引き続き「赤色エレジー」について述べさせていただきたい、と思います。
かの歌謡曲「赤色エレジー」は、昭和47年(1972年)に発売されており、作詞者兼歌い手あがた森魚が、触発されたという、原作林静一さんの漫画「赤色エレジー」は昭和45(1970年)年から46年にかけて、漫画誌「ガロ」に連載されました。田舎で、「ガロ」とか読む人はきわめて少なく、またこの漫画は私の「青の時代」と微妙にすれ違い、連載期間も短かったので当時漫画で読んだ記憶がありません。この歌は、原作の良さに魅せられた、あがた森魚の、原作に対するオマージュ(讃歌)ということになるのでしょうか。
私にとっては明らかに逆引きですが、当時、民放テレビの歌謡曲ベストテン番組(おお!!昭和)で、ギョロメで色黒の、Tシャツ、Gパン穿きの、また特筆すべきは素足で赤い鼻緒の下駄を履いたあがた森魚が、この曲を歌うのをはじめて見ました。街角の辻音楽を意識したかのように、哀調のあるピアノ伴奏をバックにギターの弾き語りをする、破調で歌う高い音域の彼の歌にとても惹かれました。当時、私にとって新しい歌で、印象深かったのを覚えています。
かつて、吉本隆明が、資本主義の「往相」(?) の例として「最初、Gパン、下駄ででていた、彼がいつの間にか、他の歌手と同様にきらきらのラメのシャツやパンタロン(?) で歌っている」と揶揄したことを覚えていますが、テレビの番組に詳しかった吉本を含め、彼のデビューは最初は、お茶の間に異和というのか衝撃を与えたのではないかと思っています。これは、演歌というものであろうと思い、その出自は明治からのものなのか、大正からのものなのか、舞踏会の思い出であれば、欧化主義の明治の所産でしょうし、昭和余年といえば大正時代の系譜をひくものであり、昭和後期に書かれた漫画も、その曲も、歌詞もそれぞれそのイメージを曳くものなのでしょう。
私にとってこの歌は、当時はやった五木ひろしなどとは異質な、実態としての演歌というもののように思われました。
赤色エレジー 作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし
あなたの口からさよならは言えないものと思ってた
愛は愛とて何になる
男 一郎 まこととて
幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよとて
さみしかったわ どうしたの
お母様の 夢みたね
おふとん も一つ欲しいよね
いえ いえ こうして いられれば
昭和余年は 春も宵
さくら ふぶけば 花も散る
あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた
裸電燈 舞踏会
踊りし 日々は 走馬灯
幸子の幸は どこにある
愛は愛とて何になる
男 一郎 まこととて
幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよ とて
幸子と一郎の物語
お涙ちょうだい ありがとう
この歌も、一人の歌手によって歌われるにせよ、男女の掛け合いの形式をとっています。
最初に歌われる「あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた 」という一節で、ことの暗喩として、このカップルが破たんすることが暗示されています。
「おかあさま、の夢をみた」、のであれば、世間に反する道行きでカップルが成立した後ろめたい、男女の状況が思い浮かびます。また、貧困の中では、せめて布団の一枚もあれば、寒さがしのげると希望の表明です。いや、多くは望むまい、こうして一緒にいられるだけでいい、やがてきたるに違いない男女間の破たんにおびえながらの社会の片隅での沈滞するような、まさしく、性的な親和性の破たんを予測させる歌です(歌うのは嫌ですがあの「神田川」のようなパターンですね。)。歌の構成とすれば、現在から、物語として、「昭和余年」に移行することとなっていますが、昭和余年が舞台であれば、世相は、大震災後の不景気の、不安定で、不安な時期の世相であり、「ままよ」という受け身性が身につまされるような状況です。
ただこの曲は、原作の「赤色エレジー」の作家林静一(しずいち)の作品に拘束されているところがあり、原作者のイラスト作品などを、和えかに、はかなげにまた退廃的に見える女性像など(抒情画家竹久夢路の再来などといわれました。)、それが当たっているかどうかは別にして、あがた森魚が目指した歌のイメージ(大正ロマン:今はない大正時代への追慕)につなげることとなっています。
せっかくの機会なので、このたび「赤色エレジー」(林静一著)(小学館文庫)を、読んでみました。
あがた森魚の作った世界とは多くの点で違いました。当時、「ガロ」に掲載された漫画であり、意識的に省略された動きが少ない絵柄と情感を高めるためか会話の少ない黒単色の構成で、当時流行った同棲しつつある売れない漫画家たちの男女の行き違いとデカダンスを描いたものでした。ところどころ、「つげ義春」の絵を連想させ、今、読むのはきわめて苦痛(時代も状況もまったく変わり、私もおやじになった訳で)ですが、当時の若者の悩みや劣等感や、生活への恐怖や、嫉妬や男女の関係と気持ちの行き違いへの苦しさがよく書かれています。おお、これこそ「ガロ」掲載の漫画、と納得できるような漫画でありました。
同時代に一世を風靡したというように流行った漫画として、「同棲時代」(上村一夫著)がありましたが、これは通俗的(なぜ通俗的かと書くのも嫌ですが)で、当時、若き「由美かおる」の主演で映画化されています。
いずれの漫画も、今の私にとっては、おはに合わない(肌に合わない)訳ですね。
著者の林静一さんは、その後アニメーターとして成功され、商業デザインなどとしては、ロッテ製菓の「小梅ちゃん」のイラストがきわめて有名で、後年、大正時代に美人画を書いて大人気だったといわれる竹久夢二に比され、昭和の「竹久夢二」と、賞揚されたようです。
この漫画自体の背景は、主人公の職業からしてもアニメーションがビジネスになりつつあった戦後の繁栄期の前期にあたる時代であるので、作詞者の、あがた森魚が、「裸電灯、舞踏会」あたりは、あとで付け足したものでしょうね。「お母様の夢みたね」没落した斜陽族ではないですが、彼が付加したイメージと思われます。通俗的といえばその通りですが、歌謡曲として、ふくらみを持たせたかったのであろうと思われます。あがた森魚自体、1948年生まれですから、この漫画が生まれたときに20歳のはじめということになりますが、彼は、前述したように、大正期から昭和の初めに仮託して、想像力を膨らませたこととなります。
現在では、決裂した、幸子と一郎は、それぞれ、別の場所で、それぞれ別の屈託をかかえ、「年金」の少なさと貯金がないことにおびえ、不機嫌に、いや、「幸せ」に生きているかもしれず、それはわからないことです。
いずれにせよ、歌謡曲は歌謡曲として、虚構は虚構として、きっちり、現実とは割り切り考えるのが、我々のような一般大衆です。
しかし、「裸電球」、寒い時期の「薄い布団」とかの実態を、多くの人が知らないことになったのが、現在であるとするならば、貧困とか、「三畳一間の小さな下宿」というのも、私の学生時代では確かにあったぞ。苦しかった、「青の時代」や、貧乏だったそんな時代と場所に二度と帰りたくない、というのはよくわかりますが。
現在も、政府や、経済社会構成に強いられたことに若者たちの「貧困」は確かにあると思いますが、それでも、時代を超えた「苦しいうた」や「悲しいうた」は、一般的にならないのですかね。そんな「感動できる」歌を待ちわびています。
かの歌謡曲「赤色エレジー」は、昭和47年(1972年)に発売されており、作詞者兼歌い手あがた森魚が、触発されたという、原作林静一さんの漫画「赤色エレジー」は昭和45(1970年)年から46年にかけて、漫画誌「ガロ」に連載されました。田舎で、「ガロ」とか読む人はきわめて少なく、またこの漫画は私の「青の時代」と微妙にすれ違い、連載期間も短かったので当時漫画で読んだ記憶がありません。この歌は、原作の良さに魅せられた、あがた森魚の、原作に対するオマージュ(讃歌)ということになるのでしょうか。
私にとっては明らかに逆引きですが、当時、民放テレビの歌謡曲ベストテン番組(おお!!昭和)で、ギョロメで色黒の、Tシャツ、Gパン穿きの、また特筆すべきは素足で赤い鼻緒の下駄を履いたあがた森魚が、この曲を歌うのをはじめて見ました。街角の辻音楽を意識したかのように、哀調のあるピアノ伴奏をバックにギターの弾き語りをする、破調で歌う高い音域の彼の歌にとても惹かれました。当時、私にとって新しい歌で、印象深かったのを覚えています。
かつて、吉本隆明が、資本主義の「往相」(?) の例として「最初、Gパン、下駄ででていた、彼がいつの間にか、他の歌手と同様にきらきらのラメのシャツやパンタロン(?) で歌っている」と揶揄したことを覚えていますが、テレビの番組に詳しかった吉本を含め、彼のデビューは最初は、お茶の間に異和というのか衝撃を与えたのではないかと思っています。これは、演歌というものであろうと思い、その出自は明治からのものなのか、大正からのものなのか、舞踏会の思い出であれば、欧化主義の明治の所産でしょうし、昭和余年といえば大正時代の系譜をひくものであり、昭和後期に書かれた漫画も、その曲も、歌詞もそれぞれそのイメージを曳くものなのでしょう。
私にとってこの歌は、当時はやった五木ひろしなどとは異質な、実態としての演歌というもののように思われました。
赤色エレジー 作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし
あなたの口からさよならは言えないものと思ってた
愛は愛とて何になる
男 一郎 まこととて
幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよとて
さみしかったわ どうしたの
お母様の 夢みたね
おふとん も一つ欲しいよね
いえ いえ こうして いられれば
昭和余年は 春も宵
さくら ふぶけば 花も散る
あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた
裸電燈 舞踏会
踊りし 日々は 走馬灯
幸子の幸は どこにある
愛は愛とて何になる
男 一郎 まこととて
幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよ とて
幸子と一郎の物語
お涙ちょうだい ありがとう
この歌も、一人の歌手によって歌われるにせよ、男女の掛け合いの形式をとっています。
最初に歌われる「あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた 」という一節で、ことの暗喩として、このカップルが破たんすることが暗示されています。
「おかあさま、の夢をみた」、のであれば、世間に反する道行きでカップルが成立した後ろめたい、男女の状況が思い浮かびます。また、貧困の中では、せめて布団の一枚もあれば、寒さがしのげると希望の表明です。いや、多くは望むまい、こうして一緒にいられるだけでいい、やがてきたるに違いない男女間の破たんにおびえながらの社会の片隅での沈滞するような、まさしく、性的な親和性の破たんを予測させる歌です(歌うのは嫌ですがあの「神田川」のようなパターンですね。)。歌の構成とすれば、現在から、物語として、「昭和余年」に移行することとなっていますが、昭和余年が舞台であれば、世相は、大震災後の不景気の、不安定で、不安な時期の世相であり、「ままよ」という受け身性が身につまされるような状況です。
ただこの曲は、原作の「赤色エレジー」の作家林静一(しずいち)の作品に拘束されているところがあり、原作者のイラスト作品などを、和えかに、はかなげにまた退廃的に見える女性像など(抒情画家竹久夢路の再来などといわれました。)、それが当たっているかどうかは別にして、あがた森魚が目指した歌のイメージ(大正ロマン:今はない大正時代への追慕)につなげることとなっています。
せっかくの機会なので、このたび「赤色エレジー」(林静一著)(小学館文庫)を、読んでみました。
あがた森魚の作った世界とは多くの点で違いました。当時、「ガロ」に掲載された漫画であり、意識的に省略された動きが少ない絵柄と情感を高めるためか会話の少ない黒単色の構成で、当時流行った同棲しつつある売れない漫画家たちの男女の行き違いとデカダンスを描いたものでした。ところどころ、「つげ義春」の絵を連想させ、今、読むのはきわめて苦痛(時代も状況もまったく変わり、私もおやじになった訳で)ですが、当時の若者の悩みや劣等感や、生活への恐怖や、嫉妬や男女の関係と気持ちの行き違いへの苦しさがよく書かれています。おお、これこそ「ガロ」掲載の漫画、と納得できるような漫画でありました。
同時代に一世を風靡したというように流行った漫画として、「同棲時代」(上村一夫著)がありましたが、これは通俗的(なぜ通俗的かと書くのも嫌ですが)で、当時、若き「由美かおる」の主演で映画化されています。
いずれの漫画も、今の私にとっては、おはに合わない(肌に合わない)訳ですね。
著者の林静一さんは、その後アニメーターとして成功され、商業デザインなどとしては、ロッテ製菓の「小梅ちゃん」のイラストがきわめて有名で、後年、大正時代に美人画を書いて大人気だったといわれる竹久夢二に比され、昭和の「竹久夢二」と、賞揚されたようです。
この漫画自体の背景は、主人公の職業からしてもアニメーションがビジネスになりつつあった戦後の繁栄期の前期にあたる時代であるので、作詞者の、あがた森魚が、「裸電灯、舞踏会」あたりは、あとで付け足したものでしょうね。「お母様の夢みたね」没落した斜陽族ではないですが、彼が付加したイメージと思われます。通俗的といえばその通りですが、歌謡曲として、ふくらみを持たせたかったのであろうと思われます。あがた森魚自体、1948年生まれですから、この漫画が生まれたときに20歳のはじめということになりますが、彼は、前述したように、大正期から昭和の初めに仮託して、想像力を膨らませたこととなります。
現在では、決裂した、幸子と一郎は、それぞれ、別の場所で、それぞれ別の屈託をかかえ、「年金」の少なさと貯金がないことにおびえ、不機嫌に、いや、「幸せ」に生きているかもしれず、それはわからないことです。
いずれにせよ、歌謡曲は歌謡曲として、虚構は虚構として、きっちり、現実とは割り切り考えるのが、我々のような一般大衆です。
しかし、「裸電球」、寒い時期の「薄い布団」とかの実態を、多くの人が知らないことになったのが、現在であるとするならば、貧困とか、「三畳一間の小さな下宿」というのも、私の学生時代では確かにあったぞ。苦しかった、「青の時代」や、貧乏だったそんな時代と場所に二度と帰りたくない、というのはよくわかりますが。
現在も、政府や、経済社会構成に強いられたことに若者たちの「貧困」は確かにあると思いますが、それでも、時代を超えた「苦しいうた」や「悲しいうた」は、一般的にならないのですかね。そんな「感動できる」歌を待ちわびています。
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