鉄道模型工作記録帳

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ひたちなか海浜鉄道へ その2

2009-11-05 23:29:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

札幌に戻ってまいりました。

が、道具が来ないことには工作ができないのでこの道中出張の合間に撮影したもろもろを再度検証して行こうと思います。



ひたちなか海浜鉄道社長様。コメントありがとうございます。

願わくば、係の方にお願いしたお見積もりの件、ご返答いただけると幸いでございます。



あ、さて。

ひたちなか海浜鉄道の在籍している古豪気動車のうち、やはり注目株は元留萌鉄道のキハ2000(2004・2005)と、元羽幌炭鉱鉄道のキハ222型に集中します。



いずれもいずれモデル化したいと思っているものなんですが、やはり道産子気動車と言うことで注目せざるを得ません。



茨城交通時代には、留萌鉄道のキハ1001、1002、1103もいたのですが、あいにく先に鬼籍になってしまい、大変残念。

まぁ、今もし走っていたら奇跡どころではないのですけれども。



茨城交通時代の写真も交えて、この2形式に注目をつづけたいと思います。



羽幌炭鉱鉄道に居た、キハ222は、キハ22型の2号車であり、ひたちなかに至っても元番号のまま活躍しているのは奇跡的なことです。





茨城時代にはこのカットしか撮りませんでしたが、見た限り国鉄キハ22とかなり酷似しております。

この2004年時点で、国鉄キハ22と異なっているのはテールライトがメンテナンスしやすい外羽目式に、左テールライト傍にあったタイフォンが床下に移設されていることでしょう。

あとはオリジナル装備の旋回窓があること。

標識灯掛けもありません。





国鉄のキハ22.(友人HM撮影)

元はこれとほぼ同一であったはずです。







これは先日の画像の拡大ですが、根元にビスが見えます。

それが元のマウント。

そこに被せる様にして外から電球を交換できる部品を取り付けております。

これは国鉄の改造方法には無いやり方ですね。

(国鉄なら元のマウントも取り去って取り付けなおすパターンかな?)





スカ色になってはしまいましたが、この際、色というのは形態分析には余り意味の無いことなので、どんな客寄せパンダになっても良いのでなるべく長く、姿を留めていてほしいものです。

貴重な古典エンジン・DMH17C系もそのままですからね!

羽幌色~茨城交通に継続採用~昭和後期の茨城交通色(白・青帯)~茨城交通新色?~スカ色と、変遷していますね。茨城交通新色?の経験は無い模様。





ちなみに先日阿字ヶ浦に移動後、解体されたキハ221は原型の内羽目式のまま終わっておりますから、改造は割りと最近なのかもしれません。

ただしこれもタイフォンは移設済み。



調べてみるとテールライト改造は1992年から2000年の間のようです。

タイフォンの移設も前後のようですが・・・?



あとは



このシールドビーム改造が独特で、茨城県内の私鉄気動車に良く見られる非常に合理的な改造を施されております。

元の部分を鉄板で埋めて、汎用の灯具を取り付けております。

JRでこれと同じ改造をしたものも出ましたが、「チクビーム」とか可愛そうな言われようの改造方法ですね。

これも90年代前後の改造の模様。

昭和60年代後半から各種改造が始まった模様。





便所が装備されておりましたが、入線時に取り払われて客室になっております。

内開き窓があったこの部分にははめ殺し窓となって、室内もロングシートが配置されております。





よく床を見ると、便所だった区画の痕がしっかり残っております。



板目が異なるのが解ると思います。





運転台は標準的な装備にワンマン機器が取り付けられているくらいです。

色味は国鉄より浅い白緑色ですが、これがオリジナルかどうか確認は出来ません。





こちらは助手席側。

デッキは簡易仕切りしかありません。



これはオリジナルだったのか簡易化改造したものか・・・?





室内は、恐らくロングシートが拡大された状態になっていると思います。

国鉄キハ22はごくごく少ない2人とか、3人がけのロングシート程度だったはずです。

羽幌がどのような感じであったかは解らないのですが、国鉄比では8区画が取り去られてロング化されております。







この元羽幌は2重窓。国鉄に準拠しており「ました」。

真ん中にやや太い縦凹がありますが、ここに内窓が走っていたのです。

しかし、現在では内窓は取り払われ、写真には写っておりませんが窓枠上辺には内窓分の隙間がぽっかり開いたままでありました。

ですから、地味に外見からも内窓が無い事がわかるのです。



ちなみに、221と222は広範になってテールライトの差異がありましたが、基本は「6個ベンチレーターのキハ22の派生」です。





これは先日、除籍となった元羽幌223の茨城交通時代です。

よく見ると、タイフォンが国鉄の場所にあります。
223は最後までここが残っていたのです。
また、テールライトが最初から外羽目式のものとなっております。

もちろん、北海道時代から茨城交通初期はタイフォン蓋が付いておりました。





あとで気が付いたのですが、223は遅れて生産されたため、7個ベンチレーター仕様です。

しかしこれも良く見ると一番先頭のベンチレータの形が奇妙です。

今、気が付いたので調べることが難しくなってしまいました。



223の反対側。

元トイレ側の写真が無く涙目ですが、キハ22の中期形の特徴が出たスタイルとなっているんですね。


室内灯も国鉄仕様ですが、扇風機がありません。
取り付けられていた痕も見えにくく、最初から無かったのかもしれませんがどうでしょう・・・?
写真では一箇所にありそうなのですが、ほかにはありません。
真相はいかに。



使用されては居ないとはいえ、票指し関係も国鉄同様少なめですね。



愛称サボ受けはひたちなか独自の大型です。


車体4箇所にワンマン放送スピーカも設置済みです。
これは阿字ヶ浦寄り


これは勝田寄り


ここまでは、国鉄キハ22に最も準拠した私鉄気動車、ひたちなか海浜鉄道のキハ22型について纏めてみました。