わたしが言う「天才画家」とは、お絵かきを無条件・最大限に楽しむことが出来る人のことです。
そして、小さな子どもは皆「天才画家」です。なんでも楽しめる天賦の才能を持っています。わたしもかつては天才画家でした。
わたしは、子どもの時に絵を描いていたのですが、長い間ほとんど絵を描かないでいて、今年になって本格的に再開しました。ところが、いざ描いてみると、子どもの時のようには楽しめません。楽しむどころか、苦しみからの再出発でした。
悩み考え続けた結果、「上手に描きたい」という気持ちが、お絵かきを楽しむ上で最大の障害であることに気が付きました。子どもの時は、一度だって「上手に描きたい」と思ったことはありませんでした。ただ「描きたい」という純粋な心だけで描いていたので楽しむことが出来たのでしょう。
「上手に描きたい」と思わなければ、子どもの頃のように最大限にお絵かきを楽しむことが出来るはずです。しかし、実際にはほとんど不可能のように思われます。人間というものは欲望のかたまりであります。禅の修行でもしない限り無くなりそうにありません。無くせないものなら、なんとか折り合いをつけるしかありません。
一つの方法は技法でも何でもどん欲に吸収していく方法です。専門画家はそうやって修行していくものなのかも知れませんが、すべての人がその方法でうまくいかないから悩む人が多いわけです。
そこでわたしの選んだのは、「上手に描きたい」という気持ちを極力弱らせてしまおうという道です。
わたしは夏に体調を崩して、全く絵が描けませんでした。今考えてみると、体調を崩したのは夏の暑さばかりが原因ではないようです。自分の絵のことで深刻に悩んでいたことも原因の一つであったかも知れません。
けれども、結果として、今はとても楽にたのしくお絵かきができるようになりました。しばらく絵を描けなかったことで、描きたい気持ちが満タンに充填されて、「とにかく描きたい」気持ちが「上手に描きたい」気持ちをはるかに凌駕したからでしょう。
みなさんにもこの爽快感を実感していただきたくて、「このは流」を提唱したのですが、わたしには難しい問題でした。かなり無謀でした。
「このは流」の中で、何度も「フォースの暗黒面」の話をしましたが、これは「上手に描きたい気持ち」そのもののことです。みなさんに「上手に描きたいと思うな」と言っても無理な話なので、遠回しな表現を選んだのです。
説明している本人がよく理解していない問題でありますから、うまく伝わらないのは仕方ないことなのでしょう。
「このは流」の中で出題したものは、すべてわたしが子ども時代にした遊びです。その中でお絵かきに役立つであろうと思われるものを選びました。けれども、わたしは当時面白いからしていただけで、絵の練習になると思ってしていたことではありません。結果としてお絵かきの練習になったというだけです。だから子どものように無邪気に遊ぶことが大事なことです。
わたしの中の「上手に描きたい」気持ちは、今はおとなしくしているだけで、無くなったわけではありません。とにかくおとなしくしていてくれるように願うばかりです。闇の勢力が復活してきたら、また悩むことになるでしょう。
もしかしたら、悩んでいるのはわたしだけ?
そして、小さな子どもは皆「天才画家」です。なんでも楽しめる天賦の才能を持っています。わたしもかつては天才画家でした。
わたしは、子どもの時に絵を描いていたのですが、長い間ほとんど絵を描かないでいて、今年になって本格的に再開しました。ところが、いざ描いてみると、子どもの時のようには楽しめません。楽しむどころか、苦しみからの再出発でした。
悩み考え続けた結果、「上手に描きたい」という気持ちが、お絵かきを楽しむ上で最大の障害であることに気が付きました。子どもの時は、一度だって「上手に描きたい」と思ったことはありませんでした。ただ「描きたい」という純粋な心だけで描いていたので楽しむことが出来たのでしょう。
「上手に描きたい」と思わなければ、子どもの頃のように最大限にお絵かきを楽しむことが出来るはずです。しかし、実際にはほとんど不可能のように思われます。人間というものは欲望のかたまりであります。禅の修行でもしない限り無くなりそうにありません。無くせないものなら、なんとか折り合いをつけるしかありません。
一つの方法は技法でも何でもどん欲に吸収していく方法です。専門画家はそうやって修行していくものなのかも知れませんが、すべての人がその方法でうまくいかないから悩む人が多いわけです。
そこでわたしの選んだのは、「上手に描きたい」という気持ちを極力弱らせてしまおうという道です。
わたしは夏に体調を崩して、全く絵が描けませんでした。今考えてみると、体調を崩したのは夏の暑さばかりが原因ではないようです。自分の絵のことで深刻に悩んでいたことも原因の一つであったかも知れません。
けれども、結果として、今はとても楽にたのしくお絵かきができるようになりました。しばらく絵を描けなかったことで、描きたい気持ちが満タンに充填されて、「とにかく描きたい」気持ちが「上手に描きたい」気持ちをはるかに凌駕したからでしょう。
みなさんにもこの爽快感を実感していただきたくて、「このは流」を提唱したのですが、わたしには難しい問題でした。かなり無謀でした。
「このは流」の中で、何度も「フォースの暗黒面」の話をしましたが、これは「上手に描きたい気持ち」そのもののことです。みなさんに「上手に描きたいと思うな」と言っても無理な話なので、遠回しな表現を選んだのです。
説明している本人がよく理解していない問題でありますから、うまく伝わらないのは仕方ないことなのでしょう。
「このは流」の中で出題したものは、すべてわたしが子ども時代にした遊びです。その中でお絵かきに役立つであろうと思われるものを選びました。けれども、わたしは当時面白いからしていただけで、絵の練習になると思ってしていたことではありません。結果としてお絵かきの練習になったというだけです。だから子どものように無邪気に遊ぶことが大事なことです。
わたしの中の「上手に描きたい」気持ちは、今はおとなしくしているだけで、無くなったわけではありません。とにかくおとなしくしていてくれるように願うばかりです。闇の勢力が復活してきたら、また悩むことになるでしょう。
もしかしたら、悩んでいるのはわたしだけ?
リラックスして
のんびり
気ままでいいのでは
わたしはそれがなかなかできないのです。
何でも気にしすぎる性格なんだね。
仕事が終わってから、何かやらねばと始めた趣味。
「このは流」に反しますが
「上手に描きたい」と格闘中です。
「このは流」でなくとも「morisさん流」でいっこうにかまいません。
「上手に描きたい」はなかなか手強いですね。
わたしみたいに深刻になってはいけないですけど、少しそういう意識を持っていると、自分の絵の新しい方向性が見えてくると思います。
毎週土曜日にお絵かき教室に通っていました。
今は趣味で気楽にトールペイントをやっています。
絵を描くのも、観るのも楽しいです。
上手に描こうと思って、上手に描ける人はいませんよね。
自由に遊ぶのが難しいよ~
ぼちぼち行くしかないね。
「ポッチと」は面倒に感じたのでやめました。
keiさんへ
わたしの場合は、描きたくても親が許してくれない事情がありました。
精神的ショックで絵が描けなくなりました。
今ようやく回復してきたようで、描けるようになりましたが、まだまだ完全には立ち直れないようです。
この度の記事を読ませて頂き、とても大切な事を思い出す事ができました。
私はかれこれ何年か前から描いても描いても納得のいく絵が描けず、結局絵を描くことを諦めました。(絵を完全に絶つ、というよりは真剣に描くことをやめて適当ならくがきばかり描くようになってしまったのですが)思えば「上手に描きたい」という欲求が強く表れてしまったせいなのでしょう。
しかし思い起こせば、私の好きな画家さんたちも「上手く描きたい」という欲求よりも「絵が好き」という純粋な気持ちからキャンパスを彩っていた気がします。なんだか絵に一番大切なものを忘れておりました。
気づかせてくださり、ありがとうございます。
わたし自身、苦しみながら絵を描きがちになってしまうので、そうならないように気をつけています。
お絵かきを気楽に楽しめたら良いですね。