Ⅳ (60年)安保改定の意義を見誤っていた左翼インテリ
ア 当時の知識人の中で、安保の意味と問題点を明確にしていたものはなく、先験的に、無自覚に、「進歩的知識人」を演じている。
旧安保条約(1951年サンフランシスコ平和条約と同時締結)とは
武装解除され固有の自衛権を持たない日本に対し、安全保障上の暫定措置として、日本国および付近にアメリカが軍隊を
維持することを謳う。
前文で日本国が自国の防衛のために今後次第に自己責任の部分をアメリカが 期待すると記されている。
第一条で、米軍の駐留以外の援助可能性は触れているが、アメリカの防衛義務が明言されていない。
同じく第一条で、内乱対応への言及があった。
批准後9年を経過し、相対安定期の米ソ冷戦構造におかれ、日本は憲法改正をしないまま自衛隊の組織と設備を拡充した。(私
見:岸内閣以前に、吉田茂内閣(吉田茂を支える社会権力など)が望まなかったという説がある。)
改定安保条約(1960年6月発効)とは
第5条で、日本の施政下にある領域で、日米どちらかに武力攻撃がされた場合、両国とも自国の安全が脅かされたことを認
め、共通の危険に対処するように行動することが明示された。
内乱条項が削除された。
第六条で、日本からアメリカへの「基地の許与」に関連して、アメリカが極東の有事の際に、軍隊の配置や装備や作戦行動
に関して重要な変更を行う場合は、日本政府との間で事前協議を行わなければならないとされた。
(特徴)
a 米国駐留の暫定措置がより安定的かつ限定的なものに変化したこと
b 日本の自衛力の充実が背景にあり、応分に評価されていること
c 平和主義を謳う日本国憲法との矛盾そごをきたさないように配慮されていること
d 日米関係という総合関係でいえば、アメリカへの属国であった日本が独立国として対等な取引関係を確立できることとなったは
ず。(私見:他の当時の同伴知識人であれば「吉本隆明」が当時、同等の優れた認識を示している。)
(EX 内乱条項の削除、事前条項の規定など)
(見解)小浜逸郎
左翼的イデオロギー(資本主義国家アメリカとの同盟関係を拒否する)の立場からすれば、拒否することは、資本主義国日本をうち
たおし、社会主義国家日本を建設するという理念を実現する、ということとなる。
当時日本は55体制(私見:昭和30年、私の生まれた年です。)で、知識階級はほとんど、野党としての社会党、共産党の支持者(進
歩的知識人)であり、「よりよい社会」を目指す、「安保改定反対」の支持者であった。
Ⅴ 民衆運動のムードに流されただけの安保批判
丸山眞男の対応は次のとおりである。
ア 強行採決は、大正デモクラシーよりもっと後退している。本来の議会制民主主義を取りもどすためには、強行採決を取り消し、国
会を解散すべきである。
イ デモクラシーは、本来政治とは関係のない目的としない人間によって担われるべきである。
(中 略)
ウ(5月19日から20日にかけて起こった強行採決に係る反対デモは)我が国の国民生活の未曾有の危機であり、未曾有の好機でも
ある。民主主義運動の中に散在した理念と理想は、ここにまた凝縮して、我々の手に握られた(人民主権の理念を獲得した。)。
デモ隊(警察発表10万人)を目の当たりにした知識人がその姿に興奮して、子どものようにはしゃいでいるように思われる。(私
見:私には先の「脱原発」デモが連想されます。若い友人に、警察が怖くないデモなど何の意味もないといいました。)
問題点
a 政治学の専門家が、安保条約の改定が、日本及び日本国民に対しどういう意味を持つのか、分析がなされず、強行採決が権
力悪の権化で、怒りを示す大衆の騒ぎが素晴らしいというような、アジテーションまがいの言説に終始していること。
b 民衆が示す反対意志のエネルギーをどのような方向に持っていけば、建設、組織的な運動に持っていけるのか(既成の悪ず
れした政治組織に取り込まれないように)について、「人民主権」を標榜するなら、革命を望んでいたのかいないのか、政治
思想家の民衆の騒擾というものが熱しやすく冷めやすく、場合によって思わぬ暴動に発展し陰残な弾圧に遭遇しかねず、一団
と思われる群衆の中にも、複雑な利害対立がある可能性が大であるのに、これらに対する冷静な考察を何も行っていないこと。
見解(小浜逸郎)
a 安保闘争で国民が発散させたエネルギーの主たるものは、手ひどい敗北の辛酸をなめた日本人の抑圧された反米感情の表れで
あり、回復途上にある後発近代国家におけるナショナリズムの表現以外のなにものでもなかった。
b このような噴出が可能となったのは、すでに日本の政治的独立が回復されており、経済的にも日本資本主義の復権がほぼなされ
たことであり、この闘争が大衆性をもっていたにもかかわらず、何ら賃上げ闘争や、貧困からの脱却というような経済的課題を
含んでいなかったことで証明される。
C 進歩的知識人、左翼的インテリが誤算したのは、政治的なスローガンの中で闘われたために、(私見:これはあの政治革命など
につながっていくのではないかなど)過剰な期待をしてしまい、生活基盤に根差したものでなく、敗戦がもたらした、被抑圧感情の
一時的な爆発であったことが見抜けなかったことである。
結果、あっという間に退潮してしまった。
Ⅵ プラグマティスト(実用主義者)からドグマティスト(教条主義者)へ
ア 日本人の生活様式と、自由主義、共産主義、社会民主主義などのイデオロギーは西洋と違って、まだ無媒介に併存している。ゆ
えに、舶来イデオロギー用語で日本の政治的現実を割り切ろうとする場合は、現実からしっぺ返しをくらう。
具体的な人間関係や行動様式の日本的特性は、独裁者的支配というよりは、顔役、親方などのボス的支配に基づく「和」と「恩」
の精神であり、平等者間の「友愛」ではなく、縦の不動の関係を前提にした前近代的な精神であり、関係である。
このような関係は、組織化された大衆運動自体にも内在している。
「 西洋型市民的民主主義を発展、伸長させることについて」
<日本社会の民主化は、日本の歴史的具体的な状況において近代化を実質的に押し進めていく力は、諸階級、諸勢力、諸社会集団の中
に見出されるかを認識し、強める方向に賛成することによってのみ果たされる、・・>
もし、民主主義を目指すのであれば、アメリカ的民主主義なのか、ソ連型民主主義(?) のどちらを目指すのか、などの大上段で抽
象的な「主義」による二者択一を決然として退けて(俗流マルクス主義)、普通の日本人の生活心情、行動様式に対する曇りのない
現状認識から出発せよ、と鮮やかに指摘している。(吉本隆明の「大衆の原像を繰り込め」といういい回しに肉薄している。)
(見解)小浜逸郎
「私はプラグマティストでありたい。」という丸山の言説は、物事の真理性や価値を経験的事実や行動の結果から、帰納的に、正し
いもの、よきものと認める立場を表しているはずである。
ひるがえって、安保騒乱の際の振る舞いは、別途の人格としてしか考えられない。
「安保改定」という政策の意義を何の分析もせずに不条件に悪として、教条化し、「是非の判断」を行った、単なる行動者に堕落し
たドグマティスト(教条主義者)と言わざるを得ない。
Ⅶ 明治天皇制への不公平な歴史認識
丸山眞男は、最近次や自己を取り巻く政治現象に対する判断は、その怜悧な判断力を活かすことができず、すでに歴史化した事項な
どを分析するときは凡人に及ばない優秀な思想家であると思われる。
帝国憲法公布(明治22年2月)、教育勅語(明治23年10月)の評価
一体のもの(丸山)でなく、根本理念として新旧正反対のことを指示している。
帝国憲法・・近代的立憲政治の基を築くため、君主権の限界と国民(臣民)の権利・自由を明確に宣言・確定したものである。そ
の基本性格が当時とすれば近代的、先進的なものであることが明らかである。
EX)美濃部達吉(天皇機関説)は、最後まで帝国憲法の廃止に反対した。
教育勅語・・近代化による国民の道徳心の退廃(個人主義による国家秩序の拡散)を危惧して、徹頭徹尾、君臣の忠義、親孝行な
どの儒教精神を子弟に涵養させるべく編纂された復古的な産物である。
丸山の明治国家観は、バイアス(皇国思想・軍国主義への嫌悪により)がかかっている。(私見:いわゆる戦争体験などに伴う
個人的なルサンチマンに引っ張られていないのか。)
Ⅷ 国際社会の現実を見ない幼稚さ
主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん(丸山)
西洋が世界に先駆けて実現した「国民国家」のモデルは、グローバリゼーション がここまですすんだ現代では、世界秩序の原
理としては役に立たないから、第三世界の国家群が西洋モデルを見習おうとするのはもはや時代遅れだと、ずいぶん先を見越した、
過激なことを述べている。
「主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん」、を宣言するのは、能天気な人間観、国家観が含まれている。(よく話し
合えば相互理解と平和交流が可能であるなど)
見解(小浜逸郎)
a グローバリゼーションの進展は、国境を低くみせる反面、世界の中心軸を失わせ、異文化と異文化との裸の衝突の機会を増大さ
せ、かえって国家間の摩擦や緊張を高める。(EX)アメリカ覇権の後退、新興国の台頭、貧困国家の核武装化
b 多くの主権国家が存在していて、それぞれの主権を主張して譲らないという現実には、目を瞑ることを許さない必然性が存在する
こと。(EX)地勢、民族、言語、歴史
c そうであれば、相矛盾する利害や、理解しえない異文化を抱える主権国家の存在をそれとして認め、犠牲の少ないバランスオブ
パワーの原理で平和の維持を模索していく以外にない。
Ⅸ 国民意識の形成過程を独創的に論証
省略します
Ⅹ 「変わり身の早さ」をめぐる成熟した認識「変わり身の早さ」
外圧に対してそれをただ受け入れ以前とは全く違う自分に染まってしまうのではなく、他者をある程度受け入れつつ、それを自己流
に消化吸収し、その過程を通して、自らを新たな自分に「なり変わる」、そして、そのことによって文化的アイデンティティの危機を克服す
る態度に言及している。
見解(小浜逸郎)
日本の近代化は、「軍歌」の哀切さに象徴されるように、はかなさへの親しみや、敗北と死の予感を肌身に感じつつ生きる態度があ
らかじめ深く埋め込まれている、これは一種独特の世界観、人生観であり、それを文化的視点から見れば、ある種の強みであり、日本
人は上古の昔から、政治的にも文化的にも一度も滅ばされることがなく、今述べたような特性を駆使しつつ、漢字かなまじり文、和歌、
「てにをは」の文法構造、明治時代の翻訳語のまことにスピーディな創造など、独特な言語文化を作りだして今に伝えている。漢字や
西欧語の猛烈な圧力に対して、それを母語に取り込みつつ、独特の言語文化を作った国はほかに例を見ない。その「力」の源はなん
なのか、ここにうかがいしれる日本人の、代々の実存を貫く歴史意識の本質とは何か。
Ⅺ 日本的権力構造の肯定的捉えなおし
晩年の丸山は、福沢諭吉研究に主力を注ぎ、公式主義に偏らない福沢の「両眼主義」の価値を強調した。翻って丸山については、一
種の無条件の「(俗流)反権力主義」は青春時代の傷の感覚からついに自由にならなかった(ついにバイアスがかかったままだった)
が、思想史を追及する学者の姿勢において、両眼的理性は十分に発揮された。
(私見)小浜逸郎の手法は、批評作品を論じながら、当時の世相(歴史)に触れつつ、より深い認識に至る思考のダイナミズムが感じ
られます。周到な論理で(例えば60年安保時の総括はかつて見た中でも最も見事なものだと思います。)、対象化されたより深い考
察として箇条書きで明確に語られ、まるでこちらの頭がよくなったような気持ちになります(うちのクラスで皆そう思いました)。
吉本隆明もかつて、「普遍的に語れ」といいましたが、著者の試みは文字通りの実践であるように感じます。また、日本の明治以降
の政治状況、社会状況から、分析は極めて正確であり、私的には、グローバリゼーションの分析は、これだけの質の高いものは初め
てでした。この本を、皆さんに自信をもっておすすめします。
ア 当時の知識人の中で、安保の意味と問題点を明確にしていたものはなく、先験的に、無自覚に、「進歩的知識人」を演じている。
旧安保条約(1951年サンフランシスコ平和条約と同時締結)とは
武装解除され固有の自衛権を持たない日本に対し、安全保障上の暫定措置として、日本国および付近にアメリカが軍隊を
維持することを謳う。
前文で日本国が自国の防衛のために今後次第に自己責任の部分をアメリカが 期待すると記されている。
第一条で、米軍の駐留以外の援助可能性は触れているが、アメリカの防衛義務が明言されていない。
同じく第一条で、内乱対応への言及があった。
批准後9年を経過し、相対安定期の米ソ冷戦構造におかれ、日本は憲法改正をしないまま自衛隊の組織と設備を拡充した。(私
見:岸内閣以前に、吉田茂内閣(吉田茂を支える社会権力など)が望まなかったという説がある。)
改定安保条約(1960年6月発効)とは
第5条で、日本の施政下にある領域で、日米どちらかに武力攻撃がされた場合、両国とも自国の安全が脅かされたことを認
め、共通の危険に対処するように行動することが明示された。
内乱条項が削除された。
第六条で、日本からアメリカへの「基地の許与」に関連して、アメリカが極東の有事の際に、軍隊の配置や装備や作戦行動
に関して重要な変更を行う場合は、日本政府との間で事前協議を行わなければならないとされた。
(特徴)
a 米国駐留の暫定措置がより安定的かつ限定的なものに変化したこと
b 日本の自衛力の充実が背景にあり、応分に評価されていること
c 平和主義を謳う日本国憲法との矛盾そごをきたさないように配慮されていること
d 日米関係という総合関係でいえば、アメリカへの属国であった日本が独立国として対等な取引関係を確立できることとなったは
ず。(私見:他の当時の同伴知識人であれば「吉本隆明」が当時、同等の優れた認識を示している。)
(EX 内乱条項の削除、事前条項の規定など)
(見解)小浜逸郎
左翼的イデオロギー(資本主義国家アメリカとの同盟関係を拒否する)の立場からすれば、拒否することは、資本主義国日本をうち
たおし、社会主義国家日本を建設するという理念を実現する、ということとなる。
当時日本は55体制(私見:昭和30年、私の生まれた年です。)で、知識階級はほとんど、野党としての社会党、共産党の支持者(進
歩的知識人)であり、「よりよい社会」を目指す、「安保改定反対」の支持者であった。
Ⅴ 民衆運動のムードに流されただけの安保批判
丸山眞男の対応は次のとおりである。
ア 強行採決は、大正デモクラシーよりもっと後退している。本来の議会制民主主義を取りもどすためには、強行採決を取り消し、国
会を解散すべきである。
イ デモクラシーは、本来政治とは関係のない目的としない人間によって担われるべきである。
(中 略)
ウ(5月19日から20日にかけて起こった強行採決に係る反対デモは)我が国の国民生活の未曾有の危機であり、未曾有の好機でも
ある。民主主義運動の中に散在した理念と理想は、ここにまた凝縮して、我々の手に握られた(人民主権の理念を獲得した。)。
デモ隊(警察発表10万人)を目の当たりにした知識人がその姿に興奮して、子どものようにはしゃいでいるように思われる。(私
見:私には先の「脱原発」デモが連想されます。若い友人に、警察が怖くないデモなど何の意味もないといいました。)
問題点
a 政治学の専門家が、安保条約の改定が、日本及び日本国民に対しどういう意味を持つのか、分析がなされず、強行採決が権
力悪の権化で、怒りを示す大衆の騒ぎが素晴らしいというような、アジテーションまがいの言説に終始していること。
b 民衆が示す反対意志のエネルギーをどのような方向に持っていけば、建設、組織的な運動に持っていけるのか(既成の悪ず
れした政治組織に取り込まれないように)について、「人民主権」を標榜するなら、革命を望んでいたのかいないのか、政治
思想家の民衆の騒擾というものが熱しやすく冷めやすく、場合によって思わぬ暴動に発展し陰残な弾圧に遭遇しかねず、一団
と思われる群衆の中にも、複雑な利害対立がある可能性が大であるのに、これらに対する冷静な考察を何も行っていないこと。
見解(小浜逸郎)
a 安保闘争で国民が発散させたエネルギーの主たるものは、手ひどい敗北の辛酸をなめた日本人の抑圧された反米感情の表れで
あり、回復途上にある後発近代国家におけるナショナリズムの表現以外のなにものでもなかった。
b このような噴出が可能となったのは、すでに日本の政治的独立が回復されており、経済的にも日本資本主義の復権がほぼなされ
たことであり、この闘争が大衆性をもっていたにもかかわらず、何ら賃上げ闘争や、貧困からの脱却というような経済的課題を
含んでいなかったことで証明される。
C 進歩的知識人、左翼的インテリが誤算したのは、政治的なスローガンの中で闘われたために、(私見:これはあの政治革命など
につながっていくのではないかなど)過剰な期待をしてしまい、生活基盤に根差したものでなく、敗戦がもたらした、被抑圧感情の
一時的な爆発であったことが見抜けなかったことである。
結果、あっという間に退潮してしまった。
Ⅵ プラグマティスト(実用主義者)からドグマティスト(教条主義者)へ
ア 日本人の生活様式と、自由主義、共産主義、社会民主主義などのイデオロギーは西洋と違って、まだ無媒介に併存している。ゆ
えに、舶来イデオロギー用語で日本の政治的現実を割り切ろうとする場合は、現実からしっぺ返しをくらう。
具体的な人間関係や行動様式の日本的特性は、独裁者的支配というよりは、顔役、親方などのボス的支配に基づく「和」と「恩」
の精神であり、平等者間の「友愛」ではなく、縦の不動の関係を前提にした前近代的な精神であり、関係である。
このような関係は、組織化された大衆運動自体にも内在している。
「 西洋型市民的民主主義を発展、伸長させることについて」
<日本社会の民主化は、日本の歴史的具体的な状況において近代化を実質的に押し進めていく力は、諸階級、諸勢力、諸社会集団の中
に見出されるかを認識し、強める方向に賛成することによってのみ果たされる、・・>
もし、民主主義を目指すのであれば、アメリカ的民主主義なのか、ソ連型民主主義(?) のどちらを目指すのか、などの大上段で抽
象的な「主義」による二者択一を決然として退けて(俗流マルクス主義)、普通の日本人の生活心情、行動様式に対する曇りのない
現状認識から出発せよ、と鮮やかに指摘している。(吉本隆明の「大衆の原像を繰り込め」といういい回しに肉薄している。)
(見解)小浜逸郎
「私はプラグマティストでありたい。」という丸山の言説は、物事の真理性や価値を経験的事実や行動の結果から、帰納的に、正し
いもの、よきものと認める立場を表しているはずである。
ひるがえって、安保騒乱の際の振る舞いは、別途の人格としてしか考えられない。
「安保改定」という政策の意義を何の分析もせずに不条件に悪として、教条化し、「是非の判断」を行った、単なる行動者に堕落し
たドグマティスト(教条主義者)と言わざるを得ない。
Ⅶ 明治天皇制への不公平な歴史認識
丸山眞男は、最近次や自己を取り巻く政治現象に対する判断は、その怜悧な判断力を活かすことができず、すでに歴史化した事項な
どを分析するときは凡人に及ばない優秀な思想家であると思われる。
帝国憲法公布(明治22年2月)、教育勅語(明治23年10月)の評価
一体のもの(丸山)でなく、根本理念として新旧正反対のことを指示している。
帝国憲法・・近代的立憲政治の基を築くため、君主権の限界と国民(臣民)の権利・自由を明確に宣言・確定したものである。そ
の基本性格が当時とすれば近代的、先進的なものであることが明らかである。
EX)美濃部達吉(天皇機関説)は、最後まで帝国憲法の廃止に反対した。
教育勅語・・近代化による国民の道徳心の退廃(個人主義による国家秩序の拡散)を危惧して、徹頭徹尾、君臣の忠義、親孝行な
どの儒教精神を子弟に涵養させるべく編纂された復古的な産物である。
丸山の明治国家観は、バイアス(皇国思想・軍国主義への嫌悪により)がかかっている。(私見:いわゆる戦争体験などに伴う
個人的なルサンチマンに引っ張られていないのか。)
Ⅷ 国際社会の現実を見ない幼稚さ
主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん(丸山)
西洋が世界に先駆けて実現した「国民国家」のモデルは、グローバリゼーション がここまですすんだ現代では、世界秩序の原
理としては役に立たないから、第三世界の国家群が西洋モデルを見習おうとするのはもはや時代遅れだと、ずいぶん先を見越した、
過激なことを述べている。
「主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん」、を宣言するのは、能天気な人間観、国家観が含まれている。(よく話し
合えば相互理解と平和交流が可能であるなど)
見解(小浜逸郎)
a グローバリゼーションの進展は、国境を低くみせる反面、世界の中心軸を失わせ、異文化と異文化との裸の衝突の機会を増大さ
せ、かえって国家間の摩擦や緊張を高める。(EX)アメリカ覇権の後退、新興国の台頭、貧困国家の核武装化
b 多くの主権国家が存在していて、それぞれの主権を主張して譲らないという現実には、目を瞑ることを許さない必然性が存在する
こと。(EX)地勢、民族、言語、歴史
c そうであれば、相矛盾する利害や、理解しえない異文化を抱える主権国家の存在をそれとして認め、犠牲の少ないバランスオブ
パワーの原理で平和の維持を模索していく以外にない。
Ⅸ 国民意識の形成過程を独創的に論証
省略します
Ⅹ 「変わり身の早さ」をめぐる成熟した認識「変わり身の早さ」
外圧に対してそれをただ受け入れ以前とは全く違う自分に染まってしまうのではなく、他者をある程度受け入れつつ、それを自己流
に消化吸収し、その過程を通して、自らを新たな自分に「なり変わる」、そして、そのことによって文化的アイデンティティの危機を克服す
る態度に言及している。
見解(小浜逸郎)
日本の近代化は、「軍歌」の哀切さに象徴されるように、はかなさへの親しみや、敗北と死の予感を肌身に感じつつ生きる態度があ
らかじめ深く埋め込まれている、これは一種独特の世界観、人生観であり、それを文化的視点から見れば、ある種の強みであり、日本
人は上古の昔から、政治的にも文化的にも一度も滅ばされることがなく、今述べたような特性を駆使しつつ、漢字かなまじり文、和歌、
「てにをは」の文法構造、明治時代の翻訳語のまことにスピーディな創造など、独特な言語文化を作りだして今に伝えている。漢字や
西欧語の猛烈な圧力に対して、それを母語に取り込みつつ、独特の言語文化を作った国はほかに例を見ない。その「力」の源はなん
なのか、ここにうかがいしれる日本人の、代々の実存を貫く歴史意識の本質とは何か。
Ⅺ 日本的権力構造の肯定的捉えなおし
晩年の丸山は、福沢諭吉研究に主力を注ぎ、公式主義に偏らない福沢の「両眼主義」の価値を強調した。翻って丸山については、一
種の無条件の「(俗流)反権力主義」は青春時代の傷の感覚からついに自由にならなかった(ついにバイアスがかかったままだった)
が、思想史を追及する学者の姿勢において、両眼的理性は十分に発揮された。
(私見)小浜逸郎の手法は、批評作品を論じながら、当時の世相(歴史)に触れつつ、より深い認識に至る思考のダイナミズムが感じ
られます。周到な論理で(例えば60年安保時の総括はかつて見た中でも最も見事なものだと思います。)、対象化されたより深い考
察として箇条書きで明確に語られ、まるでこちらの頭がよくなったような気持ちになります(うちのクラスで皆そう思いました)。
吉本隆明もかつて、「普遍的に語れ」といいましたが、著者の試みは文字通りの実践であるように感じます。また、日本の明治以降
の政治状況、社会状況から、分析は極めて正確であり、私的には、グローバリゼーションの分析は、これだけの質の高いものは初め
てでした。この本を、皆さんに自信をもっておすすめします。