先ごろから、日曜日の朝、BSプレミアムの「わんぱこホテルシリーズ」を観ております。架空の「わんぱこホテル」におとずれるお客さんを迎える、ホテル支配人親娘と、「ワンワン」という犬の着ぐるみキャラが、スタッフとして、ホテルを仕切ります。
先ごろから、どうも、このホテルが、Eテレ「おかあさんと一緒」などのさまざまな番組の主演者(主演着ぐるみ又は人形の方)をゲストとして迎える、過去から現在までの、良質なEテレ番組の回顧・総括番組となっています。
これだけ、無作為に、新旧入り混じり、種々雑多(?) な着ぐるみが集まり、番組を仕切り、進行するのには、やはり実力が要るものであろう、と推測できます。それをこなすのが、MC役の(支配人)の「ほのぼのさん」という地味めなキャラクターです。見た感じは、めがねをかけ小柄でおとなしげな様子ですが、彼が、どのキャラクターとも丁々発止とやりあい、時にはこども番組を逸脱するところまで、そのやり取り拡大し盛り上げてくれます。娘キャラも、かわいいだけの存在ではなく、自己主張が強く、今風に周囲に厳しいキャラでもあります。「ほのぼのさん」は、その娘と正面からやりあい、それを、調停役として、受身・温和キャラとして振舞わざるを得ない「ワンワン」が受けます。
近年、特に、NHK着ぐるみ女子キャラも、時流に応じ野獣化を遂げたのか、目立ちたがりで、自己主張が強い、こととなっています。「いまどき、流行の女の子」なのでしょう。また、一方で、最近の着ぐるみ男子キャラが変質したのでしょか、この前久しぶりに見た山猫のじゃじゃ丸ですら粗暴キャラに見え、周囲もその扱いに困るような雰囲気もあります。このあたりの、雰囲気も興味深いところですが、「やんちゃな」、「少し粗暴な」男の子は、現在ではテレビに受け入れがたくなったのか、と思うところです。最近のキャラクターは、動物のみならずロボットの着ぐるみさえ出ているし、いわゆる、昔ながらの男の子は、生彩がなくなるばかりなのですね。さすがに、「現在」を反映しています。
そうなれば、男の子は、口が達者でないと対抗できないのですね。ほのぼのさんはそのロールモデルを見せてくれます。また、強硬に見え、微妙に、嫌われないところでその達者な口舌をとどめます。いわゆる、悧巧なんですね。彼は、状況に違和を投げ込む行為を含め、どうも自分のいいたいことは言っているのでそれでいいでしょう。やっぱり、にやっと笑ってしまいます。そして、幼児にも人気があるというのもそれはそれでたいしたものです。
わんわんも、最近達者になって、ほのぼのさん相手に一歩も引きません。そのうえ、彼は他番組の主要・人気キャラと、体を張って張り合わなければなりません。連綿と続いている、Eテレのキャラたちのラインアップは豪華なものです。それぞれの彼らにも「わが、番組こそ・・」という意欲もあることでしょう。
彼らをみていると、殊に、着ぐるみキャラの身体能力はすばらしいものですね。彼らは、舞台で、周囲を十分に見渡せないのに、どのように、群舞をしつつ、それぞれ性差を着けながら、みなで合わせて、踊ったり歌ったりするのは、実際、見ていて驚異的というものです。そして、着ぐるみと不可分の、わんわんの声優さんですが、どうも中年(?) の男らしく、アドリブでせりふをやりとりするとき、時々、そのオヤジ感覚に、笑ってしまいます。
さて、ここらから、変調します。
先ごろ、BSのディズニー専用チャンネルだったと思いますが、懐かしい「トムとジェリー」という、アメリカ発の、どたばたのアニメをみていると、私には、まったくつまらなくなっているのに気がつきました。
日本では、昭和39年から放送し始めたとのことであり、最初は白黒放送であり、小学校から、中学校にかけて写りの悪いテレビで、懸命にみていた覚えがあります。確か、あの高名なアメリカのS&G(サイモンとガーファンクル、1941年生まれ)という音楽家たちも、高校時代には「トム&ジェリー」という名で活動していたとのことであり、当時アメリカでも人気のアニメだったのでしょう。
毎回、猫のトムとねずみのジェリーのスピード感あふれるライバル間の張り合いにより、おっかけ、戦い、だしぬきあい、最後は、彼らの上位者、ブルドックや彼の家の主人にトムが屈服するというパターンでしたが、ミッキーマウスのようなディズニーアニメよりは知的でしたが、スラップスティックというのか、叩きつぶされても瞬時によみがえり、またやり返す、やられたらやり返す、という繰り返しに、いま観ると本当につまらないのですね。こんなアニメを、「反復継続して、こどもにみせるのはどうかな」と倫理的な裁断すらしそうになります(昔、自分が見ていたことはさておきですが)。時代的な制約は当然あるにせよ、日本の過去のアニメなどに比しても、文化や、社会構造の差異をも考えるところですね。実際のところ、昔経験した、「古いもの」に過剰に期待するのは愚かなことですが、その後の、貧困の減少や、教育水準の向上(?) 時代的な推移で、文字どおり水位が上がり、笑いの質や、娯楽の質は明らかに向上するのですね。
あれは、うちの娘が愛好する、年末のダウンタウンの「笑ってはいけない」と同質のものではないでしょうか、あれらは、皆が、貧困で、笑いや、気晴らしに飢えていた、その当時の時代なら受けていたかもしれないが、これだけお笑いの高度化や各人の考え方の差異が広がった現在では、陳腐化し、いまさら見たくはないところです。
うちの娘は愚かだ、と口に出しては言いませんが(おざなりな態度でみているようなので)、私は、あの番組は、金をもらっても(実は金額にもよりますが)、見るつもりはありません、ビートたけしの定式化した、まるで大家(たいか)のようにふるまう能のない芸と一緒で、見ることは、はっきりと不快です。もし、こと挙げて、嫌悪と、不快の表明をすると、家庭内で十字砲火を受けますので、当面は行いませんが。
NHKの総合のEテレで、日曜日の朝、「おさるのジョージ」というのを放映しています。
これは凡庸な作品であると思われ、以前は、何の気なしにみていましたが、あれは、アメリカ版の、幼児対象の番組なのですね。いわゆる、「人間」とは違ったおサルの、行動と、考えをナレーションで入れながら、大人ではない、幼児の考えや、行動の原基みたいなものを、みせてくれるのですね、はらはらしつつも破綻のない冒険で、さるといういたずらものが、いずれ保護者(飼い主)の元に帰っていく図式です。
アメリカではどのような進行となっているのかよくわからないところですが、向こうでも、幼児ながらも、身につまされる冒険なのかも知れない。たぶん、アメリカでは、人気番組なのでしょう。それを上手に扱うのがNHKのすぐれたところなのかもしれませんが、これであれば、日本でも受けるかもしれません。
日本国で類比してみれば、Eテレだけを見ていても、Eテレの朝のテレビ体操以降、幼児を対象にした上質な番組がめじろ押しです。
あれを見ていれば、日本のアニメ、というか、幼児からこどもにかけての教育・娯楽番組は、本当に上質で、世界に誇れるものですね。
これらは、NHKのつまらないバイアスのかかった、世界的な視野や現状認識、あるいは想像力の欠如した記者、解説委員、御用評論家などがでっち上げる、一部報道・時事番組に比して、なんと優れまさった番組でありましょうや。
先ごろから、どうも、このホテルが、Eテレ「おかあさんと一緒」などのさまざまな番組の主演者(主演着ぐるみ又は人形の方)をゲストとして迎える、過去から現在までの、良質なEテレ番組の回顧・総括番組となっています。
これだけ、無作為に、新旧入り混じり、種々雑多(?) な着ぐるみが集まり、番組を仕切り、進行するのには、やはり実力が要るものであろう、と推測できます。それをこなすのが、MC役の(支配人)の「ほのぼのさん」という地味めなキャラクターです。見た感じは、めがねをかけ小柄でおとなしげな様子ですが、彼が、どのキャラクターとも丁々発止とやりあい、時にはこども番組を逸脱するところまで、そのやり取り拡大し盛り上げてくれます。娘キャラも、かわいいだけの存在ではなく、自己主張が強く、今風に周囲に厳しいキャラでもあります。「ほのぼのさん」は、その娘と正面からやりあい、それを、調停役として、受身・温和キャラとして振舞わざるを得ない「ワンワン」が受けます。
近年、特に、NHK着ぐるみ女子キャラも、時流に応じ野獣化を遂げたのか、目立ちたがりで、自己主張が強い、こととなっています。「いまどき、流行の女の子」なのでしょう。また、一方で、最近の着ぐるみ男子キャラが変質したのでしょか、この前久しぶりに見た山猫のじゃじゃ丸ですら粗暴キャラに見え、周囲もその扱いに困るような雰囲気もあります。このあたりの、雰囲気も興味深いところですが、「やんちゃな」、「少し粗暴な」男の子は、現在ではテレビに受け入れがたくなったのか、と思うところです。最近のキャラクターは、動物のみならずロボットの着ぐるみさえ出ているし、いわゆる、昔ながらの男の子は、生彩がなくなるばかりなのですね。さすがに、「現在」を反映しています。
そうなれば、男の子は、口が達者でないと対抗できないのですね。ほのぼのさんはそのロールモデルを見せてくれます。また、強硬に見え、微妙に、嫌われないところでその達者な口舌をとどめます。いわゆる、悧巧なんですね。彼は、状況に違和を投げ込む行為を含め、どうも自分のいいたいことは言っているのでそれでいいでしょう。やっぱり、にやっと笑ってしまいます。そして、幼児にも人気があるというのもそれはそれでたいしたものです。
わんわんも、最近達者になって、ほのぼのさん相手に一歩も引きません。そのうえ、彼は他番組の主要・人気キャラと、体を張って張り合わなければなりません。連綿と続いている、Eテレのキャラたちのラインアップは豪華なものです。それぞれの彼らにも「わが、番組こそ・・」という意欲もあることでしょう。
彼らをみていると、殊に、着ぐるみキャラの身体能力はすばらしいものですね。彼らは、舞台で、周囲を十分に見渡せないのに、どのように、群舞をしつつ、それぞれ性差を着けながら、みなで合わせて、踊ったり歌ったりするのは、実際、見ていて驚異的というものです。そして、着ぐるみと不可分の、わんわんの声優さんですが、どうも中年(?) の男らしく、アドリブでせりふをやりとりするとき、時々、そのオヤジ感覚に、笑ってしまいます。
さて、ここらから、変調します。
先ごろ、BSのディズニー専用チャンネルだったと思いますが、懐かしい「トムとジェリー」という、アメリカ発の、どたばたのアニメをみていると、私には、まったくつまらなくなっているのに気がつきました。
日本では、昭和39年から放送し始めたとのことであり、最初は白黒放送であり、小学校から、中学校にかけて写りの悪いテレビで、懸命にみていた覚えがあります。確か、あの高名なアメリカのS&G(サイモンとガーファンクル、1941年生まれ)という音楽家たちも、高校時代には「トム&ジェリー」という名で活動していたとのことであり、当時アメリカでも人気のアニメだったのでしょう。
毎回、猫のトムとねずみのジェリーのスピード感あふれるライバル間の張り合いにより、おっかけ、戦い、だしぬきあい、最後は、彼らの上位者、ブルドックや彼の家の主人にトムが屈服するというパターンでしたが、ミッキーマウスのようなディズニーアニメよりは知的でしたが、スラップスティックというのか、叩きつぶされても瞬時によみがえり、またやり返す、やられたらやり返す、という繰り返しに、いま観ると本当につまらないのですね。こんなアニメを、「反復継続して、こどもにみせるのはどうかな」と倫理的な裁断すらしそうになります(昔、自分が見ていたことはさておきですが)。時代的な制約は当然あるにせよ、日本の過去のアニメなどに比しても、文化や、社会構造の差異をも考えるところですね。実際のところ、昔経験した、「古いもの」に過剰に期待するのは愚かなことですが、その後の、貧困の減少や、教育水準の向上(?) 時代的な推移で、文字どおり水位が上がり、笑いの質や、娯楽の質は明らかに向上するのですね。
あれは、うちの娘が愛好する、年末のダウンタウンの「笑ってはいけない」と同質のものではないでしょうか、あれらは、皆が、貧困で、笑いや、気晴らしに飢えていた、その当時の時代なら受けていたかもしれないが、これだけお笑いの高度化や各人の考え方の差異が広がった現在では、陳腐化し、いまさら見たくはないところです。
うちの娘は愚かだ、と口に出しては言いませんが(おざなりな態度でみているようなので)、私は、あの番組は、金をもらっても(実は金額にもよりますが)、見るつもりはありません、ビートたけしの定式化した、まるで大家(たいか)のようにふるまう能のない芸と一緒で、見ることは、はっきりと不快です。もし、こと挙げて、嫌悪と、不快の表明をすると、家庭内で十字砲火を受けますので、当面は行いませんが。
NHKの総合のEテレで、日曜日の朝、「おさるのジョージ」というのを放映しています。
これは凡庸な作品であると思われ、以前は、何の気なしにみていましたが、あれは、アメリカ版の、幼児対象の番組なのですね。いわゆる、「人間」とは違ったおサルの、行動と、考えをナレーションで入れながら、大人ではない、幼児の考えや、行動の原基みたいなものを、みせてくれるのですね、はらはらしつつも破綻のない冒険で、さるといういたずらものが、いずれ保護者(飼い主)の元に帰っていく図式です。
アメリカではどのような進行となっているのかよくわからないところですが、向こうでも、幼児ながらも、身につまされる冒険なのかも知れない。たぶん、アメリカでは、人気番組なのでしょう。それを上手に扱うのがNHKのすぐれたところなのかもしれませんが、これであれば、日本でも受けるかもしれません。
日本国で類比してみれば、Eテレだけを見ていても、Eテレの朝のテレビ体操以降、幼児を対象にした上質な番組がめじろ押しです。
あれを見ていれば、日本のアニメ、というか、幼児からこどもにかけての教育・娯楽番組は、本当に上質で、世界に誇れるものですね。
これらは、NHKのつまらないバイアスのかかった、世界的な視野や現状認識、あるいは想像力の欠如した記者、解説委員、御用評論家などがでっち上げる、一部報道・時事番組に比して、なんと優れまさった番組でありましょうや。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます