天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「義」のない総選挙(10.22)について愚痴をこぼすこと(罵倒する元気もない!)その1

2017-10-05 14:42:34 | 時事・風俗・情況

先の、安倍内閣の解散・総選挙の決定表明以来、「政治状況」について、「不快な」思いが引き続いています。かの「死霊」(埴谷雄高著)の三輪与志のように、「存在は、「不快」である」と言い切りたいような心持ちではあります。
実際は、「今、ここに在って、こんなつまらない状況にあることが、不本意で、不愉快で耐え難い。」、という方が、今の私の気持ちに近いのかも知れません。
晩年、徒食者といわれた埴谷雄高は、若いころ、電車から日本国の貧しい街並みを眺めながら、「貧民街」、「貧民街」と唱えていたということであり、その前衛性や左翼性、あるいはその抜きがたい「大衆憎悪」に辟易したところです。戦前(大東亜戦争前です。)のことであるというバイアスをかけて考慮しても、それはやはり承認できないですね。
この2017年(平成29年)10月になってさえも、いわゆる知識人(たまたま恵まれた人)たちは、同じように、自らを高しとし、個々の政府政策の適否判断もできず、いや無意識の大衆憎悪と蔑視に根ざし、大多数の国民大衆の直接利害や安全にも配慮できない、それでさえも発言の場がある別名「馬鹿者ども」が、あいも変わらず、形を変えて適当に排出し、現在も大言壮語しているわけです。おっと、こちらも、非力ではありますが、馬鹿者に転化しないように、自らを持さなければならないところです。もっと、たちが悪いのは、「希望の党」とか空疎な共同幻想に積極的に加担し、面白半分に無責任で軽薄な大衆のマイナス面をあおり操作しようとしていることです。

この一連の経緯は、それは、私にとって、「不快」というより無力感を感じる、に近いものかもしれません。
 殊に、国家・政府がその無(悪)策のつけを、現在の若者たちや、将来のわれわれの孫子(まごこ)にまで付けまわしにするなど、まことに理不尽で没義道(もぎどう:人の道にはずれてむごいこと。不人情)な話です。

 「それら」と戦うとするならば、もし私が「老かいな大衆」の一人とすれば、局地戦として、政治家、新聞、テレビの愚かな発言を、それを逐次、批判し、「正しい」意見を言挙げするしかないわけでしょうが、これだけ、経済政策において信頼に足らない政府と、それに対して、国民の安心安全政策すら眼中になく、ひたすらその反目に動く政治家とメディアの、「どうしようもない」という状況をみていると、相も変らぬ既視感と深い疲労感と、最後はニヒリズムにおちいるしかないように思えるばかりです。
 「民主主義は最高の政治制度である」(橋爪大三郎著)を、私は20代の後半で読んで(ついでにこの本を職場の新採研修で使えないかと思い、当時レジュメまで作ったところですが)、その後結婚をしたことでもあり、学生時代以降の、それまでの「議会制民主主義の否定」から、事後初めて「国政選挙には行く」こととしました。そのとき、「政治的転向」をしたのですね。
それ以降、「砂漠に水をまくような」とは思いつつ、個人的に政治的な意見は表明してきたつもりですが、今、年老いて、本当にむなしいですね。というのが、政策評価ができる政党が、現在どこにもない、ということしかないわけです。だめな政党、もっとだめな政党、もっともだめな政党はあるわけですが、また同様に、だめな政治家、どうしようもない政治家、死ねばいいと、思う政治家は無数にいるわけですが、実際、くたびれるような話です。
腹が立ち、テレビを罵ってしまうので、テレビニュース・新聞は極力見ないようにしています(家人が私を怒り、ストレスが倍加します。)が、無意味と、愚かしさに、人はいつまで耐え切れるのであろうかと、思うばかりです。

 あえてカミングアウトしますが、やむを得ず、このたび、比例区はだめな政党、自民党に、小選挙区は人物本位(バカなことに、選択の余地はありませんが)で、投票に行きますが、私たちは、「もっともだめな財務省」、「もっとだめで陋劣な御用政治学者・それに組する、所属党派を超えた愚かな政治家たち(ほとんどの政治家)」を、リコール・排除する手段はないのですかね。
ファシストは望みませんが、大衆の絶望と無力感の果てに、簒奪者が生じ、全体主義国家が生まれるのは、こういった腐った状況を経由してからではなかったか、という笑えない未来・現実に繫がりそうなところです。

しかしながら、「不快」であろうとなかろうと、私は、いざとなっても、国外逃亡もできず、国内に住むしかなく、つまらない地勢的大状況で、中共や、ロシア、アメリカに侮られ、小突かれ、現在、安心安全をすらおびやかされる弱小国家の大衆の一人でしかないわけです(果たして先人たちの苦闘はなんだったのだろう。)。

まことにつまらない話ばかりで嫌になりますが、せめて、ここは切り替えて、日本国の大多数の国民大衆の利害の実現と安心安全の保持に組みする、健全なナショナリストの一人として、ありたいですね。願わくば、多少なりとも、明治近代の先駆者たちや、われわれの父祖たちのように、日本国が滅びないように、必死にあがいていたいですね。

「民主主義は最高の政治制度である」ことはないことは、そもそも自明で、前提ではありますので、仕方なく選挙には行きます。

しかし、地方に住む国民の一人として言わせてもらえれば、せめて、愚かな「自民党」よ、君たちもうすうす承知しているだろう、愚挙を反省し、選挙制度をかつての「中選挙区制」に戻しなさい(あの時、南鮮国民からも、日本政府は南鮮と同じようにバカなことをする、と指摘されたことがあったぞ。今でもよく覚えている。)。たとえて言えば、「中選挙区制」の時代は、昼食にカレーか、ラーメンを選ぶ自由はあったが、その後の「小選挙区制」では、うまくない定食しか食えないじゃないか、というようなものです。
現在の「愚かな」政治家たちが、選挙民をなめきっている(地方の疲弊とその住民の意向と現実を謙虚に学ばず、自己の不勉強による愚かな理念に基づき、平然と無視する。)ことはやめて欲しい、と思います。

ここまで、あまりもつまらないので、これから私が政治家になった場合のマニフェストを列記します。

  天道公平の政策マニフェスト
①デフレ解消のため、建設国債(大規模公共事業施工)を発行するなど、本来の財政政策を今度こそ性根をいれて行う。反対する財務官僚及び御用学者は処分する。円建ての国債が、安心安全であることを国民に理解してもらう広報活動を積極的に行う。
②景気回復を妨げる消費税は、5パーセントに引き下げる。個別国内企業において賃金の引き上げが困難であれば、各給与所得者に対する徹底した「恒久」減税を行う。財源は、当面自国民が債権者であり他国に食い物にされない国債で賄う。
将来景気回復があれば、別の話である。
③安心レベルでの原発を早急に復活し、日本企業と国民に早急に安価で原料確保も安定供給できるエネルギーに切り替える。避けて通れない問題の「もんじゅ」計画も再開し、安心レベルでの科学技術(安全である科学技術などどこにも存しない。)の進展と将来の国民の福祉の向上に努める。
④自国防衛軍を早急に位置づける。自国を防衛する当該根拠は、憲法以前に、国際法で明確なものであるからである。憲法に重複規定があるのは構わない。当該、費用は、当然のものであり、運命共同体として、国民の負担(国債でよい。)で賄う。効果的な、自衛軍備を、早急に手当てする。
⑤グローバル企業の進出を食い止めるため、農業協同組合のみならず、日本国の弱い業種において、組合団体などを認め奨励し、法的にも、優遇し、直接利害を追求しない団体の自立支援に取り組み、食の防衛や、日本国の共同体、良い伝統を称揚し、日本国どこでも暮らせるよう底力を養う。
⑥現在到来しつつある人手不足を解消するため、外国人労働者を受け入れるのをやめ、政府主導で、国内団体を集結し、技術革新を進める支援策を早急に実施する。
⑦国内秩序と、国民の安心安全を確保するため、日本国民の資産や、社会資本に対する、グローバル企業や、政府傀儡の企業などの侵奪を規制する。殊に、反日的な中共、朝鮮の一部については、当該入国も制限を行う。

その2に続きます。

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