。きちんと戦わなくてはならない、それは当然である。
そうであるなら、人性において幸・不幸とは、強いて言えば、自分で、自分に応じた、つましい、その「意味」と「小満足」を見つけるしかないものである。まことに平凡な結論である。
しかしながら、それには多大な労力と時間を要する。噫噫(ああ)。
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人性のいかなる時期においても、折に触れ生じる「自己の感情の動き」というものは、他者には説明しがたいものである。
それは、わたしたちが「関係存在」(人間存在は自分以外の他者、外部世界と関係して生きていく。またそうであるしかない。)であるしかないことにその原因があるのであろうか。長い人性のうちで、時間を経て、各人の相互関係といきさつの中で、よくも悪くも、大きな直接体験を媒介にして、人間の感情はいかようにも醸成されてしまうであろうからである。
今になって、自分自身が老境(?) に入り、幸いにして応分の時間ができ、それにより、わが「死にいたる病い」(おそらく死に至るまでも解決できない病)についていろいろ考えていくいるしかない境遇となりました。
どうも私も典型的な「日本人」であるらしく、「無常観」に責められ、私の存命のうちに、変え得るもの(改善できるもの)について、殊に現在までの人間関係については折り合いを付け、また修正を加えることとして、今になって、いろいろ意識的に勤めてきたところです。
しかしながら、自分で変え難いもの(重ねて今世で解決できないらしきもの)については、それを運命や諦念として、今、自分で受け入れられるかどうかは、なかなか難しいところです。
数年前、私の実母の晩年に付き合って、併せ、老母のリハビリとして、お互いの記憶の想起とすり合わせを試み、かねてより疑問だった過ぎし日のわが家の因縁 (?) を問いただしてみましたが、それはなかなかに興味深いものでした。
こどものとき、「なぜ、そうであったのか」と疑問に思い、そのまま済ませてきたさまざまな出来事、事件について、何がしかの理由が明らかになり、あと智恵で、腑に落ちたことも多いところです。
大変申し訳ないことですが、なぜ、私は実父母に対し、あまり愛着や愛情を抱けないのかということを長いこと考えていました。
私は、特に、厳しい育児怠業や虐待を受けた覚えがないわけですが、老年期になった父親や、母親に対し、特に愛着を生じなかったところです。
なぜそうなのか、ずっと考えていましたが、さるとき両親二人と話していた何かの拍子に、私がたずねた昔日にかかわる質問に対し、両親が目配せか何か暗黙のやり取りをした覚えがありました。
私の育成過程のうちに、長男(兄)との養育体験とは別に、どうも、何らかの負性の事情があったと思われました。猜疑心の強い私とすれば、幼児期に、自分自身によほど許せない仕打ちを受けたのかと邪推するわけです。
さすがに、晩年の実母に、そのことを問いただすこともできず、結局のところ、決してやさしくない二男として、実父母双方を見送りました。
現実には、そんな話は、どこにでもあるやも知れず、ひとそれぞれ、無名の生活者として、それを抱え込み、今世を生き、ひそやかに死んでいくものかも知れません。
人並みに結婚し、こどもを持つにつれ、かわいいと感じる折にふれつつも、私自身はどうも無意識のところで内部に禍根を残していたようで、わが子を「愛の直接性」の発露として「無条件に容認する」というわけにはいきませんでした。
子育ての合間合間で、こどもの言動に強くいらだち、ときどきで、感情的になり強く叱ったことを憶えています。おそらく、育児に係る親として、その欺瞞性を、世の親は、それぞれ認識しているはず、です。
このあたりは、その当事者(こどもに責任はない。)の人間性というか、それが上等か、そうでもないかに分かれてしまうようで、言い訳もできないところです。今になって、家族内での「公正さ」を確保することと、感情の理不尽さとそれを周囲に悟らせない、自分の「父性の欠如」を、個々に苦くかみしめるしか、ないものかも知れません。
というわけで、わが子たちも、父に似て、身内に対しては、ときに非寛容で、アグレッシブな対応をするように育ったわけですが、しかし、いまでも、長男とは、理屈や条理を説けば、話すすべがあります。
相性が悪いのは、長女のほうであり、観ていると、どうも、彼女は、私と話すだけで、腹が立ってくるようであり、その場その場の自己欲望で、思うことを、思うままにぶつけてきます。
それは、私が孫(自分のこども)を、抱き上げかわいがろうとしているときでも、同様です。
なぜなのかと、その言外の意味を考えていけば、どうも彼女は「私は、父親に愛されなかった」と言明・宣言し、どうもこちらとしては、常時告発されているような心持ちです。
最初から、決して、折り合いはよくなかったわけですが、今となれば、ときに、それは常軌を逸しているのではないかと思われる(それはお互い様か?)今日この頃です。
現在の私とすれば、お互いの愛憎の歴史を考慮し、我慢はしますが、ときに応酬せざるを得ないときもあるところです。
それは、現在の頑是ない孫たちが、「今の」私にとって、「無条件に」かわいいことと対照的であるともいえます。
私に比べ、人間関係が得手で、賢いはずのうちの妻でさえ、「娘は男親にとって無条件にかわいいでしょう」と、通俗的な「神話」を信じているようで、妥協しろ、逆らうな、といいます。たとえ信じていなくとも「それが方便でしょ」というわけかも知れません。しかし、彼女にとって、「息子の方がかわいい」、ことは私が指摘するまでもないところ、です。
「アホな子ほどかわいい」とも言いますが、それは、親ができの悪い子の「アホ」を認識したうえで、相互に心の交流があってのことであり、優秀で手のかからないこどもの方が、私には、かわいい、訳です。
かつて、私は、妻の実家を訪れるたびに、妻とその両親との様々なやり取りを見ていましたが、親とは争わない、何か親のために、場面場面で働こうとする妻の姿は、老いた義父母にとって、よりかわいく、頼り甲斐のある娘であろうことは、よくみてとれました。傍観者ながら、相互の良い感情のやり取りがよく見えるようでした。
あるとき、孫まで巻き添えにして、当方を責め始めたので、「そこまで言うのならもうこなくていい」と、娘に言明しました。
そばで見ていた妻に、後で責められましたが、今になって、娘が「私は愛されなかった」と、いまさら、言外に、あらゆる機会に責められても、こちらも対応に困る。実は、私は、「娘より息子の方がかわいい」と、初めて、私の感情を率直に陳べました。
妻はどうもそれが腑に落ちたようで、それ以降、娘とともに、嵩にかかった口撃(口によるもの)を、多少、緩めたようです。
それはどうも、仕切り屋の娘に、頤使(いし。あごで使われる。)されるような自分自身の境涯に疑問を持ったのかも知れません。
理性的に判断すれば、人は自分以外の他者(妻の場合は私たちの長い歴史をかんがみ幾分かは留保します。)に、侮辱的な言動や、心無い仕打ちを受けることに慣れることはできないわけです。
「孫や子は無条件でかわいいかどうか」は、それは神話(うそ)、男親にとって娘が無条件にかわいいかはそれも神話(うそ)ですね。人性において、人間関係というのは、相互の限度をわきまえた範囲で、一方的な、善意の贈与はありえないし、一時期の母子関係など、特殊で、限定的なものです。
娘に出さなかった手紙として以下のように記します。
うちの娘は、抽象的な思考に合わないたちなので、たぶん、理解はできないでしょう。
しかし、将来まで、子育ての長い時間を経て、多少とも、人性における、感情のおりのようなものとして理解できればと望みます。
1 今世では、個々の人性の幸・不幸というものは、まことに不平等なものである。また、それぞれの運・不運もあり、あたかも、不条理で理不尽であるかのように、その運命を強く拘束される。
2 また、愛し愛され、憎み憎まれという人性での強い感情も、疎まれるものにとって、全く理不尽であり、それにより、やりどころのない失望や悲しみを抱くところである。
3 人間の付き合いという関係も、それぞれの好悪を含めた、相互の一定の限度の中で許されているものである。たとえば、それを無理に超えれば、暗黙の社会的な規範として一定の限度を超えたいわば関係欲望は行き違い、恣意的に処断されることとなっている。
4 いわば、あらゆる人間の関係は、現実には、相互規定となってしまうものであり、その中で発露される、一方的な愛情にも、一方的な憎しみにも、人は耐え切れるものではない。いわゆる、今世は相対感情でやっていくしかないのであるが、それを制御するには、辛抱も技術や経験も要る。
5 若いときは、未熟なので、どうしても「絶対」を求めてしまう。求めるばかりに執着して、自らへの、疑義、失望、受容、諦観を意識化しなければ、生涯において不幸である。「幻滅」から始まりまた終わるのが、ほとんどの人性であるので、失望や幻滅とも上手に付きあわなければならない。
6 母親とすれば、こどもに対しては、公平に取り扱い、理不尽な思いを与えたり、将来において憎まれるような契機を与えてはならない(与えないほうが良い。)。
7 人性において、「相手に良かれ」と思って行った言動は、あまり相手に伝わらない。
8 親から子に伝える善き気持ちは、ほとんど一方通行である。後から考えると、自分自身に対する無償の配慮というものは、自分を除けば、この世では、実親から与えられたものより外はない。
9 親業というものは報われぬつらいものである。それは、先祖伝来の厳しい仕事である、と理解したほうが事実としては正しい。
10 社会的な視点を入れると、貧困や、不運によって、家族の不幸を味わうケースはいくらもあることである。奈落や、底辺は底がしれない。自らの境遇の幸不幸に、一憂一喜しても詮のない話である。
かといって、少数者の利益のために、大多数の利害を踏みにじり、その不幸を生み出す、現在の政治的、社会的制度、強制に黙していいものではない。きちんと戦わなくてはならない、それは当然である。
そうであるなら、人性において幸・不幸とは、強いて言えば、自分で、自分に応じた、つましい、その「意味」と「小満足」を見つけるしかないものである。まことに平凡な結論である。
しかしながら、それには多大な労力と時間を要する。噫噫(ああ)。
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