「若い」娘の年齢や、顔つきの違いすら判別できなくなったのはいつからであろうか、と自分に問うてみます。それは、究極的に男としての「若さ」を失ったのかと、自分を懐疑するところではありますが、いい年をした某政治評論家も、「AKB48」の支援者であるとも聞き及びます。私にはあの男が、群舞する彼女たちを、個々に認識できるかは、怪しいものだとは思いますが、まあ、確かに、見る立場の年齢性別を超え、大舞台で若い娘の群舞を見る快感というのはありますね、あたかも観るわれわれが、擬制の「大将軍様」になったように思われ、実際のところ、彼女たちは「お客様は大将軍様」という感覚で、演じるのでしょう。しかし、NHKのBS放送で見ていると、最近は、どうも、チームごとにダンスが特にうまい子とか、楽器の演奏ができる子、とか、群舞のみならず、個々のメンバーの差異化も目指しており、なかなか、工夫の種は尽きないところです。
しかし、今更ながら、あの秋元康のプロモートはすごいですね、彼自身でそれぞれの地区やグループに応じ地域差異化したような持ち歌を大量に準備しており、年齢制限による選別と、「総選挙」という理不尽な評価による人事考課と人員管理で、質より量、量より質と、営業戦略とメンバーの切替えと展開を早くし、世論(?) の指弾を受けないように (?) 巧妙に延命しています。先の某政治評論家が、そのビジネスモデルを何故評価しているのか、私は興味がありません。しかしながら、こと秋元康に関しては、あの「夕焼けにゃんにゃん」(1985年から1987年まで放送)あたりが懐かしいところではあります。アイドルを、質より数、「個々の魅力から団体の魅力」に変えた、当時のあの取り組み (「おにゃんこクラブ」の 結成・運営) はとても新しかったところです。
実際のところ、私には、彼(秋元康)が、先のNHK朝ドラ「あまちゃん」の秋元康のパロディである「太巻」役の古田新太のイメージと、重なってしょうがないのですが。
ところで、このたび、「ちーむ・をとめ座」の新たな取り組みが始まりました。
古歌、「仮名序」(かなじょ)に載せて、このたびはセーラー服で群舞する彼女たちです。先に、私、個人的に、「をとめ座」のメンバーが将来どうなるのだろうかと思案しておりましたが、このたび見事に、その「進化形態」を見ることができました。
「かなじょ」(古今和歌集 仮名序より)、という新シリーズです。古今和歌集の編者であったといわれている、「和歌とは何か?」に対し、答えた古今和歌集の4人の編者の内の紀貫之の作といわれている、コメントだそうです。
「やまとうたは 人の心を 種(たね)として よろずの言の葉(ことのは)とぞ なれりける 」、とてもいい出だしです。
そして、「天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」、と和歌が入ります。
彼女たちの歌踏は、あれは大正時代なのか昭和初期のコスチュームなのか、紺のネクタイと紺のスカート、白いセーラー服の女学生のスタイルで、前髪を切りそろえたおかっぱ頭で、黒い長ソックスを履いた彼女たちが、踊るわけですが、少し、衣装が彼女たちには大きく見えるのがご愛嬌です。たぶん、この衣装は、明治期までは遡及しないのでしょう、大正期以降、近代の「夢見る乙女」の立ち姿です。今回もとても上手な振り付けです。ほれぼれしますね。この前まで、小学生の筈(?) だった彼女たちが、あの髪型で踊るのは、まさしく、進化形態ですね。「天つ風 雲の通い路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ 」(僧正遍照)というあまりに有名な和歌に乗せ、軽やかに彼女たちが舞うようです。
あれは、「女」でも、「女児」でもダメなんですね、まさしく、境界を生きる、あえかな「をとめ」の舞いです。彼女たちは、ちょうど、彼岸と此岸の境界上に立つ非性の存在かもしれない、(私にとって)実に好ましい姿です。
振り付けは、ラッキイ池田さんという方で、才能ある人と思われますが、彼女たちは、舞いの途中でふっと消失したり、またあらわれたりと、雲の通い路に浮かぶ、まさしく人外の舞いなのです。ところで、最初に彼女たちの衣装にセーラー服の採用をした人は、つくづく慧眼の士であると思われます。衣装は「ひびのこづえ」という人だそうです。彼女たちの外見の印象を挙げれば、総じて、「スウイングガールズ」に出ていた、ドラムスの女子(豊島由香梨)によく似ています。
引き続き、
「うぐいす かわづ(かじか蛙) 生けとし 生けるもの いづれか うたをよまざりける 力をも 入れずして 天地(あめつち)を 動かし 目にみえぬ 鬼神(おにがみ)を あわれと思わせ 男女(おとこおんな)の 中をもやはらげ(やわらげ) 猛きもののふの心をも なぐさむるは歌なり やまとうたは 人のこころを 種として よろずの言の葉とぞ なれりける」
実に良いですね。また、その背景は、「月は東に日は西に」の情況なのか、向かって右手に、月のかぶりものと衣装を着た、おおたか静流がたたずみ、左に男女(おとこおんな) を超越する(?) 太陽役の美輪明宏が控えます。中央では、尺八(篠笛)の万能演奏家藤原道山が例のシュールな被り物付きで演奏しています。
ツボにはまった時のこの番組の催しは本当にすごい、と再度認識しました。
「かなじょ」、伝統ある日本国固有の文化の中で、をとめたちの、天女のごとき歌踏とその立ち姿はとてもよい、と、今回は、何度もべたほめです。
しかし、今更ながら、あの秋元康のプロモートはすごいですね、彼自身でそれぞれの地区やグループに応じ地域差異化したような持ち歌を大量に準備しており、年齢制限による選別と、「総選挙」という理不尽な評価による人事考課と人員管理で、質より量、量より質と、営業戦略とメンバーの切替えと展開を早くし、世論(?) の指弾を受けないように (?) 巧妙に延命しています。先の某政治評論家が、そのビジネスモデルを何故評価しているのか、私は興味がありません。しかしながら、こと秋元康に関しては、あの「夕焼けにゃんにゃん」(1985年から1987年まで放送)あたりが懐かしいところではあります。アイドルを、質より数、「個々の魅力から団体の魅力」に変えた、当時のあの取り組み (「おにゃんこクラブ」の 結成・運営) はとても新しかったところです。
実際のところ、私には、彼(秋元康)が、先のNHK朝ドラ「あまちゃん」の秋元康のパロディである「太巻」役の古田新太のイメージと、重なってしょうがないのですが。
ところで、このたび、「ちーむ・をとめ座」の新たな取り組みが始まりました。
古歌、「仮名序」(かなじょ)に載せて、このたびはセーラー服で群舞する彼女たちです。先に、私、個人的に、「をとめ座」のメンバーが将来どうなるのだろうかと思案しておりましたが、このたび見事に、その「進化形態」を見ることができました。
「かなじょ」(古今和歌集 仮名序より)、という新シリーズです。古今和歌集の編者であったといわれている、「和歌とは何か?」に対し、答えた古今和歌集の4人の編者の内の紀貫之の作といわれている、コメントだそうです。
「やまとうたは 人の心を 種(たね)として よろずの言の葉(ことのは)とぞ なれりける 」、とてもいい出だしです。
そして、「天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」、と和歌が入ります。
彼女たちの歌踏は、あれは大正時代なのか昭和初期のコスチュームなのか、紺のネクタイと紺のスカート、白いセーラー服の女学生のスタイルで、前髪を切りそろえたおかっぱ頭で、黒い長ソックスを履いた彼女たちが、踊るわけですが、少し、衣装が彼女たちには大きく見えるのがご愛嬌です。たぶん、この衣装は、明治期までは遡及しないのでしょう、大正期以降、近代の「夢見る乙女」の立ち姿です。今回もとても上手な振り付けです。ほれぼれしますね。この前まで、小学生の筈(?) だった彼女たちが、あの髪型で踊るのは、まさしく、進化形態ですね。「天つ風 雲の通い路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ 」(僧正遍照)というあまりに有名な和歌に乗せ、軽やかに彼女たちが舞うようです。
あれは、「女」でも、「女児」でもダメなんですね、まさしく、境界を生きる、あえかな「をとめ」の舞いです。彼女たちは、ちょうど、彼岸と此岸の境界上に立つ非性の存在かもしれない、(私にとって)実に好ましい姿です。
振り付けは、ラッキイ池田さんという方で、才能ある人と思われますが、彼女たちは、舞いの途中でふっと消失したり、またあらわれたりと、雲の通い路に浮かぶ、まさしく人外の舞いなのです。ところで、最初に彼女たちの衣装にセーラー服の採用をした人は、つくづく慧眼の士であると思われます。衣装は「ひびのこづえ」という人だそうです。彼女たちの外見の印象を挙げれば、総じて、「スウイングガールズ」に出ていた、ドラムスの女子(豊島由香梨)によく似ています。
引き続き、
「うぐいす かわづ(かじか蛙) 生けとし 生けるもの いづれか うたをよまざりける 力をも 入れずして 天地(あめつち)を 動かし 目にみえぬ 鬼神(おにがみ)を あわれと思わせ 男女(おとこおんな)の 中をもやはらげ(やわらげ) 猛きもののふの心をも なぐさむるは歌なり やまとうたは 人のこころを 種として よろずの言の葉とぞ なれりける」
実に良いですね。また、その背景は、「月は東に日は西に」の情況なのか、向かって右手に、月のかぶりものと衣装を着た、おおたか静流がたたずみ、左に男女(おとこおんな) を超越する(?) 太陽役の美輪明宏が控えます。中央では、尺八(篠笛)の万能演奏家藤原道山が例のシュールな被り物付きで演奏しています。
ツボにはまった時のこの番組の催しは本当にすごい、と再度認識しました。
「かなじょ」、伝統ある日本国固有の文化の中で、をとめたちの、天女のごとき歌踏とその立ち姿はとてもよい、と、今回は、何度もべたほめです。
ところで、助演「幼年組」の、「かわず」といい、「しか」といい、「ねずみ」に至るまで、ダンスというか、舞踏というか、本当に上手ですね。毎度のことながら、才能ある振り付けに感服するばかりです。