天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

三橋貴明さんに会ってきました

2015-05-30 23:59:33 | 日記
 本日、地元青年会議所主催の記念講演で三橋貴明さんに会ってきました。
 彼は、深い、渋い声であり、ビアードというか、あごひげと、縁付き眼鏡と、白皙の顔が印象的でした。

 近年、年のせいか、十把からげる(?)癖がついて、いつも、三橋貴明さんと中野剛志さんをセットで考えてしまいます。彼らはほぼ同世代ですし、3.11の同じ年に、中野氏が刊行した、「国力とは何か・・経済ナショナリズムの理論と政策」という新書は、被災地の人たちと、心ある全国の国民大衆にむけた、この危機をいかに脱出するのかという理論と手法を懸命に模索した、現職の官僚としての最大の良心的な著作だったと思います。それは今も変わっていません。また、三橋氏は、同時期の著書で、「若者よ、被災地の現場にし立ってみよ、これが原点だ、ここから、私たちの全てが始まる(不正確な孫引きかも知れません。出典をなくしました。)」との言説があり、かれら二人を、新世代の最大のイデオローグと、最良最高のアジテーターと勝手にかんがえてしまいました。実は、アジテーターではなく本当はイデオローグかも知れません。彼の、経済資料分析と洞察には定評があるようだし、しかし、語りは周到かつ合理的で、聞いていて、よーく理解できます。きょうの講演を聞いた後の率直な感想を云えば、やはり、「語りの人」なのでしょう。
 経済がわからない私としても、いずれ、三橋さんの理論とその論拠について、わたくしの責務として、つたないながら、考察してまいりたいと思います。
 80年代ポストモダンは、A某とか、当時から反発しか感じませんでしたが、第二の敗戦期と称されるこの今の時期に、日本の国情に根差した(ナショナリティを思想的に媒介にした)、若い理論家たちが出てきたことは、日本国民にとっても大いなる喜びではないでしょうか。

 ところで、主催の青年会議所の方々は、バブル期のことだったかもしれませんが、「飲み屋には顔が利く」と称されておりました(それ以外はわかりません。)。
 本日の主催者として良い講師の選択には敬意を払いますが、そちらの事情で、今日の行事が立て込んではいましたが、しかし、主催者として講師と会場との質疑応答の機会くらいは持つべきではないでしょうか?
 それは、講師と真摯に講演を受け止めた聴衆に払う最低限の礼儀でありはしないでしょうか? 

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