「悲しい歌」、というか、人間相互の「関係性」の齟齬(そご:くいちがい)・挫折の歌というべきか、わが春秋に富んだ若き時代(当面1960年代から1980年代までを仮に指定します。)(以下「青の時代」と称します。)にあれほど膾炙(かいしゃ:広く世間の人々の話題となること。)していたはず「悲しい」歌が、最近、傾向として、なぜはやらないのか、かねてより疑問でありました。「悲しいこと」、「苦しいこと」、「うれしいこと」などに、気持ちが揺るがないのはわれわれの精神の貧困ではないかと思えるからです。
昔も今も「悲しく、苦しく」、時として「うれしい」人性は、引き続き、時を超え、人を替えても、反復継続(?)するはずである(私は、人間存在はその感興を制約を超えて共有するという立場に立ちます。)ので、社会的存在として、男女間であれどうであれ、私たちに共感されるべき、悲しいことや、つらいことは不断にあるものであるので、人性の渦中にある感情の機微として、なぜ「はやり歌」にならないのか、一般的に貧困問題が大きな主題でなくなり、個我意識がすすみ、性愛の一般性・共通受感性(?)など「共同幻想」として成り立ちにくくなったのか、やはり、よくわからないところです。
わが「青の時代」において、私の資質に合った、思い起こす「悲しい」歌では、標記の二曲があげられます。試みに、ユーチューブでひいてみると、より再生回数、関連投稿が多いのは、デュエット曲「昭和枯れすすき」(1974年当時、男女デュオ:「さくらと一郎」によって歌われた。)の方ではあります。色々なバージョンがあり、特筆すべきは、投稿の中に、進行が女性のみのパートのバージョンがあり、曲の進行と、歌詞の文字案内により、視聴者の男は、ユーチューブに合わせ、自分のパートを自己カラオケ(?) で歌えることとなっています(笑)。私も、一度やってみましたが、この歌について、普段、一緒に歌ってもらったり、聞いてもらえる機会がなければ、小幸福です。
また、その再生件数は関連を含め膨大なものです。おやじの再生利用が多いのでしょか。そういえば、80年代のカラオケブームで、当時、スナックのおねーさん方に、カラオケでデュエットを強要(?) していたおやじが数多くいたことを思い出します。
昭和枯れすすき 作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし
(男)貧しさに負けた
(女)いえ、世間に負けた
いっそ きれいに死のうか
力の限り 生きたから
( 中略 )
(男)花さえも咲かぬ
(女)二人は 枯れすすき
( 二番の歌詞は略 )
(男)この俺を捨てろ
(女)なぜ こんなに好きよ
死ぬときは一緒と
あの日決めたじゃないのよ
世間の風の 冷たさに
こみ上げる 涙
(男)苦しみに 耐える
(女)二人は 枯れすすき
この歌の面白いところは、男女の掛け合いにあり、それぞれの感興を、異なった音域で、掛け合いとしてやりとりするところにあります。この歌は、「己(おれ)は河原の枯れ芒 同じお前もかれ芒 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れ芒(船頭小唄:大正10年(1921年)、野口雨情作詞・中山晋平作曲)」という曲にその原型を借りています。原型とあいまって、昭和版のこの歌は、「私はこの世では、花咲く(あらかじめの貧困などの自己責任以外の理不尽な理由で自己実現性を開花する)ことができない」、という、多かれ少なかれ誰にも生じる疎外感や、被害者意識をうまくすくいあげるところにあり、大多数の人たちの情緒に訴えるところがあります。人性は、出自が、まず不公平であり、特定の者に「不運」や「不幸」も、恣意的に起こ
りうる現実を、歌い手も聞く側も誰もが苦く承知していることが前提の話ではありますが。
歌詞に重複する「世間」というのは、「社会的な関係性」と言い換えるべきなのかもしれませんが、どちらかといえば、このカップルが周囲から望まれぬ形(不倫・駆落ちなど)で成立したのであろうかと暗示されています。それなりに淫靡(節度がなく、みだらな様子)で親和な情感のやり取りがあります。
人性、その理不尽さや負い目に対して、お前と俺のカップルで立ち向かうというのが、歌謡曲としてのこの歌の主題となるでしょうが、世間を代表に周囲に対する無力感が強く、とても受け身型なのです。そして、最後に残るのが、女の立場からの、「(不遇のときでも)、(たとえあなたが無能力でも)あなたについていくわよ」という気持ちの表明であり、男の立場から言えばまだ希望的(?)な歌です。
先のバブル崩壊後、一部民間企業が行った中・高齢者を狙い撃ちした冷徹なリストラで、失職した夫に、狂乱した(?) 妻が落ち込んだ夫に即離婚を突き付けたという話より、はるかに温和な話ですね。
昔、我が家全員でカラオケに行っていた時代、私がよく裏声交じりで歌った、「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた」というさびの部分の繰り返しに、当時小学校高・中学年のうちの子供たちは腹をかかえて笑い、それ以降、彼らの受けを狙って歌うこととなりました。確かに、よく考えれば、どことなくおかしみが感じられる歌詞でもありますが。
思えば、原曲の「船頭小唄」は、関東大震災の直前の世相の不安定な時期の傑作というべきでしたが、この「昭和かれすすき」は、ちょうど、政治の時代の退潮と終焉の頃と記憶しています。個人的に言えば、大学もまだ学生運動の余燼(よじん;燃え残っている火、燃えさし)というかロックアウトなどでもめていた時期で、擬制(ぎせい:実質は違うのにそうみなすこと。)のような生活をしていた学生たちにもその情感が共有できるような雰囲気はありました(決して歌いはしませんでしたが)。
この歌の通俗的なところは、「たとえ、生活の困窮や、理不尽な運命にほんろうされたとしても、私にはお前が、お前には私がいる、ついでに無能(不幸・不運・無能力・無気力)で生活力も金もない私でも今も惚れてくれる(?) というお前がいる」、というお約束なところです。そのうえで、男にとっては、経済的あるいは男女間の決定的な破たんを伴わないような自嘲の歌は、時によれば快いものなのかもしれません。しかし、三番の末尾の男の独白はさすがにまずいですね、こんな独白は現実的にありえない、と思われます。
決定的に厳しい場所におかれているときは、一般的に「人」はこのような歌謡曲を聞くゆとりもないかもしれませんが、こと男に限っていえば、自分が今おかれている、各自の現実の状況との差異を意識化して、自分の境遇は「まだ大丈夫や」と思えば、やっぱり、この歌を聞いたり歌ったりすることを慰藉として、その愛好者が減らないということがあるのかもしれません。
その傾向は、一人のおやじ(周囲が規定するので、そう自称します。)として、よくわかります。
しかしながら、今はもう存在しないかのような昔風の和装の女性の、高い声で演歌の独特な節回しは、今になって聞けば、とてもいいですね。
私とすれば、今後、デュエットする相方を探したいと思っています。
昔も今も「悲しく、苦しく」、時として「うれしい」人性は、引き続き、時を超え、人を替えても、反復継続(?)するはずである(私は、人間存在はその感興を制約を超えて共有するという立場に立ちます。)ので、社会的存在として、男女間であれどうであれ、私たちに共感されるべき、悲しいことや、つらいことは不断にあるものであるので、人性の渦中にある感情の機微として、なぜ「はやり歌」にならないのか、一般的に貧困問題が大きな主題でなくなり、個我意識がすすみ、性愛の一般性・共通受感性(?)など「共同幻想」として成り立ちにくくなったのか、やはり、よくわからないところです。
わが「青の時代」において、私の資質に合った、思い起こす「悲しい」歌では、標記の二曲があげられます。試みに、ユーチューブでひいてみると、より再生回数、関連投稿が多いのは、デュエット曲「昭和枯れすすき」(1974年当時、男女デュオ:「さくらと一郎」によって歌われた。)の方ではあります。色々なバージョンがあり、特筆すべきは、投稿の中に、進行が女性のみのパートのバージョンがあり、曲の進行と、歌詞の文字案内により、視聴者の男は、ユーチューブに合わせ、自分のパートを自己カラオケ(?) で歌えることとなっています(笑)。私も、一度やってみましたが、この歌について、普段、一緒に歌ってもらったり、聞いてもらえる機会がなければ、小幸福です。
また、その再生件数は関連を含め膨大なものです。おやじの再生利用が多いのでしょか。そういえば、80年代のカラオケブームで、当時、スナックのおねーさん方に、カラオケでデュエットを強要(?) していたおやじが数多くいたことを思い出します。
昭和枯れすすき 作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし
(男)貧しさに負けた
(女)いえ、世間に負けた
いっそ きれいに死のうか
力の限り 生きたから
( 中略 )
(男)花さえも咲かぬ
(女)二人は 枯れすすき
( 二番の歌詞は略 )
(男)この俺を捨てろ
(女)なぜ こんなに好きよ
死ぬときは一緒と
あの日決めたじゃないのよ
世間の風の 冷たさに
こみ上げる 涙
(男)苦しみに 耐える
(女)二人は 枯れすすき
この歌の面白いところは、男女の掛け合いにあり、それぞれの感興を、異なった音域で、掛け合いとしてやりとりするところにあります。この歌は、「己(おれ)は河原の枯れ芒 同じお前もかれ芒 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れ芒(船頭小唄:大正10年(1921年)、野口雨情作詞・中山晋平作曲)」という曲にその原型を借りています。原型とあいまって、昭和版のこの歌は、「私はこの世では、花咲く(あらかじめの貧困などの自己責任以外の理不尽な理由で自己実現性を開花する)ことができない」、という、多かれ少なかれ誰にも生じる疎外感や、被害者意識をうまくすくいあげるところにあり、大多数の人たちの情緒に訴えるところがあります。人性は、出自が、まず不公平であり、特定の者に「不運」や「不幸」も、恣意的に起こ
りうる現実を、歌い手も聞く側も誰もが苦く承知していることが前提の話ではありますが。
歌詞に重複する「世間」というのは、「社会的な関係性」と言い換えるべきなのかもしれませんが、どちらかといえば、このカップルが周囲から望まれぬ形(不倫・駆落ちなど)で成立したのであろうかと暗示されています。それなりに淫靡(節度がなく、みだらな様子)で親和な情感のやり取りがあります。
人性、その理不尽さや負い目に対して、お前と俺のカップルで立ち向かうというのが、歌謡曲としてのこの歌の主題となるでしょうが、世間を代表に周囲に対する無力感が強く、とても受け身型なのです。そして、最後に残るのが、女の立場からの、「(不遇のときでも)、(たとえあなたが無能力でも)あなたについていくわよ」という気持ちの表明であり、男の立場から言えばまだ希望的(?)な歌です。
先のバブル崩壊後、一部民間企業が行った中・高齢者を狙い撃ちした冷徹なリストラで、失職した夫に、狂乱した(?) 妻が落ち込んだ夫に即離婚を突き付けたという話より、はるかに温和な話ですね。
昔、我が家全員でカラオケに行っていた時代、私がよく裏声交じりで歌った、「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた」というさびの部分の繰り返しに、当時小学校高・中学年のうちの子供たちは腹をかかえて笑い、それ以降、彼らの受けを狙って歌うこととなりました。確かに、よく考えれば、どことなくおかしみが感じられる歌詞でもありますが。
思えば、原曲の「船頭小唄」は、関東大震災の直前の世相の不安定な時期の傑作というべきでしたが、この「昭和かれすすき」は、ちょうど、政治の時代の退潮と終焉の頃と記憶しています。個人的に言えば、大学もまだ学生運動の余燼(よじん;燃え残っている火、燃えさし)というかロックアウトなどでもめていた時期で、擬制(ぎせい:実質は違うのにそうみなすこと。)のような生活をしていた学生たちにもその情感が共有できるような雰囲気はありました(決して歌いはしませんでしたが)。
この歌の通俗的なところは、「たとえ、生活の困窮や、理不尽な運命にほんろうされたとしても、私にはお前が、お前には私がいる、ついでに無能(不幸・不運・無能力・無気力)で生活力も金もない私でも今も惚れてくれる(?) というお前がいる」、というお約束なところです。そのうえで、男にとっては、経済的あるいは男女間の決定的な破たんを伴わないような自嘲の歌は、時によれば快いものなのかもしれません。しかし、三番の末尾の男の独白はさすがにまずいですね、こんな独白は現実的にありえない、と思われます。
決定的に厳しい場所におかれているときは、一般的に「人」はこのような歌謡曲を聞くゆとりもないかもしれませんが、こと男に限っていえば、自分が今おかれている、各自の現実の状況との差異を意識化して、自分の境遇は「まだ大丈夫や」と思えば、やっぱり、この歌を聞いたり歌ったりすることを慰藉として、その愛好者が減らないということがあるのかもしれません。
その傾向は、一人のおやじ(周囲が規定するので、そう自称します。)として、よくわかります。
しかしながら、今はもう存在しないかのような昔風の和装の女性の、高い声で演歌の独特な節回しは、今になって聞けば、とてもいいですね。
私とすれば、今後、デュエットする相方を探したいと思っています。
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