以前、わたしの「絵の調子が悪い」という発言に対して、「そう言いながらしっかりと上手に描けているではありませんか。とても調子が悪いとは思えません」とご指摘を受けたことがあります。
当ブログをよくご覧いただいている皆さんにはご理解いただいていることと思いますが、わたしが言うところの「絵の調子」とは、わたしが絵を描くときの「気分」のことであって、描いた結果であるところの絵の出来具合のことではありません。
(たとえ、結果としてぐちゃぐちゃな絵になったとしても、気分良く描けたなら「絵の調子が良い」と言うことです)
言葉が足りない、それに加えて、わたしの言葉の用法や認識が一般とは少しずれたところにあるようで、誤解を生じることも少なからずあります。
もうすこし詳しい説明を書くべきかと思わないでもありませんが、絵を主とするブログで言葉が勝るのはあまり好ましくないと思い、なるべく言葉少なめにしております。
それでも、ときどき(?)言葉の方が勝ってしまうことがありますけれど…
今は雑念が優勢で絵の調子があまり良くありませんが、それを憂へたところで仕方ないので、前向きに考えることにしたのは前回書いたとおりです。
それをさらに積極的に活用してブログの記事にしてしまおうというのが『らくがきの雑念』と題した本稿の目論見です。
「絵が主でそれに文を添える」のではなく、「雑文を書いて、気が向いたら絵を添える(絵なしでも可)」くらいな感じで、しばらくやってみようかと思います。

当ブログをよくご覧いただいている皆さんにはご理解いただいていることと思いますが、わたしが言うところの「絵の調子」とは、わたしが絵を描くときの「気分」のことであって、描いた結果であるところの絵の出来具合のことではありません。

(たとえ、結果としてぐちゃぐちゃな絵になったとしても、気分良く描けたなら「絵の調子が良い」と言うことです)
言葉が足りない、それに加えて、わたしの言葉の用法や認識が一般とは少しずれたところにあるようで、誤解を生じることも少なからずあります。

もうすこし詳しい説明を書くべきかと思わないでもありませんが、絵を主とするブログで言葉が勝るのはあまり好ましくないと思い、なるべく言葉少なめにしております。

それでも、ときどき(?)言葉の方が勝ってしまうことがありますけれど…

今は雑念が優勢で絵の調子があまり良くありませんが、それを憂へたところで仕方ないので、前向きに考えることにしたのは前回書いたとおりです。

それをさらに積極的に活用してブログの記事にしてしまおうというのが『らくがきの雑念』と題した本稿の目論見です。

「絵が主でそれに文を添える」のではなく、「雑文を書いて、気が向いたら絵を添える(絵なしでも可)」くらいな感じで、しばらくやってみようかと思います。
