天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

日本の七大思想家(小浜逸郎)(丸山真男編)その2

2015-06-19 05:09:57 | 読書ノート(天道公平)
Ⅳ (60年)安保改定の意義を見誤っていた左翼インテリ
 ア 当時の知識人の中で、安保の意味と問題点を明確にしていたものはなく、先験的に、無自覚に、「進歩的知識人」を演じている。

   旧安保条約(1951年サンフランシスコ平和条約と同時締結)とは
     武装解除され固有の自衛権を持たない日本に対し、安全保障上の暫定措置として、日本国および付近にアメリカが軍隊を
     維持することを謳う。
     前文で日本国が自国の防衛のために今後次第に自己責任の部分をアメリカが 期待すると記されている。
     第一条で、米軍の駐留以外の援助可能性は触れているが、アメリカの防衛義務が明言されていない。
     同じく第一条で、内乱対応への言及があった。

    批准後9年を経過し、相対安定期の米ソ冷戦構造におかれ、日本は憲法改正をしないまま自衛隊の組織と設備を拡充した。(私
   見:岸内閣以前に、吉田茂内閣(吉田茂を支える社会権力など)が望まなかったという説がある。)

   改定安保条約(1960年6月発効)とは
     第5条で、日本の施政下にある領域で、日米どちらかに武力攻撃がされた場合、両国とも自国の安全が脅かされたことを認
     め、共通の危険に対処するように行動することが明示された。
     内乱条項が削除された。
     第六条で、日本からアメリカへの「基地の許与」に関連して、アメリカが極東の有事の際に、軍隊の配置や装備や作戦行動
     に関して重要な変更を行う場合は、日本政府との間で事前協議を行わなければならないとされた。

(特徴)
  a 米国駐留の暫定措置がより安定的かつ限定的なものに変化したこと
  b 日本の自衛力の充実が背景にあり、応分に評価されていること
  c 平和主義を謳う日本国憲法との矛盾そごをきたさないように配慮されていること
  d 日米関係という総合関係でいえば、アメリカへの属国であった日本が独立国として対等な取引関係を確立できることとなったは
   ず。(私見:他の当時の同伴知識人であれば「吉本隆明」が当時、同等の優れた認識を示している。)
   (EX 内乱条項の削除、事前条項の規定など)
(見解)小浜逸郎
  左翼的イデオロギー(資本主義国家アメリカとの同盟関係を拒否する)の立場からすれば、拒否することは、資本主義国日本をうち
 たおし、社会主義国家日本を建設するという理念を実現する、ということとなる。
  当時日本は55体制(私見:昭和30年、私の生まれた年です。)で、知識階級はほとんど、野党としての社会党、共産党の支持者(進
 歩的知識人)であり、「よりよい社会」を目指す、「安保改定反対」の支持者であった。

Ⅴ 民衆運動のムードに流されただけの安保批判
 丸山眞男の対応は次のとおりである。
 ア 強行採決は、大正デモクラシーよりもっと後退している。本来の議会制民主主義を取りもどすためには、強行採決を取り消し、国
  会を解散すべきである。
 イ デモクラシーは、本来政治とは関係のない目的としない人間によって担われるべきである。
    (中  略)
 ウ(5月19日から20日にかけて起こった強行採決に係る反対デモは)我が国の国民生活の未曾有の危機であり、未曾有の好機でも
ある。民主主義運動の中に散在した理念と理想は、ここにまた凝縮して、我々の手に握られた(人民主権の理念を獲得した。)。
   
 デモ隊(警察発表10万人)を目の当たりにした知識人がその姿に興奮して、子どものようにはしゃいでいるように思われる。(私
 見:私には先の「脱原発」デモが連想されます。若い友人に、警察が怖くないデモなど何の意味もないといいました。)

 問題点
  a 政治学の専門家が、安保条約の改定が、日本及び日本国民に対しどういう意味を持つのか、分析がなされず、強行採決が権
   力悪の権化で、怒りを示す大衆の騒ぎが素晴らしいというような、アジテーションまがいの言説に終始していること。
  b 民衆が示す反対意志のエネルギーをどのような方向に持っていけば、建設、組織的な運動に持っていけるのか(既成の悪ず
   れした政治組織に取り込まれないように)について、「人民主権」を標榜するなら、革命を望んでいたのかいないのか、政治
   思想家の民衆の騒擾というものが熱しやすく冷めやすく、場合によって思わぬ暴動に発展し陰残な弾圧に遭遇しかねず、一団
   と思われる群衆の中にも、複雑な利害対立がある可能性が大であるのに、これらに対する冷静な考察を何も行っていないこと。
見解(小浜逸郎)
 a 安保闘争で国民が発散させたエネルギーの主たるものは、手ひどい敗北の辛酸をなめた日本人の抑圧された反米感情の表れで
  あり、回復途上にある後発近代国家におけるナショナリズムの表現以外のなにものでもなかった。
 b このような噴出が可能となったのは、すでに日本の政治的独立が回復されており、経済的にも日本資本主義の復権がほぼなされ
  たことであり、この闘争が大衆性をもっていたにもかかわらず、何ら賃上げ闘争や、貧困からの脱却というような経済的課題を
  含んでいなかったことで証明される。
C 進歩的知識人、左翼的インテリが誤算したのは、政治的なスローガンの中で闘われたために、(私見:これはあの政治革命など
  につながっていくのではないかなど)過剰な期待をしてしまい、生活基盤に根差したものでなく、敗戦がもたらした、被抑圧感情の
  一時的な爆発であったことが見抜けなかったことである。
   結果、あっという間に退潮してしまった。

Ⅵ プラグマティスト(実用主義者)からドグマティスト(教条主義者)へ
ア 日本人の生活様式と、自由主義、共産主義、社会民主主義などのイデオロギーは西洋と違って、まだ無媒介に併存している。ゆ
  えに、舶来イデオロギー用語で日本の政治的現実を割り切ろうとする場合は、現実からしっぺ返しをくらう。
  具体的な人間関係や行動様式の日本的特性は、独裁者的支配というよりは、顔役、親方などのボス的支配に基づく「和」と「恩」
  の精神であり、平等者間の「友愛」ではなく、縦の不動の関係を前提にした前近代的な精神であり、関係である。
  このような関係は、組織化された大衆運動自体にも内在している。

「 西洋型市民的民主主義を発展、伸長させることについて」

 <日本社会の民主化は、日本の歴史的具体的な状況において近代化を実質的に押し進めていく力は、諸階級、諸勢力、諸社会集団の中
  に見出されるかを認識し、強める方向に賛成することによってのみ果たされる、・・>

  もし、民主主義を目指すのであれば、アメリカ的民主主義なのか、ソ連型民主主義(?) のどちらを目指すのか、などの大上段で抽
 象的な「主義」による二者択一を決然として退けて(俗流マルクス主義)、普通の日本人の生活心情、行動様式に対する曇りのない
 現状認識から出発せよ、と鮮やかに指摘している。(吉本隆明の「大衆の原像を繰り込め」といういい回しに肉薄している。)

(見解)小浜逸郎      
 「私はプラグマティストでありたい。」という丸山の言説は、物事の真理性や価値を経験的事実や行動の結果から、帰納的に、正し
 いもの、よきものと認める立場を表しているはずである。
  ひるがえって、安保騒乱の際の振る舞いは、別途の人格としてしか考えられない。

 「安保改定」という政策の意義を何の分析もせずに不条件に悪として、教条化し、「是非の判断」を行った、単なる行動者に堕落し
 たドグマティスト(教条主義者)と言わざるを得ない。
    
Ⅶ 明治天皇制への不公平な歴史認識
 丸山眞男は、最近次や自己を取り巻く政治現象に対する判断は、その怜悧な判断力を活かすことができず、すでに歴史化した事項な
どを分析するときは凡人に及ばない優秀な思想家であると思われる。

 帝国憲法公布(明治22年2月)、教育勅語(明治23年10月)の評価
  一体のもの(丸山)でなく、根本理念として新旧正反対のことを指示している。

  帝国憲法・・近代的立憲政治の基を築くため、君主権の限界と国民(臣民)の権利・自由を明確に宣言・確定したものである。そ
   の基本性格が当時とすれば近代的、先進的なものであることが明らかである。
    EX)美濃部達吉(天皇機関説)は、最後まで帝国憲法の廃止に反対した。

  教育勅語・・近代化による国民の道徳心の退廃(個人主義による国家秩序の拡散)を危惧して、徹頭徹尾、君臣の忠義、親孝行な
   どの儒教精神を子弟に涵養させるべく編纂された復古的な産物である。
   
   丸山の明治国家観は、バイアス(皇国思想・軍国主義への嫌悪により)がかかっている。(私見:いわゆる戦争体験などに伴う
  個人的なルサンチマンに引っ張られていないのか。)

Ⅷ 国際社会の現実を見ない幼稚さ
 主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん(丸山)
  西洋が世界に先駆けて実現した「国民国家」のモデルは、グローバリゼーション  がここまですすんだ現代では、世界秩序の原
 理としては役に立たないから、第三世界の国家群が西洋モデルを見習おうとするのはもはや時代遅れだと、ずいぶん先を見越した、
 過激なことを述べている。

 「主権国家を単位とする世界秩序原理の決定的な破たん」、を宣言するのは、能天気な人間観、国家観が含まれている。(よく話し
 合えば相互理解と平和交流が可能であるなど)

見解(小浜逸郎)
 a グローバリゼーションの進展は、国境を低くみせる反面、世界の中心軸を失わせ、異文化と異文化との裸の衝突の機会を増大さ
  せ、かえって国家間の摩擦や緊張を高める。(EX)アメリカ覇権の後退、新興国の台頭、貧困国家の核武装化
 b 多くの主権国家が存在していて、それぞれの主権を主張して譲らないという現実には、目を瞑ることを許さない必然性が存在する
  こと。(EX)地勢、民族、言語、歴史
 c そうであれば、相矛盾する利害や、理解しえない異文化を抱える主権国家の存在をそれとして認め、犠牲の少ないバランスオブ
  パワーの原理で平和の維持を模索していく以外にない。

Ⅸ 国民意識の形成過程を独創的に論証
   省略します

Ⅹ 「変わり身の早さ」をめぐる成熟した認識「変わり身の早さ」
 外圧に対してそれをただ受け入れ以前とは全く違う自分に染まってしまうのではなく、他者をある程度受け入れつつ、それを自己流
に消化吸収し、その過程を通して、自らを新たな自分に「なり変わる」、そして、そのことによって文化的アイデンティティの危機を克服す
る態度に言及している。

見解(小浜逸郎)
 日本の近代化は、「軍歌」の哀切さに象徴されるように、はかなさへの親しみや、敗北と死の予感を肌身に感じつつ生きる態度があ
らかじめ深く埋め込まれている、これは一種独特の世界観、人生観であり、それを文化的視点から見れば、ある種の強みであり、日本
人は上古の昔から、政治的にも文化的にも一度も滅ばされることがなく、今述べたような特性を駆使しつつ、漢字かなまじり文、和歌、
「てにをは」の文法構造、明治時代の翻訳語のまことにスピーディな創造など、独特な言語文化を作りだして今に伝えている。漢字や
西欧語の猛烈な圧力に対して、それを母語に取り込みつつ、独特の言語文化を作った国はほかに例を見ない。その「力」の源はなん
なのか、ここにうかがいしれる日本人の、代々の実存を貫く歴史意識の本質とは何か。

Ⅺ 日本的権力構造の肯定的捉えなおし
 晩年の丸山は、福沢諭吉研究に主力を注ぎ、公式主義に偏らない福沢の「両眼主義」の価値を強調した。翻って丸山については、一
種の無条件の「(俗流)反権力主義」は青春時代の傷の感覚からついに自由にならなかった(ついにバイアスがかかったままだった)
が、思想史を追及する学者の姿勢において、両眼的理性は十分に発揮された。
 

(私見)小浜逸郎の手法は、批評作品を論じながら、当時の世相(歴史)に触れつつ、より深い認識に至る思考のダイナミズムが感じ
 られます。周到な論理で(例えば60年安保時の総括はかつて見た中でも最も見事なものだと思います。)、対象化されたより深い考
 察として箇条書きで明確に語られ、まるでこちらの頭がよくなったような気持ちになります(うちのクラスで皆そう思いました)。
 吉本隆明もかつて、「普遍的に語れ」といいましたが、著者の試みは文字通りの実践であるように感じます。また、日本の明治以降
 の政治状況、社会状況から、分析は極めて正確であり、私的には、グローバリゼーションの分析は、これだけの質の高いものは初め
 てでした。この本を、皆さんに自信をもっておすすめします。

日本の七大思想家(小浜逸郎)(丸山真男編)その1

2015-06-18 05:44:34 | 読書ノート(天道公平)
   このレジュメは、私の主観に左右される、随分恣意的なものです。
   詳細を原典に当たられる(読書される)ことを是非おすすめします。

    丸山眞男(1914~1996)

Ⅰ 進歩的知識人の代名詞的存在
 ①敗戦直後に西洋の教養(文明比較的な方法で)のバックボーンのもとで「日本軍国主義」、「日本ファシズム」を批判した。
 ②中産階級のリベラルな生活史の中で、マルクス主義も経験し、皇国思想の戦争イデオロギーに醸成される時期と、日本軍隊での
  過酷で、理不尽な入隊体験を経た。
 ③専門の政治思想史が、西洋に根基がある学問で、自国の歴史を相対化するのに、西洋的な思考様式、分析様式によることはやむ
  を得ず、自己形成期の大正末期からのデモクラシーの思潮の中で学問の自由が保証されなくなっていったことは大きな衝撃であ
  った。
 ④自己の思想的体質が「西洋=普遍」的である、西洋主義的であることは否定しない、と言っており、自己の「疑似普遍性」を意
  識化している。
 ⑤60年安保(別添資料:ここでは省きます。)の際に、安保の延長について岸内閣が強行採決を行った際に、強行採決反対デモ隊
  で時に騒然たる状況の中で、反対に加担する、清水幾太郎、日高六郎、竹内好、鶴見俊介とともに、改定反対の「進歩的知識人
  」として、様々な党派、労働組合員、一般市民に対し、執筆活動や講演などを通じ、積極的に加担した。(私見:ついでながら
  、次章の吉本隆明も参加している。)

Ⅱ 「自由で主体的な個人」の過剰な偏重
 ①から⑤までの要因が、「西洋的近代主義から日本の負性(遅れ、歪み)を批判するという、丸山のイメージづくりを果たしてい
 る。
 ②から④までは、生育史、培った教育の質、時代の環境等でやむを得ないところである。

 問題のある①について、
  西洋ファシズム 
   宗教戦争、絶対主義などの長い歴史を経、内面的権威と外面的権力、私的価値と公的価値、倫理道徳と法、宗教と政治が明確
  に分離することになり、「自由なる主体の意志」(私見:たとえばナチスが議会制民主主義の中で勃興し、支持者の明確な意志
  に支えられたということ)により成立した。
    EX)ナチスのポーランド侵攻の際のヒットラーの確信犯的な演説
  日本のファシズム
   日本においては、前者のような二項対立が見えず、「天皇」という絶対的な価値のもとで一体化され、精神的権威が常に実体
  的権力に混入し、良心、内面の問題は、道徳の体現者である「天皇」の観念にとりこまれた。また、天皇の絶対価値からの距離
  によって、上から下への「抑圧委譲」の体系が成立し、その体系は、空間のみならず、皇祖に連なる時間的な垂直軸にまで遡り、
 「自由なる主体の意志」などはのぞむべくもない。(超国家主義の論理と心理)
   (私見:昔の老人が、「うちの土地は、天皇様からおあずかりしている。」ということ。陛下の赤子、万系一世、ご真影、教
     育勅語など)
    EX)東京裁判下における、戦犯の弁明で、日中戦争における「成り行き」(ソ連、西洋列強帝国主義の圧力、清王朝の内紛)
     や「道徳的意図」(反植民地主義の理念「八紘一宇」「一衣帯水」など)の説明を曖昧さと無責任の典型的な例として指
     弾した。

 丸山のテーゼ
  日本の近代天皇制社会からは個人の「責任」の観念が生まれるはずがない。
  当時のインテリの共感を呼び、自由な主体的個人の不在による曖昧で、無責任な体系としての日本社会という、否定的イメージ
 が、私たち日本人の中に定着してしまった。
(見解)(小浜逸郎)
 「超国家主義の論理と心理」の中で、戦争遂行者に独裁的な「自由なる主体意識」のあるナチス型の方が、「被規定意識しか持たぬ
 」寡頭勢力によって戦争が行われた日本型よりマシだ、と読める。
  非常事態の意識化がない指導者いないことはあり得ぬことだし、開戦責任がどの個人に属するかなど判定は困難である。
(東京裁判は勝者が敗者をさばいた裁判であるし)英米型の戦争解釈と、実際の事変の流れに差があり、丸山は「個人」や「自由な主
 体性」の有無により倫理的な裁断を行っている。
  また丸山は、戦争の機運を作り出す国際情勢、アジアとヨーロッパの国情の違い、ナチスの実施したユダヤ人の大虐殺などの未曾
 有な大罪、に考察が及ばず、公平な考察ではない。

  行動する人間は、必ず上下左右、社会的、私的な人間関係にきつく規定され、「無規定的な個人」(私見:個人の意識的な意識で
 それに単独で意志決定を行えるもの(?))は、どこの国でもありえない。

  日本社会の「上から下への「抑圧委譲」」についても、組織のあるところではどこにでもあるもので、軍隊などの厳しい統制が必
 要な組織では、必須なものではないのか。「天皇」を「総統」や「皇帝」に言い換えるだけで、どこの独裁権力に当てはまる。
    EX)ナチスやムッソリーニは、「民族の崇高性」(第三帝国)などのフィクションを、「八紘一宇」などの代わりにキャッチ
     コピーにしている。

Ⅲ 粗雑な東京裁判批判
 丸山の戦争認識と問題点について
 ①「なんとなく何かに押されて、ずるずると国を挙げて戦争に突入したというこの驚くべき事態」
  開国から諸外国と交渉事項に入った日本は、日清戦争を経て、10年単位で、外国と戦争を繰り返している。列強のアジア進出とい
  う、歴史の流れで起こっているもので日本だけの特殊な状況でない(中国などの悲惨な状況) 
 ②「被告の答弁の無責任ぶり」
  (ナチスをさばいた)ニュールンベルク裁判の影響下で、実施され、
    平和に対する罪(A級戦犯)(平和に対する罪) 死刑なし
    通常の戦争犯罪(B級戦犯)(捕虜虐待など)  死刑宣告7名
    人道に対する罪(C級戦犯)(国家、集団によって一般の国民に対しなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追
     放その他の非人道的行為)          東京裁判での適用者はない。
   しかし、横浜、マニラなどの軍事法廷で、B、C級戦犯は厳しい判決を受けた。
     (私見)(EX)私は貝になりたいなど
  丸山は、(何の疑いもなしに)「A級戦犯」が、最大の責任者であるかのように扱っている。
  「人道に対する罪」であれば、東京大空襲や、原爆投下は明らかに該当する、したがって、起訴はなかった。
 ③東京裁判は、勝者が敗者をさばく裁判であり、「事後法」((私見:刑法典の遡及適用は許されない。)によって、過去をさばい
  ている。

(見解)(小浜逸郎)
  丸山は、全体的構図の欺瞞性を(政治学者として)意識化することなく、通俗的な「東京裁判史観」を丸呑みし、(当時の)敗北
 意識に無原則に迎合してしまった。



「男」としての戦いについて・・・・(ボクシングを見ながら考える)

2015-06-14 20:40:32 | スポーツその他
 本日は、本来の「硬派」らしく、「男」としての戦いについて触れてみたい、と思います。
 ご承知のように、WOWWOWという有料サテライト放送のチャンネルがあり、実は創設時から、当該チャンネルに加入しました。私は地方に居住しており、ケーブルテレビに加入もしておらず、家人に言わせれば、贅沢と言われつつ、唯一、有料サテライトを契約しています。最初の売りは、映画見放題というものでしたが、そのうち飽きて、主目的が変わってしまいました。
 ボクシングの観戦です。
 私の10代、20代は、日本人の世界チャンピオンが多くおりました。当時の世相というか、「あしたのジョー」に影響されてか、当時のテレビも熱心に扱い、経済も相対安定期という時代だったのか、「ハングリーボクサー」というイメージがもてはやされ、具志堅用高とか、浜田剛史とか、多回数防衛チャンピオンとか、数階級制覇チャンピオンも片手で足りないほどでした(奇しくも、二人とも沖縄(古モンゴル系)出身者ですよね。)。しかし、日本が豊かになったのかどうなのか、だんだん、チャンピオンの数や、ボクシングの人気自体が凋落していきました。

 40歳代で再会した、ボクシングは実に魅力的でした。
 日常生活では、実際のストリートファイトは違法ですが、大きな本場のショービジネスでは、鍛えた男同士が、リングの中で打ち合う姿は、直接体を張った真剣な戦いと、それに伴い、ほぼ必ず訪れる最期のカタルシスへの期待とその実相を観客に与えてくれます。少なくとも、リングに上がった同重量の彼らは、国籍、貧富、社会的地位を超え、同一の条件で戦うこととなります。現実の社会で仮構され、いかにも真実であるかのような、自由競争や機会均等などの形式的平等性を、裸になって、直接体を張って倒しあうという、見るものにとっても、溜飲が下がる戦いです。良い試合も、悪い試合もありますが、身銭を切った観客は、その覚悟や、真剣味の無い試合には容赦なくブーイングを浴びせます。生意気だろうと、ヤなやつだろうと、勝つ者には、勝つだけの理由があるのです。
 競技者の背後には、歴然たる社会的な不平等があるのが前提の話ですが、現在のように、敗者、勝者を見えにくくするシステムの中で、必死で修練した者同士の、真摯で、本気の戦いは、立ち会った者に、最後は感動すら覚えさせます。
 ボクシングは、グローブ装着とか厳しいルールのもとではありますが、相互で立ち上がり、上半身で戦うスポーツは、正直なところどうしても人種的優劣を考えてしまいます。狩猟民族が少ない(?)黄色人種は、上半身の筋肉の付き方自体が不利に思えるところです。外国人の平均的なミドル級(72.575kgまで)をウエルター級(66.678kgまで)までに絞った、パウンド・フォー・パウンドとしての試合では、俊敏で威力ある相互の戦いはほれぼれとするようにみえるところです。
 この番組は、格闘技担当アナウンサー高柳謙一さんと、かの名チャンピオン浜田剛史さんと、プロモーター兼ボクシング評論家のジョー小泉さんとの掛け合いで行われます。ジョー小泉さんは、若いころボクシングに夢中となり、父親に勘当されそうになったというほどのボクシングフリーク(いわゆる拳キチ)で、英語は堪能、メキシカンたちのスペイン語(メキシコ圏)も十分に理解できます。
 彼は、若いころトレーナーやカットマン(止血専門の技術者)をやっていたという筋金いりです。謙虚な人柄ながら、アメリカのショービジネスやボクシング理論に通しょうし、浜田元チャンピオンと、小泉さんが、ラウンドごとに採点しますが、浜田さんを覆す説明をして、時々、普段は温厚な浜田さんが「むっ」とするのがご愛嬌でした。しかし、ほぼ日本だけを主戦場とした浜田さんと、外国(ことに本場アメリカ(ビジネスになる、という意味です。))を主戦場に戦ってきた(プロモーター、マッチメイカーなど)小泉さんの組み合わせは絶妙で、その差異を、名アナウンサー高柳さんがうまいこと、あおったり、なだめたりで仕切ります(ついでながら、小泉さんはダジャレの大家です)。
 実際のところ、ボクシングのためだけに、WOWOWを続けたようなものです。
 その間に、多くの名チャンピオンを見てきました。印象的なところを上げると、いくらもあるのですが、多階級制覇チャンピオン、メキシコの善玉ゴールデンボーイ、オスカー・デ・ラ・ホーヤ、アメリカの悪玉エクスキューター(処刑人)バーナード・ホプキンス(註)、変則のアラブ系イギリス人ナジーム・ハメドなど、様々な毛色の変わったチャンピオンが登場しました。それぞれ楽しませてくれました。しかし、いずれにせよ勝たなければ意味がない、わけです。敗者には、何も与えられない、という勝負の鉄則です。
 小泉さんに言わせれば、昔は、ファイター(攻撃中心、防御抜きで相手を打ち倒すボクシング=あしたのジョータイプのボクシング)、ボクサー(防御中心でカウンターなど有効打を狙うスマートボクシング)タイプと分けられたが、進化したボクシングでは、そのような欠点のあるボクサーは生きていけなくなった、といいます。
 「角を矯めて牛を殺す」、といいますが、今の、多階級、多回数防衛チャンピオンは、攻撃だけでも駄目だし、ボクサータイプだけでも駄目なのです、いいところだけ伸ばすのではなく、両方を兼ね備えないと、いずれ数回で敗けてしまう、どこかしら、欠点のある選手は、必ずつまずく、それを、目の前で、何度となく、見せつけられました。天分に恵まれたチャンピオンも、ひとたび負ければそのまま駄目になるケースも、その反対に、修練と、執念で上り詰めたようなチャンピオンは、しぶとく生き延びる場合もありました。
 豊かな日本の、世界チャンピオンは、日本国でのタイトル取得以来は、外国ではタイトルマッチはしない、などが、かつては定説でした。最近、アメリカでの防衛に成功したチャンピオン、西岡、山中などが出てきたのは喜ばしいことです。
 アメリカのラスベガスなどを主戦場で戦うのは、本国で食えない、貧困国(たとえばフィリピン、ウクライナ、アフリカ諸国、中南米諸国など)の挑戦者と、少数のチャンピオンたちでした。そういう意味では、プロスポーツは、世界市場を求め、早くからグローバル化しているのかもしれません。せめて、スポーツだけはと、選手と同国の多国籍のファンたちが、それぞれ自国系のボクサーを応援するのは面白いものです。
 しかし、アメリカのみならず、他国からアメリカに渡る一芸に秀でた有望選手も、よっぽど秀でた、トレーナーに拾われ、周到に鍛えられないと、長く生きてはいけないところです。
 やっぱり、国民性というか、恵まれない素質の日本人ボクサーも、ひたすらまじめに練習し、勝負に臨む努力は欠かさないようです。
 いずれにせよ、プロスポーツにナショナリティ優先(自国民応援)の経路が無いと、とてもつまらない、ものですが、場合によっては、興奮した対戦相手の応援者(客)同士の殴り合いまでありました。

 今も忘れられませんが、放映が始まった最初の頃ですが、小泉さんが、国境に近いさる町(メキシコ)でタイトルマッチに臨むあるアメリカ人(黒人)挑戦者が、地元の文化や食事をぼろぼろにけなしたという逸話を披露しました。
「なぜだかわかりますか?」と高柳アナウンサーに尋ね、「どういうことなんですか?」と高柳アナウンサーが話を返すと、「彼はね、敵地で不利に戦うときに、観客をあえて挑発して、敵に廻して、孤立無縁で自分自身を高めるんですよ」、「そんな戦い方もあります。」との回答でした。

 これは、私が、今まで、プロスポーツを見た中で聞いた最高の言葉でした。
 私にそんな戦い方ができただろうか、と、孤独と孤立をあえて招きよせ、実力以上を発揮しようとする、「男」として、なんとすさまじい、いさぎよい戦い方ではないでしょうか?
 現代では、こんな戦い方は困難で有害かもしれません、しかし、結果は別にして、ホームタウンデシジョン(地元有利の判定)など虚仮にするだけの迫力があります。

いずれにしても、ボクシングの要諦は、相手に打たれずに、相手を効果的に打つのがセオリーです。これはボクシングのみならず、あらゆる「戦い」に共通する常道ですが。

(註)バーナード・ホプキンス
 善玉オスカー・デ・ラ・ホーヤを手ひどく叩きのめした悪役は、現在49歳で今もライトヘビー級のチャンピオンです。俺は、悪役であろうとなんであろうと、強い、悔しかったら叩きのめしてみろ、と傲慢な態度を崩さず、世俗の権威や良識を認めない、そのスタイルはむしろ小気味よく、今も、黒人として、悪役として、アメリカ社会での彼の戦いを貫き生き残っている、私のとても好きな選手です。節制により、今も見事なファイターの体型です。今後も、彼の試合では、時々見せる真剣なファイトと、レフリーのすきをついて高等な反則をしまくりでしょうが。)

ハンバーガー罵倒

2015-06-13 21:13:30 | 罵倒シリーズ
 皆が一斉に、罵倒し始めたこの時期に、またまた、時宜に合わぬ投稿ですが・・・
    (また、先の読書ノートの投稿、皆様に、大変ご迷惑をおかけしました。)
******************************************
        「ハンバーガー」罵倒
                           H26.11.16
 学生時代の初め(1974年3月)、京都四条河原町藤井大丸で、生まれてはじめてマクドナルド店に入り、初めて、食べたハンバーガーはとてもおいしかった。
 田舎から出てきたぽっと出の一回生には、なんておいしいものがあったんだという、忘れられない思い出です。赤白ストライプ柄の紙カップのコーラとセットで出るロウ引きの紙に包まれたハンバーガ―は、当時は、自由と(受験から、家などからの)解放を表す輝かしいアメリカ文化のほとばしりのようにも思われました。
 不世出のフライ級の世界チャンピオン、大場政夫が、はじめてハンバーグを食べたとき、世の中にはこれほどおいしいものがあったんだと感泣した、という逸話がありました。そののち、高速で自己運転のスポーツカー(シボレーコルベット)の事故で亡くなってしまった(パンチドランカーだったらしい。)。彼の破滅的で悲劇的な結末を思い出すにせよ、その時の、下町の極貧家庭生まれのハングリーボクサーの、驚きと、そのあとの悲しみに思いいたります。
 まだ、幼いころ、写りの悪い白黒テレビを必死で見ていたとき、アニメ「ポパイ」にウインピーというさえないおじさん(今でいうプーですが)が出てきて、誰彼かまわず「ねー、×××、明日には返すから、ハンバーガー貸してくれないか」(私は物まねが出来ます。)と頼むシーンが何度もあり、子ども心に「ハンバーガーってなんだろう」と深く思っていました(今思ってもポパイがハンバーガーを貸してやったのか、ハンバーガーを買う小銭を貸してやったのかよくわかりません)。
 大阪万博(「1970年のこんにちわ」です。)にも行っているのに、ハンバーガーなどを食べた記憶がないのは、中二のそのころは、ハンバーガーなど、実体としてまだ全く知らなかったのかもしれません。
 思い出はしばしば、食物と共に立ちあがってくることが多いものです。
私の大学入学当時、まだマクドナルドは京都でも珍しい時代で、知り合いがアルバイトしているのもうらやましかったような記憶があります。仲間内の印象でも、当時のマクドナルドはなにがしかのプレスティージがあるようなバイト先でした。
小・中・高と、うちの親は食えなかったので、共に、田舎でフルタイムで働いていましたので、家でハンバーグなど作るような環境にありませんでした(そういえばレトルトでマルシンハンバーグというのがあったなあ。喜んで食べていたような覚えがあります。ついでにいうと、前、斉藤慶子が、テレビで、「魚肉ソーセージとマヨネーズさえあれば何もいらない」と言っており、今も魚肉ソーセージ食べる私としては、彼女の生い立ちと生活史を思い、共感といくばくかの悲しみを共有してしまいました。)。
ちゃんと、ひき肉から成型するハンバーグを食べたのは大学時代に入ってからのことだったと思います。やっぱり、味はハンバーガーとは全然違うものでした。それ以降、ハンバーガー幻想は消滅してしまったように思いました。
思えば、それ以降私にとっては、マクドナルドは幾分色褪せたハンバーガーになってしまいました。しかしながら、卒業・就職して故郷に帰ってきて(1978年)も、マクドナルドがないので、フィレオフィッシュが食べたい、フライドポテトが食いたい、とか思っていました。
が、近所にマクドナルドができてから、全く行く気がなくなりました。(不思議ですね。)
 ただ子供を持ってから、モスバーガーにはある程度通いました。
 家ではできない味で、照り焼きバーガー、ロースかつバーガーとか、コメのバンズに入ったつくねバーガーなどを、求めに応じて買っていました。「タルタルソースは、マクドナルドの方がいいよね」、などと。
 その頃、モスバーガーを待つ間に、フルブライト留学ではありませんが、創業者が利用者たちにアメリカ無償(起業)留学を勧奨する応募用紙を見つけ、創業者の、社会貢献と若者にチャンスを与える試みを見つけて、その手法に感心した覚えがあります。
 現在では、ケンタッキーフライドチキンに行くわけでもなく、特に、ファストフードが嫌いなわけでもなく、今ではコーラを飲むのもやめてしまいました。
 今でも、吉野家とかは、時々行くのになぜだかわかりません。
前、ハワイに行った際に、レギュラーのハンバーガーを一個だけ注文して嫌な顔をされた記憶があり、「お前ら、ジャンクフードばっかり食うなよ」、とその時思った憶えがあります(君らは貧富の差は別にして生涯ジャンクフードで生きるのであろうかと)。
 しかし、悪名高かったバンズが変わってもマクドナルドハンバーガーはやっぱりまずい。決して安くはないのに。
 今思えば、墜ちた偶像(アイコン)といったところでしょうか。
 その後、家庭生活を経て、やわらかい、ジューシーなハンバーグを作る手順と、自分ではやれそうでできない調理のむつかしさはよくわかりました(固いハンバーグなら可能だが。もしやれば、私は焼き方専門です)。やっぱり、料理にも知性とセンスが必要なこともよーく理解できました(あの吉本隆明も天ぷらができねーと言ってましたが)。
 ただし、食べ物としての持続性と汎用性そして創作性は、むしろ、サンドイッチの方に分があるように思います。こちらは、オヤジでもどうにでもなります。(ベーグルで作れよ、という意見もあり、またハンバーガーはサンドイッチの一種ではないかとの異見もあり。)
 世の中には、様々な家族がいて、「幸福な」家族はひとにぎりである、ことはよく理解できます。また、マクドナルドが24時間営業であり、108円のセール(今もあるのか?)で食いつなぐ人や、家族のいない孤食者や老人にいかに貢献しているかもよく理解できます(資本主義の良い部分でもあります)。
 しかし、マクドナルドも結構だけど、「家で、ちゃんと手間のかかるハンバーグやら、和食(世界遺産)をつくってやれよ、どちらかがやれるうちは。一生ハンバーガースタンドに並ばせるようなことは、するなよ。」といってしまいそうになります。

罵倒するのはこっちの方か。
(竜頭蛇尾というか、羊頭狗肉とかになってしまいました。実は、アメリカ発のグローバリゼーションに筆誅を加えようと思っていたのだけれども。)

日本の七大思想家(小浜逸郎)を読む前に

2015-06-09 21:47:06 | 哲学・文学・歴史
敗戦経験という基軸
(斜体部分は私の引用・加筆です。)
                        H25.2.20
Ⅰ 敗戦体験は日本史上最大の事件である
① 推定300万人という死者の数、投入された兵員、軍事物資、戦費の膨大さ、
 という量的な側面
② 国際舞台での西洋列強(外部の強敵)との総力戦、という質的な側面 
③ その局面における大日本帝国全体の完膚なきまでの敗北
④ 中国本土への泥沼的侵攻とその失敗
⑤ 沖縄戦、本土空襲、原爆投下などによる国土のいまだかってない荒廃
⑥ 7年近くによる他国の占領統治と、「勝者の裁き」としての東京裁判
⑦ 軍事大国の道から経済大国の道への転換
⑧ アジアで唯一近代化の道を進みつつあった途上での屈折と挫折
⑨ 西洋から近代化、帝国主義、植民地主義を学んだ一民族国家の敗北の必然性
⑩ 戦前、戦中の国民のエートスのあり方と、敗戦後のそれとの大きな変化
⑪ 敗戦前と敗戦後におけるイデオロギー的な価値観の極端な転換。民主化の徹底
⑫ 67年後の今日にいたるまでも、日本の政治構造、外交姿勢、思想の型などに直接の後遺症と思われる現象が強く残り、今後もその後遺症が衰えそうな 気配を見せないこと

   明治維新・・・藩政の解体、中央集権的国家建設及び近代的国民意識(ナショナリズム)の形成に至る大変動 → その後の大挫折(敗戦)
      
    アジアからも西洋からも孤立した国家としての、哀しい近代化の内包
     (国民のエートス:「私は鳥でもありませぬ、獣でもありませぬ」太宰治)
         Ex) 戦友(日露戦争)
           海ゆかば(日中戦争)
Ⅱ 近代日本の建設と屈折と思想家との関連
 第二次世界大戦敗北(最大事件)と思想家との格闘
  日本の近代とよく格闘した者
   ◎西洋近代の思考そのものを相対化しえたもの  (私見:和辻、小林、大森)
   ◎西洋思考を取り込んだうえで日本「近代」の問題の剔抉(てっけつ)を行いえ
    たもの (私見:福沢、時枝、丸山、吉本)
Ⅲ 「七大思想家」とはだれなのか
  生年順とすれば、福沢諭吉(1835~1901)(社会思想)、和辻哲郎(1889~1960)(倫
 理思想)、時枝誠記(1900~19 67)(言語思想)、小林秀雄(1902~1983)(実存思想)
 丸山眞男(1914~1996)(政治思想)、大森荘蔵(1921~1997)(哲学思想)、吉本隆明
 (1914~2012)(文学思想)(2012年3月16日死亡)と表現される。

モチベーションとして
① 第二次大戦の敗北という日本史上最大の衝撃から、日本思想は何を語り始めたかを確認すること
② それぞれの思想家と思想家の連鎖の中で、関連性、共通性(背反しているような場合を含め)を見出すこと
③ 日本近代とはそもそも何であったのか、その中途における挫折の意味を確認し、本来の姿を現代に活かすには、近代思想のエッセンスの何を取り出すべきなのかを定位すること
 日本近代思想を検討することにより西洋思想を超えていることも発見できるかも知れない!!

(私見)
 個人的に、なぜ私は、社会科学系(文学の本を含みます。)の本を読むのか、問い返してみました。
 学生時代は、「なぜ私はここにいるのか」から始まって、「世界とは、そもそも日本、日本人とは何なのか」という話に派生して行きました。この本で挙げられる思想家は、(一部を除いて)当時の学生たちに強く支持された人たちです。
 著者は、近代の問題は、これらを批判的に扱うことで、解明できるのではないか、非欧、非亜の独自の日本及び日本人論を試みており、現在の私にとって大変興味深い、切実な本です。また、かつて吉本が言ったように「普遍的に語れ」という態度を自己に期しているように思います。
 実は、個人的に、千年に一度の大災害の3.11後の発言を、同時にこの著者に求めていました。その期間の沈黙が、このように結実したのは、とてもうれしいことです。
 今は年のせいか、悪たれていた昔は別にして(「政治の季節」も、「全共闘」も今思えば何のこともなかったのです。)、「美しい自然と優れた文化的価値の収斂していく日本(実体としての日本国家)はやっぱり私の祖国だ」に変わっていき、つまらないグローバリゼーションで根こそぎにされ(経済社会的にも、芸術文化的にも、勤勉でお人よしの国民性にしても)、二流の西洋系国家(?)に頽落するのは、断じて嫌だと思っています。
 残り少ない(?)人性ですが、先に亡くなった内村剛介がいった、「視るべきほどのものは見つ」という姿勢で(彼の場合はどうかな?と思いますが)、自らの信じる<価値>と、<私の好きな><日本>のために戦っていきたい、と考えています。