平戸領内のお寺が組織的に網羅されている史料がある。
「唐津拾風土記 平戸領寺院名寄」。
江戸時代、真言宗寺院だけでも、30ヶ寺を数える。
明治政府の神仏分離令による誤解釈で、
多くの貴重な寺院が廃佛の災いを受け、廃寺と化した。
現代に生き残った寺院は、12ヶ寺のみ。
画像は、「弥勒寺」というお寺から、
受難をくぐり抜け潮音院までたどり着いた経典、
「仁王護国般若波羅密多経」2巻。
弥勒寺は、田平のMR田平駅にほど近い場所に存在していたと聞く。
天保11年(1840年)八月に、松浦煕公が国家安全のため書写され、
版木でもって出版。領内の神社仏閣に奉納された。
煕公の御字、すてきですねえ。
弥勒寺への奉納は、弘化3年(1846)2月1日になされている。
煕公の花押付きだ。
この出版の元である版木は、平戸最教寺の霊宝館に展示してある。
平戸市の指定文化財。
「仁王護国般若波羅密多経」(にんのうごこくはんにゃはらみたきょう)
国難の今こそ、至心にとなえ奉る。 合掌
東光寺、白泉寺、等など寺が付いた地名も沢山あります。
歴史を勉強すれば由緒あるお寺の名残だと思うのですが。
歴史はそれぞれでしょうが、
特に明治時代に消滅したお寺の名残は多いと推察されます。