天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

わが闘病記(広大附属病院に入院して)その1

2021-12-05 14:31:55 | 時事・風俗・情況



 萩市のシャッター商店街で見た、政治報告会のポスターである。
 奇しくも、本日、権力闘争で敗れ、衆議院選候補の立場を失った、二階の番頭といわれた、河村健夫議員の(お礼)演説会があるそうである。
 私が、広大附属病院に入院していたとき、自民党の総裁選挙が行われ、高市早苗候補の、見事な公約とスピーチは、国民にとって、パラダイムシフトといっていいものだと思った。要は、ファンになった。
 その反面、小泉進次郎の浅薄さと脱原発の考えの思慮のなさ、女性問題ばかり連呼する野田聖子のポピュリズム政治家ぶり、河野太郎の一族を挙げての中共癒着ぶり、が顕著だった。
 今回のゲストは、小泉進次郎と、野田聖子である。悪く言えば、負け犬連合の報告会である。
 写メールを取ろうとしたら、親父が嫌な顔をした。本当は、ポスタ掲示などしたくもなかったのかも知れない。
 河村議員は、地勢的に南鮮に近いので、どうも、日本政府に対し、フィクサー(口利きや)みたいなことを、していたらしい。
 後釜を奪い取った、林芳正は、日中友好議員連盟の会長だったので、新たな、フィクサーを中共は手に入れた、という人もいた。
 田舎なれども、政治の早瀬に竿を差す人は多いことである。
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私は、大げさにいうと、天地開闢以来(?)、人間ドックなど受けたこともなかった。
うちの妻も医療従事者であったが、しかし、特に、私の健康に留意をしなかった。
それは、今思っても、ありがたいことであった、と思っている。
彼女には、どこかで聞いたように、「人間ドックを受けなければ、家庭と、世界の終わりである。」((本音)まず、闘病生活、ひいては遺族の私が困る。)というような、凡庸な発想はなかったのだ。これは、よそ事ながら、嫌な話だが。ナイーブな人は、考えない方がよいが。
 同時に、彼女には、無関心と、亭主など、イザというときに、あてになるものかという覚悟も、あったかもしれないが、妻の考えることもよくはわからない。
 要は、今までは、お互いに、普通に持病もなく、余力があり、若ければ、そんなものを受ける、必要はなかったのである。
 私の友人たちには、「健康を目指す不健康」という、宿あの人も少なかった。
 いわば病が本質の人も少なかったし、同調圧力、家族圧力で、いやいやでも、健康診断を受ける人は少なかった(いたかも知れないが、あまり聞かなかった。)。それなりに、強いられた「愛妻家」(皮肉です。)はいたかもしれない。

 何を思ったか、私は、定年退職年度時に、試しに健康診断を受けることにした。どうも、好奇心からである。
 いつものことながら、とめどもつかぬほどの腹囲と、血糖値がある程度高いのと、血圧がある程度高いのが指摘された(私よりデブはいくらでもいるじやないかという根拠のない自負のもとで検診を受けた。)。
 すなわち、かねてからの常態であり、それぐらいの医者の警告などでは、むろん、耳に入らない。

 しかし、近年、どうも、気になりだした。それは、気の病でもある。
 その後、二年続けた、人間ドックで、とある総合病院で、とうとう、私の疑わしい病気を見つけていただいた。
 急に電話がかかってきて、これは、常人から見て、明らかに異常数値であるという。
 おそらく、老練な内科の担当医には、病状からくる病名はわかっていたと思われたが、一時検査を経て、さらに高位(スタッフ・施設が充実している)の総合病院を紹介していただいたわけである。
 妻に言わせれば、あの程度の、診察で、そんな病気を見つけてもらえるのは、とても優秀な先生であるという。
 私に対する説明も丁寧であり、その事実らしきものは、私にもよく理解できた。

 ということで、結果として、隣県の広島大学付属病院に検査入院することになった。
 詮のない話になるので、病名は書かない。

 何度も繰り返すが、私は、定年後、契約社員になった4年目くらいから、血糖値が上がりはじめ、数値から言えば、立派な糖尿病ということとなったが、まったく元気であり、病気一つしたことがなかった。
 しかし、よくしたもので、年金受給年齢に達すれば、こちらもがたが来てしまうのだろう。世の中は、そのようにできているであろうと、漠然と思っていた。
 いつまで掛けるのだろうとうんざりしつつ、長年掛けた年金のもとを受け取ろうとする(笑い)ことは、なかなか、困難なことなのだ。
 私たちの人性とはよくできている、と思わず笑ってしまう。
 誰もが、自分に対し、いずれ、つけを払わなくてはならないのだ。

 そういえば、私と同年のうちの妻は、今年2月、買い物に行った際、駐車場から縁設した深い雨水側溝への転落事故となり、大変なことになった(決して私が手を下していない。近年、お互いに、いくら加齢により気持ちがささくれだしたとしても。)。
 救急車を要請し、同時に消防車も早くは来たが、コロナ騒動のもとで受け入れ病院が決まるまで、大変だった。30分くらい待った。彼らの対応が親切なので我慢できる。しかし、重篤な患者なら死んでしまうかもしれない。
 なぜ、あの時、せめて、妻に手を伸ばしてやれなかったかと、こちらの思いは千々に乱れる。
 私は、動転しつつも妙に冷静で、こんな折、事件性があれば、警察通報もあるのではないかと思ったが、それは免れた。
 事故の現場で、そんなことを考える私も、随分な人間である。

 ようやく、搬入された、受け入れ先の小郡JA病院(その後、私は農協をメインバンクにする。)で、外科の看護婦さんの、果断な判断と、迅速な処置・手配が行われた。
 内線携帯をヒップポケットにはさみ活動しやすくし、彼女の群青の病衣とズボン姿にあいまって、とても頼もしく、印象的で、職業人として以上に、美しかった。
 この時、施術してもらった、外科の体育会系のごつい担当医師を含め、専門家の、頼もしさのほどを、私は忘れない。
 頭と脊椎・腰に損傷を負った、彼女の様子は、大変だったが、その後の入院以来接面もできないこちらとしても、どうしようもない、ひとまず、頭部などの当面の治療が終わった。
 次に、腰は、分厚い保護ベルト作成・設置である。

 今思っても、本当に、こちとらも、寝耳にミミズ(「水」とどっちがいいですか?)のような、状態で、あった。
 そういえば、雨水側溝の中に水が流れていて、頭を持ち上げなければ、ガブガブ水を飲んでしまう。意識があるのを確認する。雨水専用で、きれいなだけでまだよかった。
 私も、細部まで、あまり、よく覚えておらず、あとで薄情といわれても、動転の後である。
 しかし、彼女が、落下した、深い雨水側溝に落ちたのは、彼女がハッチバックの裏ドアをあけて、荷物を入れようとして、ドアにあおられたからである。
 狼狽・混乱した私は、転落した際に、妻が、溝に落としたいちごパックを拾ったのを覚えている、バカな話である。

 その日、救急病院から帰ったあと、それ以降、一人で居るので、ひとまず、一人で生きることを考えた。仕事は続けていたが、時間はいくらでもある。
 今までの、経緯と理由があって、男料理くらいは、私にもできる。
 しかし、助力が欲しい親族からは、頼りがいのない、男存在の私のことを、役に立たないと、嫌がられるだろうなと思ったわけである。
 祖母に死に別れた、祖父の厳しい日常を思い出した。
 そのうち、病状が落ち着くと、「俺でなくてよかった」と思った。若い時なら、無条件で「俺が替わってやりたい」と思っただろうが。それも、後知恵で運がよかったからである。
 これは、男友達には受けたが、女性からは、ひんしゅくを買った。
 性差というものである。それには、いいことも、悪いこともある。しかし、彼女たちに、継続して、無垢の同情性、無償のやさしさがあるとも思わない。これ以上いうと、また、嫌われるので、言わないが。
 しかし、私のような偏屈な男にでも、同情してくれることはうれしいのも確かである、それが女性という存在の本質性と良さでもある。
 それが欠落した、そんなかわいそうな人を私は女性と呼ばない。
 いかな腐った男でも、面倒を見てくれる女性はいるものである。その逆は知らない。
 こんなブログは、妻にはみせられない、たぶん見ないだろうが。

 それはそうとして、人性一寸先は闇である、と、同時によくわかった。
 後で、入院した病院で、彼女が仲良くなった看護婦さんたちが、現場(郊外スーパーの駐車場)を見に行って、「3メーター以上の高さじゃないの、よく助かったわねえ」と口をそろえて、感心したという。
 しかし、当該現場は、いまだに防護柵さえ設置されていない。人の命は、それほど高くないのである。構造的に安全策もないが、その場所に駐車したのが妻でもあり、戦う老年の私としても、そのうちに、抗議をする気持ちも失せてしまった。
 買い物難民で、買い物した他市の消防所であり、あれこれするうちに、しおを逃してしまい、お礼に行くのをがいけなくなった。

 彼女は、結局、三月間くらい入院し、終いのころにはもう出てくれといわれた。
 しかし、退院後から半年経った今でも、まだ、体調も万全でないといい、いまだに、それなりに、屈託のある、日常を過ごしている。
 「私は無理なことはしない」、といい、そのとおり、認め合わないと、お互いに不幸になる。
 妻を見るのは自分の鏡になる。
 お互いに、老いた。しかし、いまだに、腹の立つことはお互いにある。その問題点が、先鋭化したとでもいうべきかも知れない。
 やはり、理解はそれなりに深まる。

 好事魔あり、というのはよく言ったもので、実は、それ以前に、すでに、私が、病気になっていたのだ。
 「おごれる亭主は久しからず」、というやつである。
 よくしたもので、それがこのたび発覚したら、今度は、逆に、妻が妙に元気になる。
 そんなものである。

 引き続き、自分自身のことを思い起こせば、昨年の11月ころから、体重が減少し始め、ついには、20キロ近くやせた、私は、長年の節制のおかげで、20代の体重に戻った、青春の再来と喜んだが、そんな甘いことはなかった。
 ちょうど、悪化した時期が、コロナ非常事態宣言と重なっている。コロナ性うつ病と疑ったが、遠因はそんなものかもしれない。

 ということで、今年の8月、二度めの人間ドックを受けてから、私の身辺はバタバタし始めた。
同じく医療従事者の娘との、ワクチン接種に係る、お互いの信念対立の葛藤を経て、その葛藤が、娘の幼胎児期の思いまで出てくるので、何が虐待かバカなことと思うが、立場として、親としては非常にこたえるものである。
 おまけに、彼女の息子、孫の小学校の入学時まではせめて生きて欲しいという。
 親族間の「関係の絶対性」(彼女は私の社会的な認識とそれに基づく理性と判断を決して認めない。妻も同時に無言で後押しする。)との闘争ののち、私は、ついに節を屈し、事前のワクチン接種を経て、広大附属病院に入院した。

 私ごときが引き合いに出して恐縮だが、あの吉本隆明氏のように、娘に、してやられたわけである。長女の多子さんは、手のかかる両親を最後まで監護した、しっかりした、できた娘であるが、その後、お気の毒に、彼女にも難病を引き寄せたらしい。
 私の生涯で、一番良かったことは「子供を持てたこと」と吉本に言明させた人でもあったが、妹とは別の意味で、優れた賢い人であった(私より一歳年下のはずである。)。

しかしながら、今考えても、どう考えても、最初の病院の主治医の判断が、契機になり、私のその後の道筋を決めたとしか、言い様がない。
要は「あるものをないとは言えない」わけである。

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2 コメント

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Unknown (松村誠)
2021-12-15 04:02:21
私は、甘い男である。
「感謝する会」であるので、河村議員が、今まで、足りないながらも、支援をしていただいた、県民に、お礼を申し上げる会かと思っていた。
しかし、あほボン、小泉進次郎も、女性運動簒奪者(辞書で調べてよ。)野田聖子も、そんな甘い政治家ではなかった。
河村議員は、自分の南鮮、口いれ稼業を恥じるどころか、功績と信じて疑わない。馬鹿らしい。
実行幹事、小泉も野田も、あわよくば、と後がまを願っている。
どうも、敵対者の林芳正は、ロールモデルを、河村議員に見て、媚中政策に励むらしい。
つくづく、嫌になる。
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十月桜について (天道公平)
2022-01-04 20:34:33
診療棟の屋上に、十月桜が咲いています。
11月、4月に咲くというのですが、真冬咲くという、櫻の姿は峻烈です。
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