天草は磁器の原料である陶石の世界的産地です。
現在、佐賀の有田焼きの原料のほとんどが天草陶石を使っています。
天草陶石の特徴は、鉄分を含まない良質の白い陶石。
白く透き通るような高級な有田焼は天草陶石から生まれます。
その天草陶石を採掘していたのがこの上田家。
上田家は代々庄屋でしたが、小さな漁村であった高浜の暮らしは決して楽なものではなかったようです。
1762年、上田家六代目の伝五右衛門はそんな貧しい高浜の村民の暮らしを豊かにするために良質の陶石を採掘し陶工を招き高浜焼を開きます。
天草陶磁器のルーツとされる高浜焼は、“白く・薄く・透明な”が特長で、江戸時代には長崎から海外に輸出されていました。
高浜焼き
“白く・薄く・透明な”高浜焼きが台無しの駄作写真です。
築200年のこの建物は、文化12年(1815)に上田源太夫宣珍家(7代目)が建てたもの。
600坪の敷地に部屋数20、畳の総数は100畳。
昭和7年8月、『五足の靴』の足跡を再び旅した与謝野鉄幹が妻晶子を伴ってこの上田家に宿泊しました。
写真は、その時与謝野晶子の書き残した歌。
【高浜焼寿芳窯・上田家資料館】
天草市天草町高浜南598
TEL 0969-42-1115
撮影日:2009年10月6日
Nikon D200
Ai AF Nikkor 35mm F2D
現在、佐賀の有田焼きの原料のほとんどが天草陶石を使っています。
天草陶石の特徴は、鉄分を含まない良質の白い陶石。
白く透き通るような高級な有田焼は天草陶石から生まれます。
その天草陶石を採掘していたのがこの上田家。
上田家は代々庄屋でしたが、小さな漁村であった高浜の暮らしは決して楽なものではなかったようです。
1762年、上田家六代目の伝五右衛門はそんな貧しい高浜の村民の暮らしを豊かにするために良質の陶石を採掘し陶工を招き高浜焼を開きます。
天草陶磁器のルーツとされる高浜焼は、“白く・薄く・透明な”が特長で、江戸時代には長崎から海外に輸出されていました。
高浜焼き
“白く・薄く・透明な”高浜焼きが台無しの駄作写真です。
築200年のこの建物は、文化12年(1815)に上田源太夫宣珍家(7代目)が建てたもの。
600坪の敷地に部屋数20、畳の総数は100畳。
昭和7年8月、『五足の靴』の足跡を再び旅した与謝野鉄幹が妻晶子を伴ってこの上田家に宿泊しました。
写真は、その時与謝野晶子の書き残した歌。
【高浜焼寿芳窯・上田家資料館】
天草市天草町高浜南598
TEL 0969-42-1115
撮影日:2009年10月6日
Nikon D200
Ai AF Nikkor 35mm F2D
*拙ブログ(第3340号)にお借りしました。
キリシタン弾圧はよく知られていますが、天草に橋が架かるまで離島。特に天草の西南部は…
色々、新しい発見ありました。