鉄道模型工作記録帳

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ディーゼルカー浪漫2

2009-11-20 04:01:45 | ディーゼルカー浪漫?

半田小手をまだ買いにいけず、工作停止中。
というかちょっと図面に没頭中。

ありがたきことに、三井芦別の窓割り数値をいただきまして。
まことに感謝感激雨霰でございます( ´∀`)

IMG_0484
窓割を、縦線に配置して、合わせてみている図です。

今現在、8倍図。
定鉄より原画は大きく描いています。

IMG_0485
チョットコレ驚いたところなんですが、
目だった検証違いはありませんでした。

予測目測がこれくらい合っていると小躍りします。
ドアなんて位置びったり!

変える必要まるでありませんでした。

窓幅と伴う窓位置に修正を加えます。

IMG_0487
元絵。
窓幅が考えていたより若干狭かったんです。

IMG_0488
消して・・・
正解窓幅の雛形作って

IMG_0489
オブジェクトの移動命令を使ってコピー展開してきます。

精度?8倍図で0.0001mm・・・ww
全く必要ない精度使って遊んでます。

IMG_0490
乱れうち。

IMG_0491
全部直して、そっくり反転させたりしてズレを補正します。

IMG_0493
遊びの色付け。
コレくらいずれていたんです。

アレですね。
元が同じ製造所なので、戸袋とかドア、基本位置がかなり共通であることは確かです。

なんせ縦関係寸法は全く共通です。

IMG_0494
昭和28年から昭和33年にかけて製造し、三井芦別が一番の末っ子。
微妙に夕張のキハ301・302が僅差ですが、基本的に炭鉱の輸送と言う名目も同じ。
地域もほぼ同じ。

コレだけそっくりに作って、第一のやぐらが廃止になったあと、同じ鉄道に拾われたのも頷けます。
252.253.301.302が片運転台、しかも余り実用的ではない簡易運転台でなかったら、
6+3の9台全て鉾田線に引き取られていたかもしれませんね。

 三井芦別前後
上が修正前、下が修正後。
クリックすると拡大

もやもやしていた気分吹っ飛びます。
よく見ると、鉾田線のある形式によく非マニア的に似ていますね。

もちろんご存知の方がいると思うのですが
鹿島茨城154
末期の431は三井芦別色を模した色「らしい」のです。
最後まで本当の三井芦別連中の一台でも残っていたらなぁ・・・。


 鹿島茨城159
では、これは夕張鉄道を模したのでしょうか?
しかしあまりにもそれとは色が異なります。
 


鹿島茨城171 
この色の気動車なら、留萌鉄道も同系色だし、ありえそうな感じですが、
この色のモハ31(クモハ11)が客車・・・というか実質キサハニとしてあったことが面白いのです。

 IMG_0656
こういう風景を走っていたと思うと、個人的には胸が高まります。
(三井芦別鉄道廃線跡の野外保存車両)

三井芦別前後
ちなみにこの気動車。
昭和33年なんでキハ20などの3世代目の気動車の製造している最中なのですが、
足回りは戦前気動車のディーゼル改造車に近く、車体は「キハ17+やや幅が大きい」クラスです。
見た目の錯覚を利用すると、21m級かそれ以上にみえ、大変スマートです。
(実際はキハ20より小さい断面なだけなんですが)

夕張251の製造時・昭和28年と言うと、まだ同系と言えるのはキハ44500や島原鉄道キハ4500なのかもしれませんが、

車体幅が若干広く、台車や変速機のセレクト、
なによりシルを内蔵してノーシルノーヘッダーに仕上げたあたり新潟鉄工所のちょっとしたこだわりが見えます。
どちらかと言うとキハ44100と同時期で、新潟鉄工が参加できなかった電気式ディーゼルの時代、デザインは流れで利用しても、DT18/
19の欠点露呈していた台車など使用せず、自社のやり方を国鉄にプレゼンテーションしたのかなとも思います。
(キハ251とほぼ2ヶ月後、落成はほぼ同時にキハ17の受注を受けているので、この微妙なずれの時間に推測解釈が分かれる部分です)


恐らく、キハ17より手堅い足回り、国鉄主導の振興造機TC-1、TC-2に遅れ、
まだ制式採用されていなかった自社の液体変速機DF115、若干でも大き目の車体をあてがうなど、その組み合わせに自信があったんでしょう。

(あくまでも推測)
50年以上経過して、ずっと併用されてきたTC-2が完全撤退になり、
DF115が最後のDMH17系エンジンのお守りに残ったのはいきさつを感じます。
(残念ながらそのときには新潟鐵工所が既に企業再生になってしまっていたのは惜しいことですね。)

島原キハ4500が帝国車両ですが、サイズ・足回り・車体・機械構造全て国鉄仕様に従ったのとちょっと風が違います。


    ↑薀蓄は点と点だけ知っており、勝ってに推測接続した部分があります。