2011年の3.11以降、東日本で何が起こっているのか、よく理解できず、必死で、昔から読んでいた信頼できる著作者の声明又は社会的発言を探した覚えがあります。瀬尾育生さんも書いていましたが、当時西日本と東日本では極めて大きな落差があり、受け取る感覚がまったく違っていたように思います。
私は、被災後、困難な状況の中で、必死で家族を探す、たくさんの被災者たちの姿を、今も忘れられません。「死を想え」、というのはこんな時の言葉だったと思いました。
また、広島の原爆被害愛好(?)市民団体が、兵器と科学技術の差を超えて(本当に馬鹿らしいですね。)、(その際の、自然災害による原発事故を必死で収拾しようとする現場の同胞たちの努力を尻目に)福島の原発事故を、それ見たことかと、そしったことを、決して忘れません。
その時他国にいた、村上春樹も、他人事のように、同程度のことを、「誤った選択」と呼び、自己が文学者であることをないがしろにして、安い西欧人の視点からコメントしていました。これも、忘れません。
その後、東北復旧に是非必要な廃材処理を、わが地区の処理場に決して入れさせないと言い張る当該地元団体のおやじ(おばはん)の醜い顔も決して忘れません。これは、知的・想像力の退廃というよりは、感性の鈍磨という話でした。お前ら、小金をためて、卑しい人間になったなー、という感じです。
当時の私の気持ちは、おこがましいことながら、戦中・敗戦時に、尊敬すべき著作家、例えば小林秀雄のコメントを必死で求めた、吉本隆明の焦燥感、切実感に近いものだったかも知れません。
私は、もともと、文学・哲学等愛好する、典型的文系人間です。しかしながら、現在の、第二の敗戦時に、それだけで済むわけがないと思われます。ブログで与太を書き飛ばす前に、現在の未曽有の危機に自覚的であり、私を含め大多数の国民大衆はどのように対処すべきかについて私なりに戦略がないと、あまりにさみしいことであり、奇跡のような近代以降日本を作り上げてきた父祖にすまない、と感じます。
開闢以来、初めて大敗北(太平洋戦争)した、我が国が、3.11という1000年に一度程度の大災害に耐えられないはずはないが、しかし、今後、いつまた、自然大災害が発生するかも知れない、本当は、そんなすれすれの日常です。
幸い私たちは、「社会的な」存在です。他人の思惟や、考察、著書に賛同もできるし、恩恵も受けることができる存在です。当然、現在は国民国家の(当然の)庇護のもとで自分や家族、友人同胞と一緒に、よりよい生を生き延びていかなくてはなりません。
一昨年末から、読書会をはじめました。
どんな貧しい会合、考察だとしても、今後、考え、伝える努力は放棄すまいと思いました。
我々が選んだのは、まず救いとなるべく、哲学や思想・文学の著書です。
これらの本は、3.11後、私たちに絶対必要な本です。私は、小浜さんの代表作だと思っています。
今後も、経済を、科学技術を語る前にも、皆さん、是非読むべき本であると思われます。
(同時期刊行された親鸞論「歎異抄」も、3.11の次年に亡くなった吉本隆明へのオマージュとも読めます。思想は思想で乗り越えるしかないのですから。)
私の、貧しいブログに来訪していただいた皆さん、私の謬見でも、それを契機として是非この読書ノートを読んでください。
私は、被災後、困難な状況の中で、必死で家族を探す、たくさんの被災者たちの姿を、今も忘れられません。「死を想え」、というのはこんな時の言葉だったと思いました。
また、広島の原爆被害愛好(?)市民団体が、兵器と科学技術の差を超えて(本当に馬鹿らしいですね。)、(その際の、自然災害による原発事故を必死で収拾しようとする現場の同胞たちの努力を尻目に)福島の原発事故を、それ見たことかと、そしったことを、決して忘れません。
その時他国にいた、村上春樹も、他人事のように、同程度のことを、「誤った選択」と呼び、自己が文学者であることをないがしろにして、安い西欧人の視点からコメントしていました。これも、忘れません。
その後、東北復旧に是非必要な廃材処理を、わが地区の処理場に決して入れさせないと言い張る当該地元団体のおやじ(おばはん)の醜い顔も決して忘れません。これは、知的・想像力の退廃というよりは、感性の鈍磨という話でした。お前ら、小金をためて、卑しい人間になったなー、という感じです。
当時の私の気持ちは、おこがましいことながら、戦中・敗戦時に、尊敬すべき著作家、例えば小林秀雄のコメントを必死で求めた、吉本隆明の焦燥感、切実感に近いものだったかも知れません。
私は、もともと、文学・哲学等愛好する、典型的文系人間です。しかしながら、現在の、第二の敗戦時に、それだけで済むわけがないと思われます。ブログで与太を書き飛ばす前に、現在の未曽有の危機に自覚的であり、私を含め大多数の国民大衆はどのように対処すべきかについて私なりに戦略がないと、あまりにさみしいことであり、奇跡のような近代以降日本を作り上げてきた父祖にすまない、と感じます。
開闢以来、初めて大敗北(太平洋戦争)した、我が国が、3.11という1000年に一度程度の大災害に耐えられないはずはないが、しかし、今後、いつまた、自然大災害が発生するかも知れない、本当は、そんなすれすれの日常です。
幸い私たちは、「社会的な」存在です。他人の思惟や、考察、著書に賛同もできるし、恩恵も受けることができる存在です。当然、現在は国民国家の(当然の)庇護のもとで自分や家族、友人同胞と一緒に、よりよい生を生き延びていかなくてはなりません。
一昨年末から、読書会をはじめました。
どんな貧しい会合、考察だとしても、今後、考え、伝える努力は放棄すまいと思いました。
我々が選んだのは、まず救いとなるべく、哲学や思想・文学の著書です。
これらの本は、3.11後、私たちに絶対必要な本です。私は、小浜さんの代表作だと思っています。
今後も、経済を、科学技術を語る前にも、皆さん、是非読むべき本であると思われます。
(同時期刊行された親鸞論「歎異抄」も、3.11の次年に亡くなった吉本隆明へのオマージュとも読めます。思想は思想で乗り越えるしかないのですから。)
私の、貧しいブログに来訪していただいた皆さん、私の謬見でも、それを契機として是非この読書ノートを読んでください。